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2008年04月21日 (月)
出エジプト記 23:1-19
「年に三度、わたしのために祭りを行なわなければならない。」(14)
神様の民は偽りのうわさを言いふらしてはなりません。悪を行う権力者の側に立ってはならず、不正な証しをしてはなりません。また、貧しい者の訴えだからと偏向してもいけません。牛やろばが迷っているのを見つけた場合、それが敵のものであっても、その人に返してあげなければならず、ワイロは受け取ってはなりません。自分の利益のために公義を捨て、隣人を顧みないならば、神様を悲しませることになります。神様の子どもはいつでも真実に正直に、真理の側に立って生きて行くべきです。
神様の民は六日間は熱心に働き、七日目には霊的、肉的な休みを得る必要があります。その日には、しもべたちと寄留者たちだけではなく、話すことのできない家畜までも安らぎを得るのです(12)。神様は、奴隷や家畜にまでも配慮される御方です。神様は、また、年に三度祭りを行なわなければならないと仰せになります。それは過越の祭り、五旬節、仮庵の祭りです。この祭りは、エジプトの奴隷生活から解放された恵みを覚え、収穫に感謝し、荒野で天幕を張った日々を覚えて感謝するためのものなのです。このような祭りを通じて、神様の民は神様の恵みを覚え、感謝を記憶します。私たちが日々の忙しさに追われているならば、七日目に休むことも、祭りを行なうこともできないでしょう。ですが、時に従って、神様が施してくださった救いの恵みを覚え、感謝の祭壇を築きましょう。神様の幸いがそこにあるのです。
祈り:主よ!あなたは、私を罪の奴隷から救い出してくださいました。私は時ごとに、あなたの御恵みを覚えます。感謝の祭壇を築きます。
一言:時ごとに感謝を
「年に三度、わたしのために祭りを行なわなければならない。」(14)
神様の民は偽りのうわさを言いふらしてはなりません。悪を行う権力者の側に立ってはならず、不正な証しをしてはなりません。また、貧しい者の訴えだからと偏向してもいけません。牛やろばが迷っているのを見つけた場合、それが敵のものであっても、その人に返してあげなければならず、ワイロは受け取ってはなりません。自分の利益のために公義を捨て、隣人を顧みないならば、神様を悲しませることになります。神様の子どもはいつでも真実に正直に、真理の側に立って生きて行くべきです。
神様の民は六日間は熱心に働き、七日目には霊的、肉的な休みを得る必要があります。その日には、しもべたちと寄留者たちだけではなく、話すことのできない家畜までも安らぎを得るのです(12)。神様は、奴隷や家畜にまでも配慮される御方です。神様は、また、年に三度祭りを行なわなければならないと仰せになります。それは過越の祭り、五旬節、仮庵の祭りです。この祭りは、エジプトの奴隷生活から解放された恵みを覚え、収穫に感謝し、荒野で天幕を張った日々を覚えて感謝するためのものなのです。このような祭りを通じて、神様の民は神様の恵みを覚え、感謝を記憶します。私たちが日々の忙しさに追われているならば、七日目に休むことも、祭りを行なうこともできないでしょう。ですが、時に従って、神様が施してくださった救いの恵みを覚え、感謝の祭壇を築きましょう。神様の幸いがそこにあるのです。
祈り:主よ!あなたは、私を罪の奴隷から救い出してくださいました。私は時ごとに、あなたの御恵みを覚えます。感謝の祭壇を築きます。
一言:時ごとに感謝を
2008年04月20日 (日)
出エジプト記 22:16-31
「彼がわたしに向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。」(27)
この世の人々は、弱い人々を無視し、押さえつけ、虐げることがあります。また他人の弱みに付け込んで苦しめることがあります。神様は、イスラエルがエジプトで異邦人の寄留者として苦しみを受けたことを覚えて、異邦人の寄留者を押さえつけたり、虐待したりすることがないように告げられています(22)。貧しい人にお金を貸す場合は利子をとらず、隣人の着物を担保として預かった場合は、日が沈む前には返すようにと言われました。神様は弱い者、貧しい者が虐げられて受け苦しむのを見逃すことはできず、彼らが叫ぶ時、怒りを発すると言われます。弱い者を虐げる者には激しい怒りが発せられるのです。神様は情け深い御方です。ですから、少しばかり此の世で力があり、正当だと言って、弱く、貧しい人々を無視したり、苦しめたりしないようにしましょう。私たちは恵み深い神様の子どもである貧しい者、外国人の労働者、頼るところがない弱い人々に憐れみをかけるべきです。
神様は、裁判長や民の上に立つ者をのろってはならないと言われました。なぜなら彼らは神様がお立てになったしもべたちだからです。神様は、私たちが収穫して神様にささげるものを、遅らせたり、いやいやながらささげたりしてはならないと言われました(29)。私たちは神様に最も高価で尊いものをささげ、そして、神様の御心に生きるべきです。私たちが所有しているすべてのものは皆、神様が恵みによってくださったものなのですから。
祈り:主よ!弱い者を憐れんでくださって、ありがとうございます。私が、あなたの御心のように、憐れみ深く、弱い者たちを顧みることができますように。
一言:憐れみ深い神様
「彼がわたしに向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。」(27)
この世の人々は、弱い人々を無視し、押さえつけ、虐げることがあります。また他人の弱みに付け込んで苦しめることがあります。神様は、イスラエルがエジプトで異邦人の寄留者として苦しみを受けたことを覚えて、異邦人の寄留者を押さえつけたり、虐待したりすることがないように告げられています(22)。貧しい人にお金を貸す場合は利子をとらず、隣人の着物を担保として預かった場合は、日が沈む前には返すようにと言われました。神様は弱い者、貧しい者が虐げられて受け苦しむのを見逃すことはできず、彼らが叫ぶ時、怒りを発すると言われます。弱い者を虐げる者には激しい怒りが発せられるのです。神様は情け深い御方です。ですから、少しばかり此の世で力があり、正当だと言って、弱く、貧しい人々を無視したり、苦しめたりしないようにしましょう。私たちは恵み深い神様の子どもである貧しい者、外国人の労働者、頼るところがない弱い人々に憐れみをかけるべきです。
神様は、裁判長や民の上に立つ者をのろってはならないと言われました。なぜなら彼らは神様がお立てになったしもべたちだからです。神様は、私たちが収穫して神様にささげるものを、遅らせたり、いやいやながらささげたりしてはならないと言われました(29)。私たちは神様に最も高価で尊いものをささげ、そして、神様の御心に生きるべきです。私たちが所有しているすべてのものは皆、神様が恵みによってくださったものなのですから。
祈り:主よ!弱い者を憐れんでくださって、ありがとうございます。私が、あなたの御心のように、憐れみ深く、弱い者たちを顧みることができますように。
一言:憐れみ深い神様
2008年04月19日 (土)
出エジプト記 22:1-15
「もし彼が何も持っていないなら、盗んだ物のために、彼自身が売られなければならない。」(3)
人が牛や羊を盗んで殺したり売ったりした場合、牛の場合は五倍、羊の場合は四倍で償わなければなりません。償いをするものを持っていなければ、体を売ってでも徹底的に償いをしなければならないと言われています(3)。神様は、私たちの私有財産権を保障されています。他人のものを盗むという行いは、貪欲と怠惰の心の結果です。神様は、自分の手で熱心に働いて正当な労働の代価を得るように願われるのです(Ⅰテサ4: 11,12)。正当な労働の代価ではなく不正な方法でお金を儲けることも、盗みと変わりません。盗みは聖なる神様の民にふさわしくありません。私たちは盗まず、熱心に働いて自分の食物を食べ、さらには良いことに使うように努めようではありませんか(エペ4:28)。
自分の家畜が他人の畑や食料やぶどうを食べた場合、自分の畑やぶどう園の収穫の最良の物で償いをする必要があります。神様は、私たちに、あやまって他人を害した場合であっても、自分のあやまちの責任を負う者であるように願われます。「家畜がそうである」「失敗して」と言って責任逃れをしようとすべきではないのです。他人のものを預かったのに、死んだり怪我をしたりした場合には、裁判所に行って、判決を受け、償いをしなければなりません。財産を預かった者が手を出さなかったと誓えば、預けた者は、その言葉を信じるべきです(11)。私たちは、神様の民として、他人の財産権を尊重し、互いに信頼できる者となるべきです。神様がそのように望まれているのです。
祈り:主よ!私が他人の財産を尊重する者でありますように。自分の貪欲ではなく、人との信頼こそを大切にして生きて行けますように。
一言:盗んではならない
「もし彼が何も持っていないなら、盗んだ物のために、彼自身が売られなければならない。」(3)
人が牛や羊を盗んで殺したり売ったりした場合、牛の場合は五倍、羊の場合は四倍で償わなければなりません。償いをするものを持っていなければ、体を売ってでも徹底的に償いをしなければならないと言われています(3)。神様は、私たちの私有財産権を保障されています。他人のものを盗むという行いは、貪欲と怠惰の心の結果です。神様は、自分の手で熱心に働いて正当な労働の代価を得るように願われるのです(Ⅰテサ4: 11,12)。正当な労働の代価ではなく不正な方法でお金を儲けることも、盗みと変わりません。盗みは聖なる神様の民にふさわしくありません。私たちは盗まず、熱心に働いて自分の食物を食べ、さらには良いことに使うように努めようではありませんか(エペ4:28)。
自分の家畜が他人の畑や食料やぶどうを食べた場合、自分の畑やぶどう園の収穫の最良の物で償いをする必要があります。神様は、私たちに、あやまって他人を害した場合であっても、自分のあやまちの責任を負う者であるように願われます。「家畜がそうである」「失敗して」と言って責任逃れをしようとすべきではないのです。他人のものを預かったのに、死んだり怪我をしたりした場合には、裁判所に行って、判決を受け、償いをしなければなりません。財産を預かった者が手を出さなかったと誓えば、預けた者は、その言葉を信じるべきです(11)。私たちは、神様の民として、他人の財産権を尊重し、互いに信頼できる者となるべきです。神様がそのように望まれているのです。
祈り:主よ!私が他人の財産を尊重する者でありますように。自分の貪欲ではなく、人との信頼こそを大切にして生きて行けますように。
一言:盗んではならない
2008年04月18日 (金)
出エジプト記 21:12-27
「人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。」(12)
人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならないと告げられています。また、自分の両親を打つ者、人を誘拐した者、両親を呪った者も、必ず殺されなければならないと告げられました。他の命を軽んじる者は自らの魂をも喪失することになるのです。神様は人間のいのちを尊重されます。それは、人が神様のかたちにつくられた尊い存在だからです(創9:6)。ですから、どんな場合も殺人を犯してはなりません。殺人は憎しみやねたみから生まれます。イエス様は、兄弟に怒り、兄弟に向かって悪口を言って憎むことも、殺人であると言われました(マタ5:22)。今日、人の命がいかに軽んじられていることでしょうか。お金を神様のように崇め、人の命は虫けらのように考える人々がいます。自分を満足させるために互いを謗り合い、ついには殺人まで犯すのです。それは悪魔の支配下にあるからです(ヨハ8:44)。このような時代に私たちは、人命を尊び、神様の良き知らせを宣べ伝えて行こうではありませんか。神様の良き知らせ、それは、いのちを生かす力なのです。
人を傷つけたならば、必ず償いをし、治療をしなければなりません。しもべを傷つける主人は、その代償として、その奴隷を自由にしなければなりません(26,27)。傷を受けた際の報復について、神様は、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、傷には傷、打ち傷には打ち傷・・・と言われました(24,25)。しかし、この御言葉は報復を奨励するものではありません。私たちが感情に流され、受けた被害以上の報復することで暴力の連鎖が起こってしまうことを防止するために、報復の上限を定めるものです。
祈り:主よ!私は、傷つける言葉と行ないを悔い改めます。あなたの御旨に生きることができますように。いのちを生かす、あなたの恵みに生きることができますように。
一言:福音を伝え、いのちを生かす
「人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。」(12)
人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならないと告げられています。また、自分の両親を打つ者、人を誘拐した者、両親を呪った者も、必ず殺されなければならないと告げられました。他の命を軽んじる者は自らの魂をも喪失することになるのです。神様は人間のいのちを尊重されます。それは、人が神様のかたちにつくられた尊い存在だからです(創9:6)。ですから、どんな場合も殺人を犯してはなりません。殺人は憎しみやねたみから生まれます。イエス様は、兄弟に怒り、兄弟に向かって悪口を言って憎むことも、殺人であると言われました(マタ5:22)。今日、人の命がいかに軽んじられていることでしょうか。お金を神様のように崇め、人の命は虫けらのように考える人々がいます。自分を満足させるために互いを謗り合い、ついには殺人まで犯すのです。それは悪魔の支配下にあるからです(ヨハ8:44)。このような時代に私たちは、人命を尊び、神様の良き知らせを宣べ伝えて行こうではありませんか。神様の良き知らせ、それは、いのちを生かす力なのです。
人を傷つけたならば、必ず償いをし、治療をしなければなりません。しもべを傷つける主人は、その代償として、その奴隷を自由にしなければなりません(26,27)。傷を受けた際の報復について、神様は、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、傷には傷、打ち傷には打ち傷・・・と言われました(24,25)。しかし、この御言葉は報復を奨励するものではありません。私たちが感情に流され、受けた被害以上の報復することで暴力の連鎖が起こってしまうことを防止するために、報復の上限を定めるものです。
祈り:主よ!私は、傷つける言葉と行ないを悔い改めます。あなたの御旨に生きることができますように。いのちを生かす、あなたの恵みに生きることができますように。
一言:福音を伝え、いのちを生かす
2008年04月17日 (木)
出エジプト記 21:1-11
「あなたがヘブル人の奴隷を買う場合、彼は六年間、仕え、七年目には自由の身として無償で去ることができる。」(2)
その当時、ヘブル人が奴隷になる場合は、負債が返せない時(レビ25:39)と盗んだものを弁償する能力がない時でした(22:3)。ところが一度奴隷になると、死ぬまで奴隷として生きなければなりませんでした。主人は奴隷を労働力として徹底的に利用しようとし、彼らの人権や幸福のことなど考えませんでした。これが当時の風習だったのです。しかし神様は、ヘブル人の奴隷を買う場合、六年間は仕えさせ、七年目には無償で去らせるように言われました。 もし、主人が一度自分のものと定めた女奴隷を気に入らなくなった場合、主人は、その女奴隷を外国人に売ることはできず、彼女が買い戻されることを許さねばなりません。また、女奴隷を息子に贈与するばあい、娘のように扱い、息子が他の人と結婚しても、その女奴隷には衣食住を保障しなければなりませんでした。神様は、すべての人の人間としての尊厳を大切にされました。すべての人が幸福に生き、お互いの人権を尊重するように掟を定められたのです。
今の時代に、奴隷制度は無いにしても、私たちは雇われ人や負債を負った人や弱者のことを考え、彼らの人権を尊重すべきです。彼らには幸福を求める権利があること、人間としての尊厳があることを認めなければなりません。この世で、人々は、貧困、制度、さらには罪などに束縛されています。しかし、神様の御心は、全ての人が自由に生きることなのです。
祈り:主よ!人間の自由を尊んでくださることを感謝します。私が、あなたの御心のままに、人々の尊厳や幸福のために働くことができますように。私を遣わしてください。
一言:私たちの自由を願われる神様
「あなたがヘブル人の奴隷を買う場合、彼は六年間、仕え、七年目には自由の身として無償で去ることができる。」(2)
その当時、ヘブル人が奴隷になる場合は、負債が返せない時(レビ25:39)と盗んだものを弁償する能力がない時でした(22:3)。ところが一度奴隷になると、死ぬまで奴隷として生きなければなりませんでした。主人は奴隷を労働力として徹底的に利用しようとし、彼らの人権や幸福のことなど考えませんでした。これが当時の風習だったのです。しかし神様は、ヘブル人の奴隷を買う場合、六年間は仕えさせ、七年目には無償で去らせるように言われました。 もし、主人が一度自分のものと定めた女奴隷を気に入らなくなった場合、主人は、その女奴隷を外国人に売ることはできず、彼女が買い戻されることを許さねばなりません。また、女奴隷を息子に贈与するばあい、娘のように扱い、息子が他の人と結婚しても、その女奴隷には衣食住を保障しなければなりませんでした。神様は、すべての人の人間としての尊厳を大切にされました。すべての人が幸福に生き、お互いの人権を尊重するように掟を定められたのです。
今の時代に、奴隷制度は無いにしても、私たちは雇われ人や負債を負った人や弱者のことを考え、彼らの人権を尊重すべきです。彼らには幸福を求める権利があること、人間としての尊厳があることを認めなければなりません。この世で、人々は、貧困、制度、さらには罪などに束縛されています。しかし、神様の御心は、全ての人が自由に生きることなのです。
祈り:主よ!人間の自由を尊んでくださることを感謝します。私が、あなたの御心のままに、人々の尊厳や幸福のために働くことができますように。私を遣わしてください。
一言:私たちの自由を願われる神様






