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この方にいのちがあった
ヨハネの福音書 1:1-18

 「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(4)

 万物の初めに御言葉がありました。この御言葉は神様です。この御言葉は、人となって私たちの間に住まわれたイエス様を指します(14)。それでイエス様は単なる偉大な人間ではありません。イエス様は初めにおられた神様です。このイエス様によって万物は造られました。イエス様は万物のみなもとであり、全てのいのちのみなもとです。それでこのイエス様の中にいのちがあります。このいのちはただのいのちではありません。このいのちは霊的ないのちです。また生命力が満ち溢れる本当のいのちであり、永遠の命です。誰でもこのイエス様を信じる時、いのちを得ます。凍りついた大地を割って芽生える新芽のような、生命力が満ち溢れる新しい人生を生きることができます。自分の条件と環境がどうであれ、喜びと満足のある人生を生きることができます。何より永遠のいのちを得ます。またこのいのちは人々の光です。イエス様の光が臨む時、私たちは人生のさまざまな苦しみから救いを得ます。光の人生を生き、神様の子どもになる特権を得ます。
 イエス様は神様ですが、いのちの光をくださるために、人として私たちの中に来られました。罪によっていのちを失い、やみの中で生活している私たちに訪ねて来られ、最も低くなって訪ねて来られました。そしてイエス様は生涯蔑視と嘲笑を受けられました。徹底的にご自分を差し出されました。後には、十字架でご自分のいのちまでも差し出されることで、私たちにいのちと光をくださいました。このイエス様の中に恵みとまことが満ちています。

祈り:主よ!いのちと光として来てくださり、ありがとうございます。私は心を開いて、主イエス・キリストを受け入れます。私のいのちとなってください。

一言:いのちの光イエス様
カテゴリ:新約聖書::ヨハネの福音書

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祭司の資格
出エジプト記 29:1-46

 「あなたは、アロンとその子らを祭司職に任命せよ。」(9)

 神様はモーセにアロンとその子らに祭司職を委任し、聖別するように言われました。このためにまず祭司自身がすべきことを話されました。自分のためにささげるいけにえを準備した後、会見の天幕で水で洗った後、聖なる装束を着るように言われました。またそそぎの油を取って、その頭に注ぐように言われました(7)。そして準備した贖いのいけにえをささげるように言われました(10-14)。神様はこれを通して、彼らの罪を洗い、彼らをきよく区別されました。祭司は聖なる神様に出て行く人として、彼自身がまず内面の罪を清くすることで、聖別されなければなりません。神様に仕えるしもべの第一の資格は心の純潔ときよさです。きよくなければ、決して主の御業を行なうことができません。私たちが神様の御業に同労する神様の働き人になるためには、心の純潔ときよさを保たなければなりません。
 祭司は、贖いのいけにえに続いて、雄羊を全焼のいけにえとしてささげなければなりません(16-18)。全焼はいけにえの全てを火で焼くことであり、贖いに続く完全な献身を意味します。これを「なだめの供え物」と言います。これは毎日365日自分の生活を神様にささげることを意味します。神様の子どもである私たちは365日神様を恐れ敬い、心と思いと力を尽くして、神様に仕えなければなりません。安逸と怠惰を捨て、忠実に主の御業を行なわなければなりません。自分をきよい生きた供え物として神様にささげる生活をしなければなりません。

祈り:主よ!私に福音の祭司の務めをゆだねてくださり感謝します。私が忠実な福音の祭司になるように助けてください。

一言:きよく献身的な祭司
カテゴリ:旧約聖書::出エジプト記

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栄光ある祭司の務め
出エジプト記 28:1-43

 「彼らのために、栄光と美を表わすターバンを作らなければならない。」(40b)

 今日の御言葉は、祭司が着る装束についての内容です。神様はアロンのために聖なる装束を作る際、栄光と美を象徴するものとするように、命じられました (2,40)。実際に祭司が着る装束は華麗で、高価な材料で作られました。これは祭司が聖なる栄光ある神様に仕えるためです。ところが祭司の装束の中で最も重要なのは上着であるエポデと胸につける「さばきの胸あて」です。エポデの両肩には二つの肩当てがありますが、神様はその宝石にイスラエルの十二部族の名前を刻むように言われました。また「さばきの胸当て」の十二個の宝石にも、イスラエルの十二部族の名前を刻むように言われました(29)。これは祭司がイスラエルの民の仲介者として彼らの罪を肩に負って、神様の御前に出て行くことを意味します。また民たちの祈りを胸に抱いて、神様に出て行き神様の御旨を求めることを意味します。このように神様と人々の間に仲介者となり、民の罪ととがを心に抱いて祈り、神様の御心を表す仕事ほど尊く栄光あることはありません。それで神様は祭司の装束を栄光ある美しいものに作るように、命じられました。
 神様はキリストを通して、私たちを罪の中から救ってくださり、この時代の王である祭司として立ててくださいました(Ⅰペテ2:9)。腐敗し淫乱な時代に、祭司の務めを担うことはやさしいことではありません。しかしこの努めほど、価値があり美しく、栄光あるものはありません。

祈り:主よ!あなたは、この惨めな者を救われて、祭司の務めまでもお与えくださいました。私がこの恵みを覚えて、務めを担って行くことができますように。

一言:もっとも栄光ある務め
カテゴリ:旧約聖書::出エジプト記

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祭壇とともしび
出エジプト 27:1-21

 「夕方から朝まで、主の前にそのともしびをととのえなければならない。」(21)

 幕屋の外にある庭に、青銅で出来た祭壇が置かれました。この祭壇は祭司がいけにえをささげる時に、全焼のいけにえとしてささげる祭壇です(30: 28)。この祭壇の四隅には角がありますが、この角は救いや力を象徴します。人は罪によって火で焼かれ、死ぬしかありませんでしたが、獣が代わりに死にました。そしてその獣の犠牲によって、救いを得るようになりました。祭壇では、獣やほかのいけにえを焼いて神様にささげますが、これは100%の犠牲と献身を意味します。イエス様の血によって救われた神様の子どもたちが救いに満足して自分のために生きてはいけません。体と心を、神様が喜ばれる聖なる生きた供え物としてささげなければなりません。
 神様はモーセに純粋な油を使ってともしびを絶やさないように命じられました。ともしびは暗い夜に幕屋の内部を照らし、祭司の活動を容易にする役割を果たしました。神様は祭司たちが夕方から朝までいつも主の前にそのともしびをととのえるように命じられました。「ととのえる」とは「真心を込めて顧みて、整頓する」ことを意味します。またこの「ともしび」は主の子どもたちが世のやみを照らす光になるために、明るくする祈りの火を意味します。私たちはこの時代の祭司です。祭司たちが365日の間、真心を込めてともしびをととのえるように、福音の祭司たちもたえず祈りのともしびを絶やさないようにしなければなりません。世の人々のために目を覚まして祈らなければなりません。

祈り:主よ!私が、あなたが喜ばれる人生を生き、絶えず祈り、霊的な目を覚ましていることができますように助けてください。

一言:祈りのともしびをととのえよ
カテゴリ:旧約聖書::出エジプト記

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幕屋の様式
出エジプト 26:1-37

 「その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。」(33)

 今日の御言葉は、幕屋の内部構造についての記録ですが、その中で重要なのは垂れ幕と幕です。垂れ幕は幕屋を覆い隠す幕ですが、すべてつなぎ合わされています。一番内側にある幕はきれいな色でケルビムが織り込まれていて、一番外側にあるものは雨と暴風雨と暑さに直接さらされる部分なので、じゅごんの皮でおおわれていました(14)。従って外部からは幕屋の中にある神様の栄光を直接見ることはできません。ただ罪の赦しの恵みを受けた人々だけが神様の栄光を見る特権が与えられました。
 幕屋は至聖所と聖所から成り立っていますが、至聖所の中には、あかしの箱と贖いの蓋があります(33-34)。ここは大祭司であってもむやみに入ることができない場所です。今日大祭司が7月20日、大いなる贖罪の日に、獣の血で罪の赦しのいけにえをささげた後、入ることができます。それで聖所と至聖所は垂れ幕で厳格に区別しました。この垂れ幕は、まさに聖なる神様と罪を犯した人間の間にある障壁、つまり罪を象徴します。私たちは罪によって神様に出て行くことができませんでした。罪が神様と私たちの間を覆いました。生涯罪が与える苦痛と永遠のさばきを避けることができませんでした。しかしイエス様がみずから十字架で血を流され、肉が裂かれることで、人間の罪の問題を解決してくださいました。イエス様は私たちの仲介者になられ、神様に出て行くことができる新しい生ける道を設けてくださいました(ヘブ10:20)。今私たちはイエス様の恵みを受けて、大胆にいつでも神様に出て行けるようになりました。

祈り:主よ!イエス・キリストが十字架で死んだ、そのことの故に、私が神様の御前へと出て行く道が設けられました。このことを覚え感謝します。

一言:新しい生ける道
カテゴリ:旧約聖書::出エジプト記

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