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2008年03月26日 (水)
Iコリント 15:12-19
「もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。」(13)
I.もし、死者の復活がないなら(12-16)
当時、異邦人の信者たちの中には、ギリシャ哲学、特に二元論者の影響を受けて、たましいの不滅だけを信じ、肉体を悪いものと見なして、肉体の甦りを信じない者がいました。しかし死者が甦らないとすればどうでしょう。キリストも甦らなかったことになるのです(13,16)。キリストは私たちと同じ肉体を着て、この地に来られました。神様がこのようなキリストを再び甦らせました。それは、死者が甦ることを指し示します(15)。今日も、主に付くと言いながら、死者の復活を信じない人々がいます。彼らは世を愛します。信仰を、この世の成功や御利益のための手段のようにみなします。彼らは本当の望みを喪失しています。主の奇跡的な介入を信じることが出来ず、運命に沈んでいるのです。
II.キリストがよみがえらなかったなら(17-19)
キリストが甦らなければ、私たちの信仰はむなしく、私たちは罪の赦しを受けることができず、今なお自分の罪の中にいることになるのです(17)。永遠のいのちの望みもありません(18)。福音の証人たちは偽証者となり、キリストのために殉教した人々はみな滅びに至ります。偽りの望みにだまされて労苦し、献身して生きる聖徒たちは、誰よりも憐れです。
しかし、そうではないのです。イエス様は聖書に示す通りに死者の中から甦られたのです。それ故に、今も数多くの人々が復活の福音を信じて生かされ、罪の赦しの恵みを受け、復活の生ける望みの中に生きています。
祈り:主が甦られたこと、それが私たちの希望です。この望みの中、私は歩みます。聖なる巡礼者の道を歩んで行きます。
一言:最も憐れな者は、主に付くと言いながら甦りを拒絶する者
「もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。」(13)
I.もし、死者の復活がないなら(12-16)
当時、異邦人の信者たちの中には、ギリシャ哲学、特に二元論者の影響を受けて、たましいの不滅だけを信じ、肉体を悪いものと見なして、肉体の甦りを信じない者がいました。しかし死者が甦らないとすればどうでしょう。キリストも甦らなかったことになるのです(13,16)。キリストは私たちと同じ肉体を着て、この地に来られました。神様がこのようなキリストを再び甦らせました。それは、死者が甦ることを指し示します(15)。今日も、主に付くと言いながら、死者の復活を信じない人々がいます。彼らは世を愛します。信仰を、この世の成功や御利益のための手段のようにみなします。彼らは本当の望みを喪失しています。主の奇跡的な介入を信じることが出来ず、運命に沈んでいるのです。
II.キリストがよみがえらなかったなら(17-19)
キリストが甦らなければ、私たちの信仰はむなしく、私たちは罪の赦しを受けることができず、今なお自分の罪の中にいることになるのです(17)。永遠のいのちの望みもありません(18)。福音の証人たちは偽証者となり、キリストのために殉教した人々はみな滅びに至ります。偽りの望みにだまされて労苦し、献身して生きる聖徒たちは、誰よりも憐れです。
しかし、そうではないのです。イエス様は聖書に示す通りに死者の中から甦られたのです。それ故に、今も数多くの人々が復活の福音を信じて生かされ、罪の赦しの恵みを受け、復活の生ける望みの中に生きています。
祈り:主が甦られたこと、それが私たちの希望です。この望みの中、私は歩みます。聖なる巡礼者の道を歩んで行きます。
一言:最も憐れな者は、主に付くと言いながら甦りを拒絶する者
2008年03月25日 (火)
Iコリント 15:5-11
「そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。」(8)
I.十二弟子に現れた(5-7)
使徒パウロは、キリストの甦りが確かなものであることを証しするため、その証人たちを列挙します。よみがえられたイエス様はまず最初にケパ、すなわちペテロに現れ、その後、十二弟子に現れました。そして五百人以上の兄弟たちに同時に現れます。その中の大多数の者は今なお生きているのです。その後、主の兄弟のヤコブと全ての使徒たちに現れました。彼らはみなイエス様の甦りに出会ったとき、新しい人生へと変えられました。恐れおののいていた者が勇気ある者に、利己的な者が犠牲を払う者に、目の前の生活ばかりに心奪われていた者が霊的な指導者、歴史の創造者に変えられたのです。
II.私にも現れました(8-11)
よみがえられたキリストは最後に月足らずで生まれた者と同様なパウロにも現れます。過去、彼は神様の教会を迫害した福音の敵、罪人のかしらだったのです。しかしよみがえられた主は彼に訪ねて来られました。彼の人生は変えられました。月足らずで生まれたような、足りない者にも、神様の限りない恵みが臨んだのです。パウロはこの恵みに感激し、この恵みを無駄なものにしないために、ほかのすべての使徒たちよりも多く働くようになります(10)。よみがえられたキリストは迫害する者だったパウロを復活の証人へと造り変えられたのです。キリストの復活は、一人の人生を新しくされます。
祈り:主よ!あなたは、私のような者にも訪ねて来られ、造り変えてくださいました。私は人生を通じて、あなたの甦りを証しします。
一言:甦りの証人として
「そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。」(8)
I.十二弟子に現れた(5-7)
使徒パウロは、キリストの甦りが確かなものであることを証しするため、その証人たちを列挙します。よみがえられたイエス様はまず最初にケパ、すなわちペテロに現れ、その後、十二弟子に現れました。そして五百人以上の兄弟たちに同時に現れます。その中の大多数の者は今なお生きているのです。その後、主の兄弟のヤコブと全ての使徒たちに現れました。彼らはみなイエス様の甦りに出会ったとき、新しい人生へと変えられました。恐れおののいていた者が勇気ある者に、利己的な者が犠牲を払う者に、目の前の生活ばかりに心奪われていた者が霊的な指導者、歴史の創造者に変えられたのです。
II.私にも現れました(8-11)
よみがえられたキリストは最後に月足らずで生まれた者と同様なパウロにも現れます。過去、彼は神様の教会を迫害した福音の敵、罪人のかしらだったのです。しかしよみがえられた主は彼に訪ねて来られました。彼の人生は変えられました。月足らずで生まれたような、足りない者にも、神様の限りない恵みが臨んだのです。パウロはこの恵みに感激し、この恵みを無駄なものにしないために、ほかのすべての使徒たちよりも多く働くようになります(10)。よみがえられたキリストは迫害する者だったパウロを復活の証人へと造り変えられたのです。キリストの復活は、一人の人生を新しくされます。
祈り:主よ!あなたは、私のような者にも訪ねて来られ、造り変えてくださいました。私は人生を通じて、あなたの甦りを証しします。
一言:甦りの証人として
2008年03月24日 (月)
Ⅰコリント 15:1-4
「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、」(3)
Ⅰ.この福音によって救われるのです(1-2)
コリント教会の聖徒たちは、使徒パウロの伝えた福音を受け入れ、その中に立っていました。しかし歳月が流れると、世の惑わし、現実の苦難の中に在って、最初に受けた福音を覚え、守り抜くことができなくなっていました。パウロはこのような彼らにもう一度福音を思い起こさせました。「また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。」(2)。私たちは恵みによって福音を受け入れました。この福音はすべての信じる者を救いに至らせる神様の力です(ロマ1:16)。私たちはこの福音をしっかりと保っている必要があります。
Ⅱ.私たちの罪のために死なれ(3-4)
パウロは、「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと」と証ししています。キリストの死と復活は神様の救いの御業の中心で、人類の歴史の転換です。キリストは、死なれよみがえられました。それによって、罪と死の勢力を打ち砕き、サタンの支配の下で苦しみあえいでいた人々を救われたのです。誰でもこのイエス様を信じるなら、死の勢力に苦しめられることはありません。永遠のいのちと平和と幸福を受けます。罪の赦しの確信と神様の御国に対する生ける望みを持つのです。
イエス様の死と復活は偶然のできごとではありません。聖書に預言された神様の約束が成就されたのです。神様が約束された救いの約束、この信頼すべき約束が、確かに成就されたのです。
祈り:主よ!あなたは、私のために十字架で死なれ、よみがえられました。このことを覚え、感謝します。私は、この福音をいつも保って行きます。
一言:私のために死なれ、よみがえられた主イエス・キリスト
「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、」(3)
Ⅰ.この福音によって救われるのです(1-2)
コリント教会の聖徒たちは、使徒パウロの伝えた福音を受け入れ、その中に立っていました。しかし歳月が流れると、世の惑わし、現実の苦難の中に在って、最初に受けた福音を覚え、守り抜くことができなくなっていました。パウロはこのような彼らにもう一度福音を思い起こさせました。「また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。」(2)。私たちは恵みによって福音を受け入れました。この福音はすべての信じる者を救いに至らせる神様の力です(ロマ1:16)。私たちはこの福音をしっかりと保っている必要があります。
Ⅱ.私たちの罪のために死なれ(3-4)
パウロは、「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと」と証ししています。キリストの死と復活は神様の救いの御業の中心で、人類の歴史の転換です。キリストは、死なれよみがえられました。それによって、罪と死の勢力を打ち砕き、サタンの支配の下で苦しみあえいでいた人々を救われたのです。誰でもこのイエス様を信じるなら、死の勢力に苦しめられることはありません。永遠のいのちと平和と幸福を受けます。罪の赦しの確信と神様の御国に対する生ける望みを持つのです。
イエス様の死と復活は偶然のできごとではありません。聖書に預言された神様の約束が成就されたのです。神様が約束された救いの約束、この信頼すべき約束が、確かに成就されたのです。
祈り:主よ!あなたは、私のために十字架で死なれ、よみがえられました。このことを覚え、感謝します。私は、この福音をいつも保って行きます。
一言:私のために死なれ、よみがえられた主イエス・キリスト
2008年03月23日 (日)
出エジプト記 9:1-12
「主の手は、野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下り、非常に激しい疫病が起こる。」(3)
パロは、あぶの災いによってひどいめに会うと、イスラエルを近くの荒野に行かせることを約束しました。しかし災いが終わると、またかたくなになります。神様は、今度はひどい疫病と腫物で人と家畜を打たれました。これは生物に感染する伝染病とひどい皮膚病のことでした。以前の災いはしばらくの間、苦しみを与えるものでしたが、この災いは、命と直結したものでした。パロは死の警告も無視してイスラエルの民を解放しなかったため、ひどい疫病を招いて、エジプトの全ての家畜が死に絶えました。しかし、イスラエルの家畜は一頭も死にませんでした。疫病で家畜を殺すことは、エジプトの雄牛の神「アピス(Apis)」と「アヌビス (Anubis)」、雌牛の守護神「ハトホル(Hathor)」を打たれたことをも意味します。しかし、パロの心は依然としてかたくなで、民を解放しようとはしませんでした。
今度は、モーセがパロの前に立って、かまどのすすを両手いっぱいに取り、天に向けてまき散らすと、その灰がエジプト全土の細かいほこりとなり、エジプト全土の人と獣について、腫物になりました。腫物は皮膚が赤くただれ、ひどいかゆみと水ぶくれとうみで苦しむ恐ろしい皮膚病です。今までモーセと争っていた呪法師たちにも腫物ができ、モーセの前に立つことができませんでした。神様は今度は医術の神「イムホテプ(Imhotep)」を打たれたのです。パロはエジプトの家畜が死に、人々が苦しむのを目の当たりにしながらも、なお心を頑なにし、御言葉を聞こうとはしませんでした。神様の警告を無視すれば、更にひどい災いがもたらされます。手遅れになる前に神様の前に立ち返る必要があるのです。
祈り:父なる神様!さまざまな出来事を通して、私が自らの罪を悟ることができますように。そして、そのとき、すぐにあなたの御許に立ち返ることができますように。私を助け導いてください。
一言:災いの来る前に悔い改めを
「主の手は、野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下り、非常に激しい疫病が起こる。」(3)
パロは、あぶの災いによってひどいめに会うと、イスラエルを近くの荒野に行かせることを約束しました。しかし災いが終わると、またかたくなになります。神様は、今度はひどい疫病と腫物で人と家畜を打たれました。これは生物に感染する伝染病とひどい皮膚病のことでした。以前の災いはしばらくの間、苦しみを与えるものでしたが、この災いは、命と直結したものでした。パロは死の警告も無視してイスラエルの民を解放しなかったため、ひどい疫病を招いて、エジプトの全ての家畜が死に絶えました。しかし、イスラエルの家畜は一頭も死にませんでした。疫病で家畜を殺すことは、エジプトの雄牛の神「アピス(Apis)」と「アヌビス (Anubis)」、雌牛の守護神「ハトホル(Hathor)」を打たれたことをも意味します。しかし、パロの心は依然としてかたくなで、民を解放しようとはしませんでした。
今度は、モーセがパロの前に立って、かまどのすすを両手いっぱいに取り、天に向けてまき散らすと、その灰がエジプト全土の細かいほこりとなり、エジプト全土の人と獣について、腫物になりました。腫物は皮膚が赤くただれ、ひどいかゆみと水ぶくれとうみで苦しむ恐ろしい皮膚病です。今までモーセと争っていた呪法師たちにも腫物ができ、モーセの前に立つことができませんでした。神様は今度は医術の神「イムホテプ(Imhotep)」を打たれたのです。パロはエジプトの家畜が死に、人々が苦しむのを目の当たりにしながらも、なお心を頑なにし、御言葉を聞こうとはしませんでした。神様の警告を無視すれば、更にひどい災いがもたらされます。手遅れになる前に神様の前に立ち返る必要があるのです。
祈り:父なる神様!さまざまな出来事を通して、私が自らの罪を悟ることができますように。そして、そのとき、すぐにあなたの御許に立ち返ることができますように。私を助け導いてください。
一言:災いの来る前に悔い改めを
2008年03月22日 (土)
出エジプト記 8:20-32
「わたしは、あぶの群れを、あなたとあなたの家臣とあなたの民の中に、またあなたの家の中に放つ。」(21)
神様の御告げは明らかなものでした。「わたしの民を行かせ、彼らをわたしに仕えさせよ。」しかしパロはかたくなでした。神様は、第四の災い、あぶの災いを警告されます。パロが神様の民を解放しなければ、今度はエジプト人の家の中があぶの群れで満ち、彼らが住む全土も、そのようになるというのです。ですが、エジプト人の家とイスラエル人の家は区別されました。パロの宮とエジプト人たちの家にだけ、無数のあぶの群れがおおい、地は害され、廃墟のようになりました。この出来事は、主なる神様が奴隷の民の民俗的な神ではなく、全地の神であることがあらわします。また、主なる神様があぶの神「ハテコク」を退けられたことを意味します。
あぶの群れによって激しい被害を受けたパロはモーセを呼んで、今度は一歩踏み込んで妥協案を提示しました。荒野に行かずに、エジプトの地でいけにえをささげるということでした。しかしモーセは彼にだまされることなく、この提案を拒否しました。主の命令通り、荒野に三日の道のりを旅して、主にいけにえをささげることを譲りませんでした。モーセは、かたくなだったパロが妥協案を出してきても、それを鵜呑みにはしませんでした。自分の思いのままに、どこで礼拝をささげても良いとは考えなかったのです。主の命じられた御言葉に従って、主が定められた場所で礼拝を守ることを優先しました。モーセは神様の御言葉を全てに先立つものとし、このことに妥協しませんでした。彼は御言葉に根差したのです。
祈り:父なる神様!私を御守りください。あなたの御言葉に根差すように、根無し草のような妥協を選ぶことの無いように、御守りください。
一言:御言葉に根差す
「わたしは、あぶの群れを、あなたとあなたの家臣とあなたの民の中に、またあなたの家の中に放つ。」(21)
神様の御告げは明らかなものでした。「わたしの民を行かせ、彼らをわたしに仕えさせよ。」しかしパロはかたくなでした。神様は、第四の災い、あぶの災いを警告されます。パロが神様の民を解放しなければ、今度はエジプト人の家の中があぶの群れで満ち、彼らが住む全土も、そのようになるというのです。ですが、エジプト人の家とイスラエル人の家は区別されました。パロの宮とエジプト人たちの家にだけ、無数のあぶの群れがおおい、地は害され、廃墟のようになりました。この出来事は、主なる神様が奴隷の民の民俗的な神ではなく、全地の神であることがあらわします。また、主なる神様があぶの神「ハテコク」を退けられたことを意味します。
あぶの群れによって激しい被害を受けたパロはモーセを呼んで、今度は一歩踏み込んで妥協案を提示しました。荒野に行かずに、エジプトの地でいけにえをささげるということでした。しかしモーセは彼にだまされることなく、この提案を拒否しました。主の命令通り、荒野に三日の道のりを旅して、主にいけにえをささげることを譲りませんでした。モーセは、かたくなだったパロが妥協案を出してきても、それを鵜呑みにはしませんでした。自分の思いのままに、どこで礼拝をささげても良いとは考えなかったのです。主の命じられた御言葉に従って、主が定められた場所で礼拝を守ることを優先しました。モーセは神様の御言葉を全てに先立つものとし、このことに妥協しませんでした。彼は御言葉に根差したのです。
祈り:父なる神様!私を御守りください。あなたの御言葉に根差すように、根無し草のような妥協を選ぶことの無いように、御守りください。
一言:御言葉に根差す






