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雹の災い
出エジプト記 9:13-35

 「雹が降り、雹のただ中を火がひらめき渡った。」(24)

 神様は、今まで地の害虫と病菌でパロを打たれました。今度は天の雹と火で打たれました。この災いで、天と地に神様のような方は他におられないことを知らせようとされました。神様は疫病(伝染病)で、すぐにパロとその民を打って、滅ぼすことも御出来になるのです。しかし主の力と御名を全地に伝えるように、そのようにはされませんでした。神様は依然頑ななパロをとがめられます。パロは、多くの災いの中で生き残ったのは、自分が神様より高いからと錯覚していたようです。それ故に、神様は雹と火を降らせ、天にさらに高い方がおられることを知らせるのです。この災いで、パロが仕える天の神「ヌート(Nuit)」と大気の神「シュー(Shu)」をも打たれるのです。雹と火が激しく降り、エジプトの全土で人と家畜は打たれました。畑の全ての作物も打たれ、野の全ての木も倒れます。しかしイスラエルの民が住むゴシェンの地にだけは雹が降りませんでした。
 雹の災いは激しく、パロはモーセを呼んで言いました。「今度は、私は罪を犯した。主は正しいお方だ。私と私の民は悪者だ。」そしてイスラエルを解放するから雹をやませるようにと頼みました。しかしモーセは言います。「あなたとあなたの家臣が、まだ、神である主を恐れていないことを、私は知っています。」 その言葉通り、パロは雨と雹と雷がやんだのを見て、再び心を閉ざしました。彼は悔い改めたのではなく、災いから逃れるために、暫し後悔したにすぎなかったのです。

祈り:父なる神様!私は、天が高いことを知らずに驕り高ぶっていました。今、悔い改めて、あなたを畏れ、あなたに聞き従う者になるように助け導いてください。

一言:驕り高ぶりの故に
カテゴリ:旧約聖書::出エジプト記

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最後の勝利
Iコリント 15:50-58

 「しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(57)

I.死よ、おまえの勝利はどこにあるのか(50-17)
 死は全人類の上に君臨して来ました。人々は死を恐れ、どうすることもできずに、卑しく罪深い生活をしながらも、死なないように地団駄を踏みましたが、終には死んで行きました。しかしその日、キリストが再び来られる日には、死の力は滅ぼされます。罪と律法も、完全にその力を失うのです。
 今、パウロは甦りへの希望に満たされて、勝利を叫びます。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(55)。この確信を持つ時、人は死の恐れから自由になるのです。

II.主のわざに励みなさい(58)
 この世は、私たち聖徒たちを、さまざまなかたちで惑わしています。このような誘惑の前で、甦りを信じる信仰は動揺し、いつしか虚しいものを追っていることがあります。将来への恐れのために、自分のことばかりを考え、主の御業に無関心になることもあるでしょう。しかしこの世はしばらくの間だけで、この世の全てのものは結局は虚無に帰すのです。永遠の天の御国に持って行けるものは、主への信仰と愛だけです。つまりは、この世で虚しくないのは、信仰による働きだけなのです。主の甦りを信じて揺れ動かされることなく、いつも主のわざに励もうではありませんか。

祈り:主よ!あなたは、死の力を打ち砕き、最後の勝利をもたらす御方です。このことを覚えて感謝します。私を、ただただ、あなたの御業に励むものとして御用いください。

一言:勝利をもたらされる御方
カテゴリ:新約聖書::テサロニケ人への手紙第一

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甦りの栄光
Iコリント 15:35-49

 「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」(44)

 昔も今も、人々は甦りの体を、今と同じ体であるかのように考える傾向にあります。果たして私たちは、どのような姿でよみがえるのでしょうか。パウロは種のたとえをもって説明します。地に蒔かれた種は死んで甦るのです。ある人は、「甦るのなら、何のために死ぬのか。」と言うかも知れません。しかし甦るために死を通らなければならないのです。死は終わりではなく、甦りに先立つものです。
 おのおのの種はさまざまな形の花を咲かせます。種はごく小さなものですが、その種から、種とは比べられない美しい花が咲くのです。種の姿と、そこから咲く花の姿は明らかに違います。今の私たちの体は種粒のようなものです。しかしこの朽ちる体が蒔かれると、朽ちないものに甦るのです。卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされます。甦りの体は、「五欲七情」と「生老病死」に苦しめられる卑しい体ではありません。御霊に属する体です。死ぬ体ではなく、もはや死ぬことのない体です。
 私たちはアダムの子孫として、土から出て、土に属する体を着るようになりました。しかし、やがて来る日、私たちはイエス様によって天に属する者の体を着るのです。イエス・キリストと共に御霊に属する体を着て、永遠に主と共に生きるのです。

祈り:主よ!卑しく弱いこの体が、その日には、栄光の体を着るようになるとは・・・。私はこの栄光を慕い求めています。あなたの甦りの望みの中に生きて行きます。

一言:天に属する者の体
カテゴリ:新約聖書::コリント人への手紙第一

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毎日が死の連続です
Iコリント 15:29-34

 「兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。」(30)

I.毎日が死の連続です(29-31)
 使徒パウロは今、甦りを信じる人々に、行くべき道を指し示しています。彼自身の生き方を一つのたとえとして勧めているのです。パウロは甦りの望みの故に、多くの危険の中にあっても福音を伝えることができました。彼の生きる道は、一言で言うならば、毎日が死の連続だったのです(31)。彼は、毎日死を味わうほどの苦難を受けていました。彼はキリストに従うために、日々自分を捨てました。彼は、安逸に生きる道も、世の栄光を求める道も捨てました。彼はこの世でいくらでも認められることができる人物だったはずです。しかし彼は甦りの望みに生き、この世の栄光を犠牲にしました。甦りの望みに生きることは、この世を避ける隠遁生活ではありません。この世に在って、苦難や犠牲をも喜びとする生き方です。

II.目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめさない(32-34)
 甦りに望みを置かない人々の生活はどうだったのでしょう。彼らは「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」と言いました(32)。退廃的で、むなしい生き方に身を委ねました。この世で全てが終るのであれば、できる限り楽しんで生きれば良いでしょう。しかしこの世の人生はむしろほんのつかの間です。復活の望みの中で生きる人々は神様の御国での永遠のために、瞬く間に過ぎ去るこの世で目をさまし、主を仰ぎ見て生きて行くのです。

祈り:主よ!あなたの甦りの望みの中で生きています。私が、その日その日の快楽に耽る世の人々に流されず、目を覚まし、日々、あなたを仰ぎ見て歩むことができますように、御導きください。

一言:死の連続を生きる
カテゴリ:新約聖書::コリント人への手紙第一

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眠った者の初穂
Iコリント 15:20-28

 「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(20)

I.初穂キリスト(20-23)
 今やキリストは死者の中からよみがえられ、眠った者の初穂になられました。「初穂」とはこれから収穫する実がどんなものであるのかを指し示します。よみがえられたキリストは初穂です。すなわち、私たちも、やがてイエス様のようによみがえるのです。ある人は、「人がどのようにして死んで、もう一度よみがえることができるのか。」と言うでしょう。しかし死は人によってもたらされました。同様にして、死者の甦りも人によってもたらされます。アダムは神様に背を向けて、永遠から断絶し、全ての人に罪と死をもたらしました。しかしキリストは神様とともに歩まれ、私たちの身代わりとして十字架で御自身を捧げられました。この御方を信じるとき、私たちは罪の赦しに与り、永遠のいのちに与り、復活の初穂であるキリストに導かれて、やがて甦るのです。私たちは誰の中にいるのか、すなわち誰の支配に与っているのかは、私たちの行き先を決定します。アダムの中にいれば死、キリストの中にいるなら永遠のいのちを受けるのです。

II.万物の主キリスト(24-28)
 復活の順番は、初穂であるキリスト、次には、キリストが再臨される時、キリストにつながった者、すなわち甦りの信仰に立つ者です。その後、イエス様はあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼされます。そして最後には人間の最大の敵である死までをも滅ぼされます。イエス様が万物の主として、永遠に万物を統治されるようになるのです。

祈り:主よ!あなたは、死者の中からよみがえられ、初穂となられました。このことを覚え、感謝します。私を導いてください。永遠の命に至るまで導いてください。

一言:初穂キリスト
カテゴリ:新約聖書::コリント人への手紙第一

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