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信仰を守り通しました
IIテモテ 4:1-8

 「走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(7)

 パウロはローマの監獄につながれています。しかし司令官のように霊的な子どもテモテに厳しく命じました。「みことばを宣べ伝えなさい。」さばき主であるキリストの再臨が近づきました。私たちの使命はさばきの日が来る前に、一人でも多く助けることです。御言葉を伝えることは、切迫し緊迫した命令です。御言葉を伝える時が別にあるわけではありません。時が良くても悪くてもしっかりやらなければなりません。人は真理の御言葉を聞くことを嫌います。聖書勉強に関心がある人は多くいません。それでも私たちは続けて伝えなければなりません。伝道の生活は苦難の生活です。苦難を嫌うなら伝道者になることができません。私たちは苦難を受け、伝道者の道を行かなければなりません。
 パウロは伝道者として自分の人生を注ぎの供え物のように注ぎました。今彼が世を去る時が近づきました。しかし彼は悲しみに陥りませんでした。彼は霊的な兵士として勇敢に戦いました。霊的なアスリートとして走るべき道のりを終えました。彼は生涯信仰を守り通しました。主に対する彼の信仰を倒そうとする数多くの敵たちがいました。絶望と恐れのために信仰の道が険しいこともありました。しかし彼は最後まで信仰を守りました。パウロは自分に義の栄光が用意されていることを確信しました。正しい審判者である主が自分の頭に栄光ある勝利の冠をかぶらせてくださることを慕い求めました。私たちが信仰を守り通した時、主は必ず義の冠をかぶらせてくださいます。新年も信仰を守り通し、伝道者の道を熱心に歩んで行くことができるように祈ります。

祈り:主よ!今日まで信仰を守り通すように助けてくださり感謝します。義の冠を慕い求め、信仰を守り通すことができるように助けてください。

一言:信仰を守り通しなさい
カテゴリ:新約聖書::テモテへの手紙第二

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守らなければならない御言葉
創世記 2:8-17

 「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(17)

 人間に対する神様の愛は続きました。神様は人間のために東の方エデンに美しい楽園を造られました。そこには見るからに好ましく食べるのに良いすべての木が満ちていました。おいしそうに見えるのに食べて見るとまずいと、これはどれだけ失望させられることでしょうか。また美しい川がエデンの園を潤して流れました。神様は、造られた人間に、エデンを耕し守るようにされました。
 そうしながら人間に必ず守るべき御言葉を与えました。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」神様は人間に無限の自由をお与えになりました。ところが無限の自由の中で、一つのことを禁じられました。「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。」ということです。これは人間に与えられた最初の戒めの御言葉です。神様が戒めを与えられるのは自由を制限するためではありません。罪に陥るようにわなをしかけるためでもありません。さらに自由を享受するためでした。いのちの道からそれないようにするためでした。無限の自由を受けていて、誤れば放縦に陥ることもあります。神様も無視して自分勝手にしてしまいます。そうすれば人間は不幸になってしまいます。戒めの御言葉があることで、神様が与えられたエデンの園での自由と幸福が守られます。私たちは戒めの御言葉に感謝し、従わなければなりません。

祈り:主よ!私が戒めの御言葉に聞き従うことで、神様が下さった自由と幸福を享受することができるように助けてください。

一言:戒めは幸福を守る
カテゴリ:旧約聖書::創世記

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いのちの息を吹き込まれた
創世記 2:1-7

 「その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(7)

 神様の創造の御業は仕上げに入りました。神様は第七日目に休まれました。そしてその日を祝福し、聖であるとされました。安息日は他の日と区別された祝福の日です。私たちは安息日は他の日と区別して過ごさなければなりません。だからといって、安息日は無条件ただ休む日ではありません。神様を礼拝し、交わらなければなりません。神様の創造の御業を黙想しなければなりません。そうすれば普通の日とは違う特別な祝福が私たちと共にあります。
 2:4節からは、人間の創造を中心に、もう一度創造の御業を記録しています。主人公である人間が創造される前、地は寂寞とし淋しい状態でした。神様は地のちりで人を造られました。そしてその花にいのちの息を吹き込まれました。すると人は生きものとなりました。「生きものとなった」という意味は、生きて動く存在になったという意味です。神様のいのちの息がなければ、人は土の塊に過ぎませんでした。このような人間にいのちをくださった方は神様です。神様はいのちの源です。人々は時にはいのちが自分のものだと思い、自分勝手に振舞おうとします。しかしいのちは神様のものです。私たちはいのちをくださった神様に感謝し、貴く思わなければなりません。神様のために生きなければなりません。一方神様のいのちの息は、今日罪によって死んだ私たちを生かします。神様のいのちの息が私たちの中に入って行った時、どんな罪人も生き返ります(エゼ37:9)。生き返るだけではなく、生命力が満ち溢れる生活をするようになります。神様のいのちの息の働きはすなわちいのちの働きです。私たちはこのいのちの息の働きを望まなければなりません。

祈り:主よ!私にも神様のいのちの息を吹き入れて、生かしてくださり、生命力あふれる人生を過ごすように助けてください。

一言:いのちの息の働き
カテゴリ:旧約聖書::創世記

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非常によかった
創世記 1:26-31

 「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。」(31)

 私たちが生きるこの時代は相対的な時代です。人々は相対的な価値観に捕らわれ、人間も相対的に評価します。自分自身も他の人と比較します。これを通して、優越感にひたったり、劣等感に陥ったりもします。しかし私たち人間は、神様がご覧になる時、最も貴い存在であり、絶対的な存在です。人間創造は神様の創造の御業の絶頂です。神様は人間を創造する時、特別な御旨を置かれました。他の被造物とは違って、神様のかたちに造られました。神様の内面的な属性を持った存在として造られたことで、人間と交わろうとされました。神様の代理人として万物の上に上げられ、征服し、治めるようにされました。このようにして造られた人間は傑作中の傑作でした。人間の創造の後、神様はお造りになったすべての物をご覧になりました。それは非常によかったのです。人間創造によって、創造の働きが100%完成しました。
 私たち人間は、神様の目には非常に良い存在です。人間条件に関係なく、神様の御前で絶対的な存在意味と価値があります。なぜ私を他の人と比べるのでしょうか。神様の御前で私がどんな存在であるのかを発見しなければなりません。私は神様の前で非常に良い存在です。誰が何と言っても最も貴い存在です。私を尊く思い、自負心を持たなければなりません。更に進んで、他の人も同じように貴く思わなければなりません。神様の御前で人間の価値を発見する時、本当の人間の尊厳があるのです。

祈り:主よ!私が他の人々と比べずに、神様の前で絶対的な存在として生きるように助け手ください。

一言:私は非常に良い存在
カテゴリ:旧約聖書::創世記

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そのようになった
創世記 1:6-25

 「『その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。』と仰せられた。するとそのようになった。」(24)

 神様の最初の創造作品は光です。神様の創造は六日間に渡りました。神様は世のすべての万物を驚くことに、御言葉によって造られました。人々は何か材料があれば作ることができます。しかし神様は何もない無から、ただ御言葉だけで創り出されます。神様が言われると、そのようになりました。「その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と言われると、そのようになりました。「その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。」と言われると、全ての獣が一瞬のうちに造り出されました。神様の御言葉の力はどれだけ大いなるものでしょうか。神様の御言葉は、無から有を造り出す力ある御言葉です。神様の御言葉は生きていて、運動力があります。神様の御言葉を無視する人々がいます。しかしご覧下さい。神様の御言葉はそのようになります。そのようになるので、絶対真理です。神様の御言葉は、今日でもそれを信じる人々に創造の御業を成し遂げられます。人々の言葉と活字も私たちに悟りと感動を与えます。部分改造を行ないます。しかし創造の力はありません。神様から離れた私たち人間は改造ではなく、新しい創造が必要です。新しい被造物にならなければなりません。神様の御言葉が私たちを新しく造り変えます。神様の御言葉を、謙遜に心から受け入れるなら、御言葉は私たちの内側からそのまま働きます。それでどんなに望みのない罪人であっても、御言葉の中では望みがあるのです。

祈り:主よ!私が神様の創造の御言葉を受け入れるので、私にも創造の御業を成してください。

一言:創造の御言葉
カテゴリ:旧約聖書::創世記

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