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王である祭司
Iペテロ 2:4-10

 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」(9a)

I.尊い生ける石(4-8)
 イエス様は人には捨てられました。しかし神様の目には選ばれた、尊い、生ける石だったのです。神様はイエス様を礎の石とされ、霊の家を建てられます。その家は、イエス様について行く弟子たちの集まりであり、神様が自ら設計し、お建てになられた教会です。私たちが生ける石である主イエス様に進み出て行く時、私たちも生ける石として霊の家に建てられます。そして、神様が喜ばれるいけにえをささげる聖なる祭司となるのです。イエス様を信じて従う者たちには、イエス様は宝となります。しかしイエス様を信じず、聞き従わない者たちには、つまずきの石、妨げの岩となります。

II.すばらしいみわざを宣べ伝えるために(9,10)
 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」(9a)。この御言葉は、私たちが主に在って、いかなる存在であるのかを、教えています。祭司は民のたましいのために祈り、彼らを神様に導く者です。祭司の務めが美しく尊いものです。それは、人々の霊的ないのちを生かす務めがあるからです。聖徒たちは神様が自ら選ばれ、お立てになられた祭司です。それも普通の祭司でなく、王である祭司です。神様が私たちをこのように尊い者としてくださったのは何故でしょうか。それは私たちをやみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった主御自身の、すばらしいみわざを宣べ伝えるためです。

祈り:主よ!私を王である祭司としてくださり、まことにありがとうございます。今や、私は、心からあなたの御業を宣べ伝えたく思います。

一言:あなたがたは王である祭司
カテゴリ:新約聖書::ペテロの手紙第一

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みことばの乳を慕い求めなさい
Iペテロ 1:13-2:3

 「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。」(2:2a)

I.あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい(1:13-21)
 天の御国に対する望みを持って生きている人々は、心を引き締め、身を慎むべきです。イエス・キリストが現れる時にもたらされる恵みをひたすら待ち望むべきです。過去イエス様を知らなかった時に行なったように、行なうべきではありません。主に在る者たちはあらゆる行ないにおいて聖なるものとされるべきなのです。なぜでしょうか。それは私たちを召された神様が聖なる方であり、人の行ないによってさばかれるからです。私たちが先祖たちのむなしい生き方から贖い出されたのは、イエス様の尊い血によるものでした。その血は私たちを聖なる者とする血です。

II.救いを得るために成長しなさい(1:22-2:3)
 主に在る私たちは互いに熱く愛し合うべきです。私たちは、イエス様を信じた時に、偽りのない兄弟愛を抱く存在になりました。また、主に在る私たちは生まれたばかりの乳飲み子が母乳を求めるように、神様の御言葉を慕い求めるべきです。神様の御言葉こそが私たちのたましいを育てるみことばの乳だからです。世にある全てのものはしばらくの間ありますが、消えてしまうものです。しかし神様の御言葉は永遠なのです。私たちは、生きていて、永遠のものである神様の御言葉によって生まれ変わりました。ですから私たちは、この世のどんなものよりも、御言葉を愛し、慕い求めようではありませんか。救いを受ける者に相応しく成長できるように。

祈り:主よ!私がこれまで兄弟を熱く愛すことなく、御言葉を慕い求めなかったことを悔い改めます。

一言:神様の御言葉を慕い求めます
カテゴリ:新約聖書::ペテロの手紙第一

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生ける望み
Iペテロ 1:1-12

 「私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」(3b)

I.天の資産を受け継ぐようにしてくださいました(1-5)
 使徒ペテロは迫害によって散らされた主に在る人々に書き送る手紙の中で、彼らを「寄留者」と呼んでいます。私たちはこの世にしばらく留まっているだけの「寄留者」です。私たちは寄留者として生きようではありませんか。しかしながら、主に在る者は、ただの寄留者ではありません。「神様に選ばれた寄留者」すなわち聖なる寄留者なのです。なぜでしょう。それは私たちの主イエス・キリストの父なる神様が私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださったからです(4)。生ける望みとは、私たちを生かす望み、永遠に生きる望みを指しています。世の多くの人々は死んだ望みを握り締めて生きています。しかし主に在る私たちには生ける望みがあります。神様は私たちが、朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。それは神様が私たちのために、天にたくわえてくださったものです。

II.試練の意味(5-12)
 主に取り分けられた人々は、世の人々と価値観や人生観、また望みが異なるため、この世で生きている間は、多くの試練を受けることになります。ですが、それらは決して無意味な苦難ではありません。なぜなら私たちの信仰を精錬される神様による訓練だからです。使徒ペテロは、「(あなたがたの信仰は)火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊い。」と言いました。信仰の試練によって、私たちは、イエス様が再び来られる時、称賛と賛美と栄光に至るようになるのです。

祈り:主よ!信仰の試練をくださり感謝します。

一言:試練は辛い、しかしその実は甘い
カテゴリ:新約聖書::ペテロの手紙第一

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苦難の中で耐え忍びなさい
ヤコブ 5:1-20

 「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。」(8)

I.主が来られる日まで望みなさい(1-12)
 主に在る人々が、この世にあって正しく生きようとする時、不利益や苦難、迫害を受け、反対に不義を行なう者たちがよくなることがあります。その時、主に在る者はどのような姿勢を持つべきでしょうか。主に在る者はキリストの降臨を待っている人々です。主が降臨される時には、全ての義が実現されます。その時には、神様よりも金銭を愛し、不正な方法で財産を得たものは、それに応じて裁かれます。彼らはほふられる日のために肥えていく家畜のようです。神様の子どもたちは、農夫たちが尊い実を期待して、早い雨と遅い雨を待ち望むように、耐え忍んで主の降臨を待ち望むべきです。旧約の預言者たちも、苦難を長く耐え忍び、今に生きる私たちに手本を見せました。ヨブは苦難の中で、最後まで耐え忍び信仰の勝利を得て、神様の大きな祝福を得ました。主の降臨を待ち望み、信仰によって忍耐する者に、神様の祝福と栄光が臨みます。

II.苦難の中で祈りなさい(13-20)
 苦しみのなかにある人は祈り、喜びのなかにある人は神様を賛美しましょう(13)。病気の人は信仰のある長老たちを招き、祈ってもらうのが良いです。信仰による祈りは病む人を回復させる力があります。義人の祈りは働くと、大きな力があります。終末の時、何よりも力を注ぐべきこと、それは祈りなのです。

祈り:主よ!世には多くの問題がありますが、耐え忍び、信仰によって祈るこの時代の義人になるように助けてください。

一言:忍耐と祈り
カテゴリ:新約聖書::ヤコブの手紙

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明日のことを誇ってはならない
ヤコブ 4:11-17

 「あなたがたには、あすのことはわからないのです。」(14)

I.明日のことを誇る者(11,12)
 11,12節で、ヤコブは聖徒たちが互いに悪口を言い合ってはいけないと言います。兄弟の悪口を言い、さばくことは神様の主権に対する侵害です。自分を神様の位置に上げる極めて傲慢な態度です。私たちがすべきことは、律法に定められている通り、隣人を自分のからだのように愛することです(マタ22:37-40)。

II.明日のことを誇ってはならない(13-17)
 ある人は言います。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。」(13)。この人は明日のことに対して自信がありました。自分の判断力や事業の手腕に対して自信があったようです。しかし実は人は明日のことを誇ることはできません。人の命はしばらくの間現れて、それから消えてしまう霧のようです。私たちは人間としての限界を認めなければなりません。「むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』」(15)。神様は私たちの命の主人であり、全てのことを主管される方です。それで私たちは全てのことを神様にゆだね、その方の導きを受けなければなりません。神様の御旨を差し置いて、自分を過信して虚しいものを誇ることは悪い事だと聖書は言っています。私たちがすべきことは私たちの将来を神様に委ね、今与えられた場所で最善を尽くして善を行なうことです。善を行なうことができるのに、それを行なわないことは罪です。

祈り:主よ!私が虚しいことを誇らず、あなたの御前で日々最善を尽くす生活ができるように、助けてください。

一言:日々、最善を
カテゴリ:新約聖書::ヤコブの手紙

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