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主に伺って行なったダビデ
Iサムエル 23:1-14

 「ダビデはもう一度、主に伺った。すると主は答えて言われた。『さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。』」(4)

I.主にもう一度伺ったダビデ(1-5)
 ダビデはペリシテ人がケイラを打ったという知らせを聞きました。ダビデはケイラにいる自分の民を救うために、ペリシテ人を打ちに行くべきかを主に伺いました。神様がペリシテ人を打てという指示を下されました。ところが側近たちは亡命生活をしている中で、ペリシテ人を打つことは不可能なことだ、とすぐに反対しました。現実的な状況を見ると、ダビデは側近たちのことばを聞いて、ペリシテを打つことを諦めなければなりませんでした。しかし彼はもう一度神様に出て行って祈りました。そして、彼は側近たちの言葉より、神様の御声に従い、ケイラに下って行ってペリシテ人を打ち、ケイラの住民を救いました。

II.「主よ。どうか、あなたのしもべにお告げください。」(6-14)
 サウルはペリシテ人からケイラを防御することより、ダビデをなきものにしようとするのに血眼になりました。ダビデはサウルがケイラに下ってきて、それを包囲しようとする知らせを聞きました。それでダビデは再び神様に出て行って伺いました。ところがその答えは意外にもケイラの住民がダビデをサウルの手に引き渡すということでした。彼が救ったケイラの住民が彼らを裏切るという答えを聞いた時、ダビデの心情はどうだったのでしょうか。しかし彼は自分の感情のまま行なわずに、神様の指示どおりにケイラを離れ、他の所に行きました。

祈り:主よ!あなたに伺いを立てることなく行なったことを悔い改めます。私がダビデのように、いつもあなたに尋ね、あなたの御旨に生きることができますように御導きください。

一言:もう一度伺った
カテゴリ:旧約聖書::サムエル記第一

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祭司85人を殺したサウル
Iサムエル 22:11-23

 「アヒメレクは王に答えて言った。『あなたの家来のうち、ダビデほど忠実な者が、ほかにだれかいるでしょうか。ダビデは王の婿であり、あなたの護衛の長であり、あなたの家では尊敬されているではありませんか。』」(14)

I.忠臣アヒメレク(11-17)
 サウルはダビデが祭司アヒメレクからパンをもらって食べ、ゴリアテの剣を持って逃げたことを、知るようになりました。その瞬間サウルの体からは殺気で満ち溢れました。サウルはすぐにアヒメレクの家の者全部、すなわち祭司たちを呼び寄せ、彼らの罪を追及しました。その時、アヒメレクはサウルに自分の潔白を主張しただけではなく、サウルのあやまちを悟らせました(14,15)。ダビデがサウル王の最も忠実な忠臣であり、婿であり、護衛の長、尊敬されている人だと弁護しました。
 彼が殺気あふれるサウルの前で、どうやってこのように大胆になることができたのでしょうか。これは彼が忠実な神様のしもべであり、祈る人だったからです(15)。またサウルより神様をもっと恐れたからです。しかし悔い改めることを知らないサウルはアヒメレクを始め祭司85人とその家族を無残に虐殺してしまいました。神様に忠実である人こそ、本当の忠臣になることができます。

II.奸臣ドエグ(18-23)
 ドエグはサウルの関心を買うために、アヒメレクの美しいことばを、おぞましい言葉でさえぎりました。またサウルの家来たちが神様の祭司を殺すことを嫌ったとき、彼は殺人の道具となり、祭司たちを殺しただけではなく、その家族とその町の家畜までも撲殺してしまいました。ドエグは暴君には忠実だったかもしれませんが、神様には敵となりました(詩52篇)。

祈り:主よ!まず、あなたにこそ忠実でなければ、本当の忠実はないことを悟ります。人に従うのではなく、あなたに忠実であることができますように。

一言:本当に忠実である道
カテゴリ:旧約聖書::サムエル記第一

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困窮している者の牧者ダビデ
Iサムエル 22:1-10

 「また、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼とともにいるようになった。」(2)

I.困窮している者の牧者になったダビデ(1-5)
 ダビデは追われた人でした。しかし多くの人が彼について行きました。家族はもちろん、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちが彼のところに集まって来ました。預言者ガドも彼を助けました。どのようにして将来がなく逃亡するダビデがそのように多くの人々の牧者になることができたのでしょうか。ダビデ自身がまさに困窮している者であり、負債のある者であり、不満のある者なので、彼らの痛みと苦痛をもっともよく理解できたからです。それでダビデは彼らの悲しみを共にし、彼らを抱く牧者の心情を持つことができました。人は自分を抱いてくれる成熟した人に従います。神様は私たちを、この時代のさまよう若者のたましいの牧者として立ててくださいました。

II.孤独で悲しむサウル(6-10)
 サウルは王としてすべての家来たちを従え、権利を奮う座にいました。しかしサウルは気が狂うぐらいに孤独で悲しみました。彼は家来たちも信じることができず、息子までも敵とみなしました。その時誰も彼を助けませんでした。なぜサウルはこのようになったのでしょうか。それは彼が神様を信じず、また人を神様の目から見なかったからです。それによって彼は極度の比較意識に陥り、多くの人を苦しめました。他人と比較意識が極度に強くなれば、全ての人が競争者であり、敵に見えます。

祈り:主よ!私が困窮した者、負債を負っている者、不満のある者を深く理解し、牧者の心情で抱く者になるようにしてください。

一言:人を抱こう
カテゴリ:旧約聖書::サムエル記第一

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荒野でのダビデ
Iサムエル 21:1-15

 「ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。」(12)

I.空腹を体験したダビデ(1-9)
 サウル王の憎しみによって足の踏み場がなくなったダビデは、今荒野に追いやられる身の上となりました。荒野でダビデが一番最初にぶつかったことは空腹でした。人にとって空腹は最も大きな悲しみですが、ダビデは初めてそれを体験するようになりました。空腹なダビデは祭司を訪ねて行き、食べる物を求めました。しかし祭司には聖別されたパンしかありませんでした。聖別されたパンは神様にささげたパンであり、祭司のほかは食べることができませんでした。しかしダビデは神様の恵みによって、このパンを食べ、空腹を免れるようになりました。

II.アキシュを恐れたダビデ(10-15)
 ダビデは今ペリシテの地のガテの王アキシュのところに逃れました。ガテはゴリアテの故郷です。アキシュの家来たちはダビデが勇敢であることをよく知っており、特にイスラエルの女たちの中で流行したその有名な凱旋歌を覚えていたため、ダビデを危険人物とみなしました。それでダビデはアキシュ王を非常に恐れました。ゴリアテを倒した彼が今恐れに陥りました。恐れに震えるダビデはいのちを守るために気違いを装いました。よだれを流したり、門のとびらに傷をつけたりしました。誰よりも自負心と自尊心が強かった彼の姿が崩れてしまいました。神様は時には私たちの強い自我を砕こうと、私たちを荒野に遣わされることがあります。しかしこのように自我が砕かれる時、自己義がなくなり、完全に神様の人に生まれ変わることができます。

祈り:主よ!私が自我の砕ける痛みをよく担い、強く成熟した内面を持った神様の人として成長するように助けてください。

一言:荒野を通して
カテゴリ:旧約聖書::サムエル記第一

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ダビデを見送るヨナタン
Iサムエル 20:24-42

 「ヨナタンはダビデに言った。『では、安心して行きなさい。』」(42a)

I.ダビデのために悲しむヨナタン(24-34)
 ヨナタンは、ダビデを殺そうとすることが父王の本心であることを、知るようになりました。今ダビデとヨナタンは仕方なく別れるしかありませんでした。一方サウルは、ヨナタンがダビデを逃がそうとすることに眉をひそめ、怒髪天をつきました。自分の息子にあらゆる毒舌で呪い、自分の言うことを聞かなかったということで槍を投げて殺そうとしました。このようなサウルを見てヨナタンはひどく怒り、食事もせずに悲しみました。それは父が自分を殺そうとしたからではありませんでした。父が王として罪のない者を殺そうとし、彼の愛するダビデを侮辱したからでした。ヨナタンは神様を愛していたので、不義の父よりは、神様を愛する信仰の友ダビデをもっと愛しました。

II.ダビデを見送るヨナタン(35-42)
 ヨナタンは約束どおりダビデを尋ね、サウルの本心を知らせます。そして密かな所で最後に離別の情を交わします。ダビデはヨナタンの熱い愛に感激して、さらに涙を流しました。彼らは神様の御名によって永遠の約束を交わしました(42)。彼らは、たとえからだは離れていても、彼らと子孫の間に永遠にともにいることを信じました。神様はヨナタンを通して油を注がれたダビデのいのちを守られました。また彼らの愛を通して、一触即発の内戦の渦の中に巻き込まれる寸前のイスラエルは、義と愛の上に立つようになりました。

祈り:主よ!私たちの中に、お互いを尊ぶ愛の同労がありますように。あなたの美しい御業が成し遂げられますように御導きください。

一言:愛の同労
カテゴリ:旧約聖書::サムエル記第一

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