2007年06月18日 (月)
ローマ 6:15-23
「その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。」(19)
I.罪の奴隷となって死に至り(15-16)
今私たちは律法の下にではなく、恵みの下にいます。ところが私たちは恵みの下にいるのだから、自由に罪を犯して、恵みによって罪の赦しの恵みを受ければ良いのではないか、と考えやすいです。これは非常にあやまった考え方です。私たちが何に従うかによって、その奴隷になります。罪に自分の身をささげて服従すれば、罪の奴隷になります(16)。罪の奴隷になれば、自由を失って罪に引き渡され、恥ずかしい実を結ぶようになります。結局死に至るようになります。それで恵みの下にいても、罪に自分の身をささげることを恐れなければなりません。
II.その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。(17-23)
以前、私たちは罪の奴隷でした。しかし福音を受け入れ、心から聞き従うことで罪から解放され、義の奴隷になりました(18)。義の奴隷になった私たちは、その手足を義の奴隷としてささげ、聖潔に進まなければなりません。私たちの手足を義にささげることは、私たちのからだを神様のしもべとしてささげることです。これは神様の栄光を現すことを人生の目的として、神様の御旨を成し遂げるために、自分の時間と財産と能力をささげることを、指します。このように神様の栄光のために自分をささげれば、私たちは本当の自由と幸福を味わい、霊的な成長をし、永遠のいのちに至る霊的な実を結ぶようになります。
祈り:主よ!私が恵みを乱用して罪を楽しんだことを悔い改めます。今、私を義の奴隷としてささげ、聖なる実を結びます。
一言:今日も私の手足を義の奴隷として
「その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。」(19)
I.罪の奴隷となって死に至り(15-16)
今私たちは律法の下にではなく、恵みの下にいます。ところが私たちは恵みの下にいるのだから、自由に罪を犯して、恵みによって罪の赦しの恵みを受ければ良いのではないか、と考えやすいです。これは非常にあやまった考え方です。私たちが何に従うかによって、その奴隷になります。罪に自分の身をささげて服従すれば、罪の奴隷になります(16)。罪の奴隷になれば、自由を失って罪に引き渡され、恥ずかしい実を結ぶようになります。結局死に至るようになります。それで恵みの下にいても、罪に自分の身をささげることを恐れなければなりません。
II.その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。(17-23)
以前、私たちは罪の奴隷でした。しかし福音を受け入れ、心から聞き従うことで罪から解放され、義の奴隷になりました(18)。義の奴隷になった私たちは、その手足を義の奴隷としてささげ、聖潔に進まなければなりません。私たちの手足を義にささげることは、私たちのからだを神様のしもべとしてささげることです。これは神様の栄光を現すことを人生の目的として、神様の御旨を成し遂げるために、自分の時間と財産と能力をささげることを、指します。このように神様の栄光のために自分をささげれば、私たちは本当の自由と幸福を味わい、霊的な成長をし、永遠のいのちに至る霊的な実を結ぶようになります。
祈り:主よ!私が恵みを乱用して罪を楽しんだことを悔い改めます。今、私を義の奴隷としてささげ、聖なる実を結びます。
一言:今日も私の手足を義の奴隷として






