HOME > 旧約聖書 > マラキ書 > どこにわたしへの尊敬があるのか


どこにわたしへの尊敬があるのか
マラキ 1:1-14

 「もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。」(6)

I.弟でありながら愛されたイスラエル(1-5)
 イスラエルはバビロンの捕囚から帰った後、再び社会的、道徳的、霊的な腐敗に陥りました。このような彼らに向かって、預言者マラキは叱り、悔い改めを促します。イスラエルは神様の愛を多く受けながらも、神様を蔑しみました。彼らは「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか。」と言って、神様の愛を疑いました。
 事実神様は彼らを特別に愛されました。ユダヤの伝統によれば、法的な相続人である兄をまず愛するのが当然でした。それでも神様は弟であるヤコブをまず愛され、兄エサウを憎まれました。神様はヤコブの子孫であるイスラエルは祝福されました。しかし兄エサウの子孫であるエドムの計画を砕かれ、エドムをさばかれたことで、その栄光を現されました。本当にイスラエルは神様から特別な愛を受けました。

II.悪い物を神様にささげたイスラエル(6-14)
 彼らに対する神様の愛を考えると、イスラエルは神様に最も良い供え物をささげても、その愛に全て答えることができませんでした。それでも彼らは良い物は自分のために残して置いて、盲や足なえや病気の羊を神様にささげました。このようなものは総督にささげても喜ばないものでした。彼らは神様の愛をむしろ軽んじる悪い人たちでした。

祈り:主よ!愛される資格のない私をも、あなたは愛してくださいました。ありがとうございます。あなたに最も良いものを御返しします。

一言:最も良いものを神様に
カテゴリ:旧約聖書::マラキ書

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