2006年11月13日 (月)
ヘブル 12:1-13
当時、主に従った人々は、その信仰の故に多くの苦難を受けました。著者は彼らに苦難の意味と苦難の中にある人々の生き方を教え、人々が苦難を克服できるようにと願っています。
I.イエス様から目を離さないでいなさい(1-3)
私たちの信仰生活は競走のようです。その競走を走る抜くために、私たちは、すべての重荷とまつわりつく罪を捨て去るべきです。疲れ果てて罠に陥ることがないように、耐え抜くべきです。私たちの信仰の先駆者たちが、雲のように私たちを取り巻いて見守っているのですから。
私たちはイエス様から目を離さないように気をつけているべきです。この御方こそが信仰の創始者であり、完成者なのです。主ははずかしめをものともせず、十字架を耐え忍ばれました。ご自分をはずかしめる罪人たちを耐え忍ばれました。そしてついに、栄光の中で甦られたのです。イエス様は今神様の御座の右に着座しておられます。このイエス様を仰ぎ見ましょう。このイエス様を目指して(ピリ3:14)、走り続けましょう。やがて、私たちは、この御方と共に主の栄光に与るようになるのです。
II.苦難の霊的な意味を考えよう(4-13)
信者の苦難は、表面を見ると、人からもたらされます。しかし、それは、神様がご自分の子に与える愛の訓練のようなものなのです(7,8)。私たちは、神様の子どもとしての栄光を受けるために、苦難をうけているのです(ロマ8:17)。その訓練は、その時は悲惨に思えます。ですが、この訓練を通じて鍛えられ、義の平和の実が結ばれます。ですから私たちは訓練の時、決して落胆すべきではありません。むしろ積極的に苦難を担って行くべきなのです(12,13)。
祈り:主よ!あなたに在る苦難は益だということを学びました。苦難の時、私が、イエス・キリストに、より近づくことができますように導いてください。
一言:苦難、それは大いなる神様の愛
当時、主に従った人々は、その信仰の故に多くの苦難を受けました。著者は彼らに苦難の意味と苦難の中にある人々の生き方を教え、人々が苦難を克服できるようにと願っています。
I.イエス様から目を離さないでいなさい(1-3)
私たちの信仰生活は競走のようです。その競走を走る抜くために、私たちは、すべての重荷とまつわりつく罪を捨て去るべきです。疲れ果てて罠に陥ることがないように、耐え抜くべきです。私たちの信仰の先駆者たちが、雲のように私たちを取り巻いて見守っているのですから。
私たちはイエス様から目を離さないように気をつけているべきです。この御方こそが信仰の創始者であり、完成者なのです。主ははずかしめをものともせず、十字架を耐え忍ばれました。ご自分をはずかしめる罪人たちを耐え忍ばれました。そしてついに、栄光の中で甦られたのです。イエス様は今神様の御座の右に着座しておられます。このイエス様を仰ぎ見ましょう。このイエス様を目指して(ピリ3:14)、走り続けましょう。やがて、私たちは、この御方と共に主の栄光に与るようになるのです。
II.苦難の霊的な意味を考えよう(4-13)
信者の苦難は、表面を見ると、人からもたらされます。しかし、それは、神様がご自分の子に与える愛の訓練のようなものなのです(7,8)。私たちは、神様の子どもとしての栄光を受けるために、苦難をうけているのです(ロマ8:17)。その訓練は、その時は悲惨に思えます。ですが、この訓練を通じて鍛えられ、義の平和の実が結ばれます。ですから私たちは訓練の時、決して落胆すべきではありません。むしろ積極的に苦難を担って行くべきなのです(12,13)。
祈り:主よ!あなたに在る苦難は益だということを学びました。苦難の時、私が、イエス・キリストに、より近づくことができますように導いてください。
一言:苦難、それは大いなる神様の愛






