2006年11月11日 (土)
ヘブル 11:17-28
アブラハムとモーセは彼らの生涯において最も貴いものを神様にささげました。今日の御言葉を通して、私たちは神様に用いられるしもべたちの信仰と価値観に触れることができます。
I.イサクをささげたアブラハム(17-22)
神様がアブラハムに「ひとり子イサクをいけにえとしてささげよ。」と言われた時、それに聞き従うことは、容易ならざることであったはずです。しかしアブラハムは従いました。彼は、ひとり子イサクを愛していました。しかし、そのひとり子にもまして、神様を愛したのです。このことは、神様を最も愛するということを教えてくれます。それは、自分の最も大切なものさえも、主にささげることなのです(ロマ14:8)。そして、彼は、甦りを信じていました(19)。アブラハムは、その信仰の故に、地上の祝福に心を奪われることがありませんでした。彼は本当の自由を得ていました。彼の信仰は、イサク、ヤコブ、ヨセフと、その子孫たちに、遺産として引き継がれて行きます。彼は、地上の何にもまして価値ある霊的な遺産を残したのです。
II.エジプトの全ての宝を捨てたモーセ(23-28)
モーセはエジプトでパロの娘の子として受けるであろう名誉と権威と富を捨てました。むしろ奴隷の民イスラエルの牧者として苦難を受ける道を選びました。彼はパロの娘の子として生きることは、はかない罪の楽しみであることを知っていました。キリストのために受けるそしりを、本当に価値あるものとして選び取ったのです。彼は、この地での苦難は、つかの間で、天の御国の報いは永遠であることを信じていました(ロマ8:18)。モーセは、その信仰によって、出エジプトという歴史的な御業を成し遂げたのです。
祈り:主よ!私は、世の宝と目に見える祝福に心を奪われていました。しかし、今、悔い改めます。日々御守りください。天の御国の報い、この、まことの希望を見失うことがありませんように。
一言:主の報いこそ
アブラハムとモーセは彼らの生涯において最も貴いものを神様にささげました。今日の御言葉を通して、私たちは神様に用いられるしもべたちの信仰と価値観に触れることができます。
I.イサクをささげたアブラハム(17-22)
神様がアブラハムに「ひとり子イサクをいけにえとしてささげよ。」と言われた時、それに聞き従うことは、容易ならざることであったはずです。しかしアブラハムは従いました。彼は、ひとり子イサクを愛していました。しかし、そのひとり子にもまして、神様を愛したのです。このことは、神様を最も愛するということを教えてくれます。それは、自分の最も大切なものさえも、主にささげることなのです(ロマ14:8)。そして、彼は、甦りを信じていました(19)。アブラハムは、その信仰の故に、地上の祝福に心を奪われることがありませんでした。彼は本当の自由を得ていました。彼の信仰は、イサク、ヤコブ、ヨセフと、その子孫たちに、遺産として引き継がれて行きます。彼は、地上の何にもまして価値ある霊的な遺産を残したのです。
II.エジプトの全ての宝を捨てたモーセ(23-28)
モーセはエジプトでパロの娘の子として受けるであろう名誉と権威と富を捨てました。むしろ奴隷の民イスラエルの牧者として苦難を受ける道を選びました。彼はパロの娘の子として生きることは、はかない罪の楽しみであることを知っていました。キリストのために受けるそしりを、本当に価値あるものとして選び取ったのです。彼は、この地での苦難は、つかの間で、天の御国の報いは永遠であることを信じていました(ロマ8:18)。モーセは、その信仰によって、出エジプトという歴史的な御業を成し遂げたのです。
祈り:主よ!私は、世の宝と目に見える祝福に心を奪われていました。しかし、今、悔い改めます。日々御守りください。天の御国の報い、この、まことの希望を見失うことがありませんように。
一言:主の報いこそ






