2006年11月02日 (木)
ヘブル 6:9-20
私たちは、神様の約束をしっかりと握り締め、最後まで耐え忍ぼうではありませんか。神様の御国への約束、それは、決して変わることの無い、神様が御自身の御名にかけて誓われた約束なのですから。
I.神様の確かな約束(9-17)
著者はヘブル人の聖徒たちに信仰の成長がみられないことを咎めたものの、その後、彼らを励ましています。彼らの愛の行いを、神様は決して忘れていないことを告げています。そして、彼らが、これからも愛に生き、望みを失うことがないように願っています。彼らが、信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ者たちに倣う生き方を選ぶようにと願っているのです。神様はアブラハムに約束された時、御自身にかけて誓ってくださいました。ですから、その約束は守られたのです。アブラハムはこの約束の御言葉を握り締め、忍耐の末に、約束のものを得ました。
II.私たちの霊の錨となる望み(18-20)
アブラハムへの約束、それを神様が御自身の名によって誓ってくださったという事実は、「神様の御国」を仰ぎ見、この世を疎んじる私たちにとって、力強い励ましとなります。
19節をご覧ください。「神様の御国」への望み、それは、「私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。」(19) 錨とは船が流されて行くことのないように海の深い所に降ろされるものです。私たちのたましいのために錨が降ろされるのです。この世という海原に激しい波風が巻き起こっても、「神様の御国」を仰ぎ見る私たちのたましいは、決して揺れ動くことがありません。イエス・キリストは、私たちに先駆けて、この望みと共に神様の御国に入って行かれました。
祈り:主よ!あなたの御国への望みの中を生きて行きます。この望みは私のたましいの錨です。この望みをしっかりと握って、流されることがありませんように。私を力づけてください。
一言:御国への望み、それはたましいの錨
私たちは、神様の約束をしっかりと握り締め、最後まで耐え忍ぼうではありませんか。神様の御国への約束、それは、決して変わることの無い、神様が御自身の御名にかけて誓われた約束なのですから。
I.神様の確かな約束(9-17)
著者はヘブル人の聖徒たちに信仰の成長がみられないことを咎めたものの、その後、彼らを励ましています。彼らの愛の行いを、神様は決して忘れていないことを告げています。そして、彼らが、これからも愛に生き、望みを失うことがないように願っています。彼らが、信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ者たちに倣う生き方を選ぶようにと願っているのです。神様はアブラハムに約束された時、御自身にかけて誓ってくださいました。ですから、その約束は守られたのです。アブラハムはこの約束の御言葉を握り締め、忍耐の末に、約束のものを得ました。
II.私たちの霊の錨となる望み(18-20)
アブラハムへの約束、それを神様が御自身の名によって誓ってくださったという事実は、「神様の御国」を仰ぎ見、この世を疎んじる私たちにとって、力強い励ましとなります。
19節をご覧ください。「神様の御国」への望み、それは、「私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。」(19) 錨とは船が流されて行くことのないように海の深い所に降ろされるものです。私たちのたましいのために錨が降ろされるのです。この世という海原に激しい波風が巻き起こっても、「神様の御国」を仰ぎ見る私たちのたましいは、決して揺れ動くことがありません。イエス・キリストは、私たちに先駆けて、この望みと共に神様の御国に入って行かれました。
祈り:主よ!あなたの御国への望みの中を生きて行きます。この望みは私のたましいの錨です。この望みをしっかりと握って、流されることがありませんように。私を力づけてください。
一言:御国への望み、それはたましいの錨






