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栄光ある義とする務め
Ⅱコリント 3:7-18

 「義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。」(9)

I.罪に定める務めと義とする務め(7-11)
 モーセがシナイ山で十戒が刻まれた石版を持って降りた時、彼の顔から光が発せられました。イスラエルの民は彼の顔をまっすぐ見ることができませんでした(出34:30)。モーセが伝えた律法を石に刻まれたものであり、その戒めを守ることができない人々は結局死ぬようになりました。このように人を罪に定め、死に至らせる律法を持って来たモーセも栄光があふれていたのなら、なおさら、御霊の助けによって人を生かす務めには、どれほどの栄光があふれているのでしょうか(9)。モーセの栄光はキリストの栄光によってその光がさえぎられ、結局消え去りました。しかし福音を伝える者たちが受ける栄光はイエス様の栄光のように永続するものです(11)。

II.顔のおおいを取りのけて主の栄光を見る(12-18)
 モーセはイスラエルの民たちと対面する時、顔におおいを掛けました。その理由は民が将来消え去る栄光をむやみに見ないためでした(13)。ところが使徒パウロ当時のユダヤ人たちは、旧約聖書を読みながら、今も心にはおおいが掛かっていました。それで彼らは旧約ではっきりと預言されたキリスト・イエスを見ることができず、また受け入れることもできませんでした。しかし私たちは、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を見るのです。それだけではなく、私たちは少しずつ、主の栄光ある御姿に変えられるのです(18)。

祈り:主よ!律法の判断に苦しめられた私たちに、栄光ある義とする務めをくださり感謝します。私はただ神様の栄光だけを仰ぎ見ます。

一言:栄光ある義とする務め

カテゴリ:新約聖書::コリント人への手紙第二

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