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十字架につけられたイエス様
マルコ 15:16-32

 「彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。」(25)

I.嘲弄を耐えられたイエス様(16-20)
 兵士たちはイエス様を総督官邸の庭に連れて行きました。イエス様はピラトの指示でむち打たれていたので、すでに肉が引き裂かれ、体中が血だらけになっていました(15)。このような状態でイエス様は再び残忍なローマの兵士たちから嘲弄を受けられました。兵士たちはイエス様に紫の衣を着せて、頭にいばらの冠をかぶらせ、葦の棒で頭をたたき、つばきをかけました。イエス様はそのすべての嘲弄に耐えられました。

II.十字架を耐え忍ばれたイエス様(21-32)
 イエス様は十字架を背負い、何度も倒れながらも、ゴルゴダの丘まで行かれました。そこでイエス様は二人の強盗と一緒に十字架につけられました(24-27)。時刻は午前九時でした。十字架の苦痛は死ぬまで千回ほども気絶すると言われるむごいものです。十字架刑は人類が考え出した死刑の中でも、最も残忍で苦痛が伴うものです。イエス様はその恐ろしい苦痛、嘲弄、批判のすべてに耐え忍ばれました(29-32)。
 イエス様がこのようにむちに打たれ、十字架につけられたのは、私たちのあやまちと罪のためでした(イザ53:4,5)。イエス様がむちで打たれたのは、私たちを癒すためであり、イエス様が十字架で血を流されたのは、私たちに罪の赦しをもたらすためだったのです。イエス様の十字架は、私たちをのろいとさばきから永遠のいのちへと移します。イエス様の苦しみの十字架、それは、罪の重荷に苦しむ私たちの内面を癒す、癒しの十字架なのです。

祈り:主よ!取るに足らない、私のような罪人を救うために、あなたが十字架の苦しみを受けられたことを覚えるとき、私は、涙せずにはいられません。

一言:主は、これほどまでに惨い目に

カテゴリ:新約聖書::マルコの福音書

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