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主のことばを聞くことのききんである
アモス書 8:1-14

 「主のことばを聞くことのききんである。」(11)

I.一かごの夏のくだもの(1-10)
 神様はアモスの目の前に、一かごの夏のくだものを現しました。「夏の」くだものとは、完全に熟したくだものです。それは、イスラエルの民の罪が熟したことを示しているのです。神様はこの幻によって、イスラエルに終わりが来たことを語っておられます。その日、歌は消え去り、泣きわめきで満ち、多くのしかばねが至る所に投げ捨てられます。このような悲惨な日が来るというのです。しかし、それは、偶発的に訪れるのではありません。盗み、偽り、驕り高ぶりを悔い改めることがないなら、さばきは必ず訪れるのです。

II.渇きのために衰え果てる(11-14)
 神様の御言葉を聞くことができるという事実、これは私たち人間にとって最も大きな恵みです。私たちは神様の御言葉を聞くたびに、共におられる神様と、その愛を知ることができるのです。人生の確かな目的に目が開かれ、生きる力が与えられるのです。しかし、その日が訪れると、もはや、主の御言葉を聞くことができなくなります。霊的なききんが来るのです。人は、海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡りますが、見出すことができずに終わります。その日、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てます。人生で最も美しく、生命力に満ち溢れる時期であっても、神様の御言葉を聞くことができなければ、その人生は目的を失い、行き巡るばかりです。私たちはたましいを持った存在であり、パンだけで生きるのではありません。私たち人間には、物質的豊かさ以上に、主の御言葉が必要なのです。

祈り:主よ!御言葉を聞くことができず、行き巡る若い人々を憐れんでください。そして、私も、あなたの御言葉を携えて、彼らのもとへと出て行くことができますように。 私を遣わしてください。

一言:パンよりも、水よりも、主の御言葉を

カテゴリ:旧約聖書::アモス書

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