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遊女ラハブの信仰
ヨシュア記 2:1-24

 「あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。」(11)

 ヨシュアに遣わされた二人の斥候(偵察に遣わされた兵士)は、エリコの遊女ラハブの家に身を潜めていました。しかし、すぐに彼らことはエリコの王の耳に入り、追っ手が二人を捕らえに来ました。その時、ラハブは二人を屋上に連れて行ってかくまいました。もしこのことが追っ手に知られれば、ラハブは自分だけではなく家族全員が殺されます。ですが、彼女は、そのような危険をも顧みず神様の民を庇ったのです。
 彼女は、それまで、神様に心を閉ざし、世の欲望に身を委ねて来ました。しかし、そのような彼女が、神様を知りました。葦の海(紅海)を枯らされ、エモリ人の二人の王を絶たれたイスラエルの神様について聞いた時、この御方こそ、天地をつかさどる神様であると悟りました(10)。しかしながら、彼女が、この御方を自分の神様として受け入れることは、同族を裏切ることであり、また、いのちの危険さえも伴うものでした。ですが、彼女は決定的な瞬間に、神様と神様の民の側に立ったのです。神様はこのような彼女を喜ばれました。後に、エリコをさばかれる時にも、彼女を守られました。そして、彼女を大いに祝福し、メシヤの系図にその名を載せてくださったのです。
 アブラハムは、神様の呼ばれる声を聞いたとき、慣れ親しんだ生まれ故郷、父の家から旅立ちました。ヤコブとヨハネは、イエス様の呼ばれる声を聞いたとき、父親への思いを振り切って、主の御声に聞き従いました。彼らは皆、血肉の望みよりも神様の呼び声に従いました。神様は、このような人々を救いの御業に用いられる祝福の器としてくださったのです。私たちも神様の救いの御業に尊く用いられることを願うならば、この世を愛する思いを十字架につけて、何よりも神の国とその義とを第一に求めるべきなのです。

祈り:主よ!遊女ラハブのように、たとえ、どのような犠牲が伴うとしても、私が、あなたと、あなたの民の側に立つ者でありますように御導きください。

一言:神の側に立つ

カテゴリ:旧約聖書::ヨシュア記

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