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神様の大いなる力
ヨブ記 25:1-26:14

 「だれが、その力ある雷を聞き分けえようか。」(26:14)

I.人はどうして神の前に正しくありえようか(25章)
 ビルダデは神様の御前に立つことを願うヨブの言葉を聞き、神様がいかに大きな方であるのかを説きます(1-3)。彼は、神様の前に、人は正しくはあり得ず、うじのようなもの、虫けらのようなものでさえあると言いました(6)。確かに人は神様の御前で本当に小さな存在です。しかし、神様は、そのような人をも愛し、尊ばれました。私たちは罪深い存在ですが、神様は、その私たちを、ひとり子をお与えになるほどに愛して下さったのです(ヨハ3:16)。この愛を覚えて生きて行きましょう。自らの小ささの中で失望するのではなく、ただ、神様を仰ぎ見て、この御方の深い憐れみと愛の中で生きて行きましょう。

II.だれがその力ある雷を聞き分けえようか(26章)
 試練の中に在ったヨブには、暖かい慰めや、逆境に耐え忍ぶ力、試練に置かれた神様の御旨を知る知恵が必要だったはずです。しかし、ビルダデは神様の御前で汚れた人の姿を語るだけでした。彼の言葉には牧者の愛がありませんでした。ビルダデは、神様について既に知っているかのように語りました。しかし、人が神様のことをどれほど知っていると言うのでしょうか。神様は宇宙を虚空に張り、地球を何もない上に掛けられ(7)、海をかき立てるラハブ(海の怪物)と逃げる蛇(空中の悪の勢力)を刺し通される権威を持っておられます。ですが、このような権威ですら、神様の大いなる力のごく一部に過ぎません。人は、神様の御性質のごく一部を知っているに過ぎないのです。ですから、私たちは、神様について、自分が何かを知っているかのように語るべきではありません。ただ、神様の助けによって語るべきなのです。

祈り:主よ!小さな有限の私が、無限の御方、あなたについて、どれほどのことを知っているというのでしょう。私が、へりくだって、あなたに学ぶ者でありますように。

一言:それが神様の全てではない

カテゴリ:旧約聖書::ヨブ記

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