2005年09月04日 (日)
ヨブ記 19:1-29
「私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」(25)
I.私の息は私の妻にいやがられ(1-22)
ヨブの友は、ヨブを罪に定める数々の言葉を投げつけ、ヨブは苦しみのあまり叫びました。しかし、神様は沈黙されました(7)。神様はいくら呼んでも答えられず、ただ、ヨブの過去の栄光を奪い去って行くばかりでした。ヨブは周りの人々から、どこまでも疎外されました。知人は皆、彼から離れて行き、親戚は彼を見捨て、兄弟たちは彼から遠ざかりました。親しい友だちは彼を忘れ、彼の家に宿る者も、彼のはしためたちも、彼を他人のように見なしました。そして、彼の妻も、彼の存在を望みませんでした。童までもが彼をさげすみました。全ての人が彼を忌み嫌い、彼が愛した者たちは、皆、彼に背を向けました。人々は、ヨブの肉体的な苦しみに追い討ちをかけるように、彼を裁く数々の言葉を投げつけました。彼は深い絶望の中にありました。
II.私を贖う方は生きておられ(23-29)
こうした孤独と絶望と苦難の中で、ヨブには、たった一つの希望がありました。それは、彼を贖ってくださる方は生きておられるという確信でした。此の世で深い絶望を経験した時、ヨブは自分を贖う方を仰ぎ見ました。この方が、後の日に、ちりの上に立たれる姿を見たのです。彼は、肉を離れて神を見ると告白します。彼は霊の目で、贖い主の存在を知りました。誰もが自分を分かってくれず、心の苦しみがあるときにも、私たちは、霊の目を開いて、ただ私たちを贖う方、生きておられる主を仰ぎ見るべきです。この方を仰ぎ見る者は、死に至るほどの絶望の中にあっても、甦りへの希望を見出すのです。
祈り:主よ!全ての人が私を捨てても、私の傍には、甦りの主、あなたがおられます。あなたは私を絶望の淵からさえも贖い出してくださる方、生きておられる主です。
一言:私を贖う方は生きておられる
「私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」(25)
I.私の息は私の妻にいやがられ(1-22)
ヨブの友は、ヨブを罪に定める数々の言葉を投げつけ、ヨブは苦しみのあまり叫びました。しかし、神様は沈黙されました(7)。神様はいくら呼んでも答えられず、ただ、ヨブの過去の栄光を奪い去って行くばかりでした。ヨブは周りの人々から、どこまでも疎外されました。知人は皆、彼から離れて行き、親戚は彼を見捨て、兄弟たちは彼から遠ざかりました。親しい友だちは彼を忘れ、彼の家に宿る者も、彼のはしためたちも、彼を他人のように見なしました。そして、彼の妻も、彼の存在を望みませんでした。童までもが彼をさげすみました。全ての人が彼を忌み嫌い、彼が愛した者たちは、皆、彼に背を向けました。人々は、ヨブの肉体的な苦しみに追い討ちをかけるように、彼を裁く数々の言葉を投げつけました。彼は深い絶望の中にありました。
II.私を贖う方は生きておられ(23-29)
こうした孤独と絶望と苦難の中で、ヨブには、たった一つの希望がありました。それは、彼を贖ってくださる方は生きておられるという確信でした。此の世で深い絶望を経験した時、ヨブは自分を贖う方を仰ぎ見ました。この方が、後の日に、ちりの上に立たれる姿を見たのです。彼は、肉を離れて神を見ると告白します。彼は霊の目で、贖い主の存在を知りました。誰もが自分を分かってくれず、心の苦しみがあるときにも、私たちは、霊の目を開いて、ただ私たちを贖う方、生きておられる主を仰ぎ見るべきです。この方を仰ぎ見る者は、死に至るほどの絶望の中にあっても、甦りへの希望を見出すのです。
祈り:主よ!全ての人が私を捨てても、私の傍には、甦りの主、あなたがおられます。あなたは私を絶望の淵からさえも贖い出してくださる方、生きておられる主です。
一言:私を贖う方は生きておられる






