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神が囲いに閉じ込めて
ヨブ記 3:1-26

 「神が囲いに閉じ込めて、自分の道が隠されている人に、なぜ、光が与えられるのだろう。」(23)

I.生まれた日をのろうヨブ(1-19)
 ヨブは、度重なる試練の中で、ついには自分の生まれた日をのろいました。「私の生まれた日は滅びうせよ。・・・神もその日を顧みるな。・・・暁のまぶたのあくのを見ることがないように。」(3-9)。そして、彼は死を慕い求めました。「なぜ、私は、胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は、生まれ出たとき、息絶えなかったのか。」(11)。何と絶望的な言葉でしょうか。彼の信仰は失われたのでしょうか。彼は、こんな言葉を口にしてしまうほどに大きな苦痛の中にいました。しかし、彼は自分の出生を呪いましたが、決して神様を呪うことはなかったのです。

II.いのちを嘆くヨブ(20-26)
 ヨブは、担いきれないほどの苦難の中で、いっそ死にたいと思いました。しかし、神様は苦難の中にいるヨブのいのちを長くされました。ヨブはこのような神様を理解できず、「なぜ、苦しむ者に光が与えられ、心の痛んだ者にいのちが与えられるのだろう。」(20)と嘆きました。彼のうめき声は水のようにあふれました。彼には安らぎもなく、休みもなく、いこいもなく、心はかき乱されていました。しかし、彼はそんな状況の中でも、神様がそばに居られることを知っていました(23)。「神が囲いに閉じ込めて」ということは、神様は傍に居られたのです。彼は苦難の中にいましたが、神様は決して彼を捨てられたのではありません。人は、この世で生きる間には、いっそ死んでしまいたいと思うほどの苦痛を経験するかもしれません。しかし、どんなに絶望的な状況の時であっても、そこにも、私たちを囲いの中に閉じ込めておられる神様がおられるのです。

祈り:主よ!どんなに辛い苦難の中でも、あなたの御手に信頼します。共にいて下さるあなたを信じて苦難を乗り越える信仰を、私にお与え下さい。

一言:苦難の時も、主はそこにおられる

カテゴリ:旧約聖書::ヨブ記

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