2005年08月13日 (土)
テモテへの手紙第二 2:1-13
キリストに在る人とは、どのような者なのでしょうか。パウロは、キリストに在る人々をキリスト・イエスの兵士と表現しました。キリスト・イエスのりっぱな兵士になっていくためには、どう生きるべきなのでしょうか。
I.強くなりなさい(1)
信仰の戦いのためには強くあるべきです。迫害や試練の中でも福音を守り、宣べ伝えて行くためには、強い人であるべきです。では、どうすれば強くなれるのでしょうか。キリスト・イエスにある恵みによって、強くなれるのです。キリストの尊い御血による贖い、召されの恵みを確信する時、罪に打ち勝ち、自我に打ち勝ち、世に打ち勝つ力がおとずれるのです。
II.忠実でありなさい(2)
キリストの兵士がなすべきことは、御言葉を教え、罪の支配を退けることです。そして、りっぱな兵士になるためは、自らの能力にも増して、何よりも忠実であることが求められます。忠実な者とは任されたことを必ず成し遂げる者であり、信頼を受けるに値する者のことです。
III.苦しみを受けなさい(3-13)
良い兵士と悪い兵士の違いは何でしょう。それは、どれだけの苦難と訓練を経験したかの差によるものではないでしょうか。訓練されている兵士は統率の取れた良い兵士であり、訓練されてない兵士は無秩序な集団に過ぎません。ですから、りっぱな兵士になるためには、数多くの訓練を経験する必要があります。また、りっぱな兵士は自分の日常生活のことを忘れて、徴募した者を喜ばせることだけに努めます。私たちの人生の目的が、イエス様の喜びに与ることであり、それが私たちの霊的な望みであるならば、私たちは自ら進んで苦難を負っていくようになるはずです。それは、苦難の後には、キリスト・イエスにある救いと、それと共に、とこしえの栄光を受けるようになるという希望を抱いているからです(10-12)。
祈り:主よ!私は、あなたの兵士です。私が、自ら進んで苦難を負い、りっぱな兵士として成長することができますように導いてください。
一言:りっぱな兵士として生きる
キリストに在る人とは、どのような者なのでしょうか。パウロは、キリストに在る人々をキリスト・イエスの兵士と表現しました。キリスト・イエスのりっぱな兵士になっていくためには、どう生きるべきなのでしょうか。
I.強くなりなさい(1)
信仰の戦いのためには強くあるべきです。迫害や試練の中でも福音を守り、宣べ伝えて行くためには、強い人であるべきです。では、どうすれば強くなれるのでしょうか。キリスト・イエスにある恵みによって、強くなれるのです。キリストの尊い御血による贖い、召されの恵みを確信する時、罪に打ち勝ち、自我に打ち勝ち、世に打ち勝つ力がおとずれるのです。
II.忠実でありなさい(2)
キリストの兵士がなすべきことは、御言葉を教え、罪の支配を退けることです。そして、りっぱな兵士になるためは、自らの能力にも増して、何よりも忠実であることが求められます。忠実な者とは任されたことを必ず成し遂げる者であり、信頼を受けるに値する者のことです。
III.苦しみを受けなさい(3-13)
良い兵士と悪い兵士の違いは何でしょう。それは、どれだけの苦難と訓練を経験したかの差によるものではないでしょうか。訓練されている兵士は統率の取れた良い兵士であり、訓練されてない兵士は無秩序な集団に過ぎません。ですから、りっぱな兵士になるためには、数多くの訓練を経験する必要があります。また、りっぱな兵士は自分の日常生活のことを忘れて、徴募した者を喜ばせることだけに努めます。私たちの人生の目的が、イエス様の喜びに与ることであり、それが私たちの霊的な望みであるならば、私たちは自ら進んで苦難を負っていくようになるはずです。それは、苦難の後には、キリスト・イエスにある救いと、それと共に、とこしえの栄光を受けるようになるという希望を抱いているからです(10-12)。
祈り:主よ!私は、あなたの兵士です。私が、自ら進んで苦難を負い、りっぱな兵士として成長することができますように導いてください。
一言:りっぱな兵士として生きる






