2005年08月10日 (水)
テモテへの手紙第一 6:1-10
今日の本文では、使徒パウロは、1,2節で、信仰を持った奴隷が自分の主人に対して、どのように振舞うべきなのかを教えます。そして3節からは、ある人々が、どのような誘惑のために、信仰から迷い出てしまったのかを教えています。
I.キリストの御言葉に同意しない人(3-5)
信仰の歩みをはじめた後に、キリストの御言葉と敬虔にかなう教えとに同意せず、他の教えを説き始めるならば、その人は驕り高ぶり、主のうちから迷い出てしまっています。このような人は何も悟ることがなく、ただ、ことばの争いに病み付いてしまっているのです。その至る所は、ねたみと猜疑心であり、そして、それ故の争い、神様の御心への背きです。
こうした人々は、真理から心の目が閉ざされ、利得の手段として信仰者らしく振舞っているに過ぎません(5)。端的に言えば、主の御言葉から離れることは、すなわち、自分を利する心であり、信仰を失うことなのです。
II.金銭を愛する人々(6-10)
今、神様から与えられている状況に感謝し、不満をもたずに生きるなら、それこそが本当の益となります(6)。人は何一つ持たずにこの世に来て、また、何一つ持たずにこの世を去るのです。そのときに、この世の欲望にとらわれていた人々が、どうなってしまうのかを知らなければなりません。私たちは、衣食足りれば、それだけで感謝して生きるべきです。それで満足できずに、金持ちになりたがる人は誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することは、あらゆる悪の根です(10)。端的に言えば、金銭を愛する思いは、すなわち、サタンの罠であり、滅びへと至る誘惑なのです。
祈り:主よ!私が言葉の争いに迷い出ることなく、あなたの御言葉に生き、また、世の欲望に迷い出ることなく、いつも満ち足りた心で生きるように守ってください。
一言:満ち足りた心
今日の本文では、使徒パウロは、1,2節で、信仰を持った奴隷が自分の主人に対して、どのように振舞うべきなのかを教えます。そして3節からは、ある人々が、どのような誘惑のために、信仰から迷い出てしまったのかを教えています。
I.キリストの御言葉に同意しない人(3-5)
信仰の歩みをはじめた後に、キリストの御言葉と敬虔にかなう教えとに同意せず、他の教えを説き始めるならば、その人は驕り高ぶり、主のうちから迷い出てしまっています。このような人は何も悟ることがなく、ただ、ことばの争いに病み付いてしまっているのです。その至る所は、ねたみと猜疑心であり、そして、それ故の争い、神様の御心への背きです。
こうした人々は、真理から心の目が閉ざされ、利得の手段として信仰者らしく振舞っているに過ぎません(5)。端的に言えば、主の御言葉から離れることは、すなわち、自分を利する心であり、信仰を失うことなのです。
II.金銭を愛する人々(6-10)
今、神様から与えられている状況に感謝し、不満をもたずに生きるなら、それこそが本当の益となります(6)。人は何一つ持たずにこの世に来て、また、何一つ持たずにこの世を去るのです。そのときに、この世の欲望にとらわれていた人々が、どうなってしまうのかを知らなければなりません。私たちは、衣食足りれば、それだけで感謝して生きるべきです。それで満足できずに、金持ちになりたがる人は誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することは、あらゆる悪の根です(10)。端的に言えば、金銭を愛する思いは、すなわち、サタンの罠であり、滅びへと至る誘惑なのです。
祈り:主よ!私が言葉の争いに迷い出ることなく、あなたの御言葉に生き、また、世の欲望に迷い出ることなく、いつも満ち足りた心で生きるように守ってください。
一言:満ち足りた心






