2005年07月27日 (水)
テサロニケ人への手紙第一 4:13-5:11
テサロニケの教会員たちの中には、聖徒の死に絶望し、悲しみに沈んでいる人々がいました。それは彼らがイエス様が再び来られることを確信していなかったからです。そのような彼らに、パウロは主に在る人々の望みが何であるのかを説き明かしています。
I.このことばをもって互いに慰め合いなさい(4:13-18)
イエス様は再び来られ、聖徒たちは甦ります。しかし、このことを信じない人々には終末に対する望みがなく、ただ悲しみ絶望するばかりです。それは死が人生の終わりであると考えているためです。
しかしイエス様は、必ずまた来ると約束されました。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神様のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られるのです。その日は、信仰に生きず、自我の望むままに生きていた人には裁きの日であり、主に在る人々には望みの日です。その時、死者は甦り、そして、生き残っている者は空中に引き上げられ、主に会い、いつまでも主とともにいることになります。これこそが、主に在る私たちの望みなのです。
II.目をさまして、慎み深くしていましょう(5:1-11)
世に属する人々は、肉の欲望のままに生き、「平和だ。安全だ。」と言って、畏れ慎みもなく暮らしています。しかし、滅びは突如として襲いかかります。眠っている人々にとって、その日は、盗人のように不意にやってくるのです。しかし、私たちは光の子どもです。私たちは霊的に覚醒し、父なる神の光の中を歩んでいきましょう。信仰と愛の胸当てを身に付け、救いの望みのかぶとをかぶって、慎んで生きていきましょう。
祈り:主よ!再び来られるあなたを待ち望み、目を覚まして、慎み深く生きていけますように、この私を導いてください。
一言:再び来られる望み
テサロニケの教会員たちの中には、聖徒の死に絶望し、悲しみに沈んでいる人々がいました。それは彼らがイエス様が再び来られることを確信していなかったからです。そのような彼らに、パウロは主に在る人々の望みが何であるのかを説き明かしています。
I.このことばをもって互いに慰め合いなさい(4:13-18)
イエス様は再び来られ、聖徒たちは甦ります。しかし、このことを信じない人々には終末に対する望みがなく、ただ悲しみ絶望するばかりです。それは死が人生の終わりであると考えているためです。
しかしイエス様は、必ずまた来ると約束されました。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神様のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られるのです。その日は、信仰に生きず、自我の望むままに生きていた人には裁きの日であり、主に在る人々には望みの日です。その時、死者は甦り、そして、生き残っている者は空中に引き上げられ、主に会い、いつまでも主とともにいることになります。これこそが、主に在る私たちの望みなのです。
II.目をさまして、慎み深くしていましょう(5:1-11)
世に属する人々は、肉の欲望のままに生き、「平和だ。安全だ。」と言って、畏れ慎みもなく暮らしています。しかし、滅びは突如として襲いかかります。眠っている人々にとって、その日は、盗人のように不意にやってくるのです。しかし、私たちは光の子どもです。私たちは霊的に覚醒し、父なる神の光の中を歩んでいきましょう。信仰と愛の胸当てを身に付け、救いの望みのかぶとをかぶって、慎んで生きていきましょう。
祈り:主よ!再び来られるあなたを待ち望み、目を覚まして、慎み深く生きていけますように、この私を導いてください。
一言:再び来られる望み






