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キリストを得る
ピリピ人への手紙 3:1-11

 ピリピ教会には、割礼派、すなわちキリストを信じるだけでは救いに与ることができず、割礼を受けなければならないと主張する人々がいました。パウロは自身の証しを通して、ただイエス様の十字架と復活の福音を信じるだけで救われることを確証しています。

I.すべてのものを損と思うようになったパウロ(1-9)
 パウロは肉体だけ、形だけの人々に気をつけるように言いました。キリストに出会う以前の彼は、人間的な力に頼り、律法を守るのに熱心な人でした(4-6)。しかしそのような全てのものをみな損と思い、ゴミのように捨てたのです(7)。
 なぜでしょうか。キリストを知っていることこそが素晴らしいからです(8)。イエス・キリストを知るとき、私たちは、命の本質を知るようになります。この人生が何なのかを悟るようになります。キリストが、私たちを罪から救い、永遠のいのちへと導いてくださるのです(ヨハ17:3)。パウロがキリストの故に、全てのものを損と思うようになったのは、ただキリストを信じることだけが神様の義を受ける道であることを知ったからです。

II.十字架と復活を知ろうとしたパウロ(10,11)
 信仰によって義と認められるとしても、イエス様を完全に知った訳ではありません。それ故、パウロは信仰による義に続いて、イエス様の十字架と復活に生きることを望むようになりました。彼は十字架の苦しみと復活までをも自分のものとしたかったのです。
 私たちが信仰に生きるというのは、そういう生き方ではないでしょうか。つまり、復活の栄光に達するために、キリストを知り、キリストの死をも受け止めていく生き方です。

祈り:主よ!私にキリストを知る素晴らしさを与えてくださり、ありがとうございます。さらには、私がキリストの十字架と復活までをも、自分のものとすることができますように導いてください。

一言:キリストの死に与り

カテゴリ:新約聖書::ピリピ人への手紙

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