2008年04月03日 (木)
出エジプト記 12:1-20
「わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。」(13)
神様は初子のわざわいを下される前に、イスラエルの民に、「この月を年の最初の月とせよ」と命じられました。また傷のない一歳の子羊をほふって、その血を二本の門柱とかもいにつけるよう命じられました。この羊の血はしるしとなります。神様は、エジプトの初子をさばかれる時、その血のある家はさばかれず、過ぎ越す(pass over)と約束されたのです(13)。神様はなぜ赤いペンキや帯ではなく、血をしるしとされたのでしょうか。血こそが生命をあらわすからです。血こそが命を与え、罪から贖うからです(レビ17:11)。イスラエルの民も人であり、罪ある存在であることは、エジプト人たちと同じです。イスラエル人もエジプト人と同じように、さばかれて滅びに至る存在でした。しかし神様はイスラエルを救うために、彼らの代わりに子羊の命を犠牲にされるのです。イスラエルの民が子羊をほふり、その血を門にぬることは、贖いの証なのです。
神様は、子羊の血で救われたその日を主への祭りの日とし、永遠に祝うように告げられます。過越しの祭りの翌日から七日間種を入れないパンを食べ、家からパン種を取り除くように言われました(15)。パン種は罪を象徴します。神様は、イスラエルが出エジプトの後、エジプトにあったのと同じ偶像崇拝や世の快楽の虜になることが無いように願われます。神様の御言葉に従って、敬虔であるように願われます。神様の恵みによって救われた人々は罪から離れ、神様を向いて生きて行くべきなのです。
祈り:主よ!子羊として十字架で死なれたイエス・キリスト、その血による贖いに与り、この救いの恵みの中で、あなたの御心にかなう生き方ができますように。私を導いてください。
一言:子羊の血をつけよ
「わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。」(13)
神様は初子のわざわいを下される前に、イスラエルの民に、「この月を年の最初の月とせよ」と命じられました。また傷のない一歳の子羊をほふって、その血を二本の門柱とかもいにつけるよう命じられました。この羊の血はしるしとなります。神様は、エジプトの初子をさばかれる時、その血のある家はさばかれず、過ぎ越す(pass over)と約束されたのです(13)。神様はなぜ赤いペンキや帯ではなく、血をしるしとされたのでしょうか。血こそが生命をあらわすからです。血こそが命を与え、罪から贖うからです(レビ17:11)。イスラエルの民も人であり、罪ある存在であることは、エジプト人たちと同じです。イスラエル人もエジプト人と同じように、さばかれて滅びに至る存在でした。しかし神様はイスラエルを救うために、彼らの代わりに子羊の命を犠牲にされるのです。イスラエルの民が子羊をほふり、その血を門にぬることは、贖いの証なのです。
神様は、子羊の血で救われたその日を主への祭りの日とし、永遠に祝うように告げられます。過越しの祭りの翌日から七日間種を入れないパンを食べ、家からパン種を取り除くように言われました(15)。パン種は罪を象徴します。神様は、イスラエルが出エジプトの後、エジプトにあったのと同じ偶像崇拝や世の快楽の虜になることが無いように願われます。神様の御言葉に従って、敬虔であるように願われます。神様の恵みによって救われた人々は罪から離れ、神様を向いて生きて行くべきなのです。
祈り:主よ!子羊として十字架で死なれたイエス・キリスト、その血による贖いに与り、この救いの恵みの中で、あなたの御心にかなう生き方ができますように。私を導いてください。
一言:子羊の血をつけよ






