HOME > 2008年03月 > 29日


甦りの栄光
Iコリント 15:35-49

 「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」(44)

 昔も今も、人々は甦りの体を、今と同じ体であるかのように考える傾向にあります。果たして私たちは、どのような姿でよみがえるのでしょうか。パウロは種のたとえをもって説明します。地に蒔かれた種は死んで甦るのです。ある人は、「甦るのなら、何のために死ぬのか。」と言うかも知れません。しかし甦るために死を通らなければならないのです。死は終わりではなく、甦りに先立つものです。
 おのおのの種はさまざまな形の花を咲かせます。種はごく小さなものですが、その種から、種とは比べられない美しい花が咲くのです。種の姿と、そこから咲く花の姿は明らかに違います。今の私たちの体は種粒のようなものです。しかしこの朽ちる体が蒔かれると、朽ちないものに甦るのです。卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされます。甦りの体は、「五欲七情」と「生老病死」に苦しめられる卑しい体ではありません。御霊に属する体です。死ぬ体ではなく、もはや死ぬことのない体です。
 私たちはアダムの子孫として、土から出て、土に属する体を着るようになりました。しかし、やがて来る日、私たちはイエス様によって天に属する者の体を着るのです。イエス・キリストと共に御霊に属する体を着て、永遠に主と共に生きるのです。

祈り:主よ!卑しく弱いこの体が、その日には、栄光の体を着るようになるとは・・・。私はこの栄光を慕い求めています。あなたの甦りの望みの中に生きて行きます。

一言:天に属する者の体
カテゴリ:新約聖書::コリント人への手紙第一

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