HOME > 2007年07月 > 19日


少年サムエルを呼ばれた神様
Ⅰサムエル 3:1-9

 「主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、『お呼びになったので参りました』と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、」(8)

I.御言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれな時代(1)
 エリの時代は神様の御言葉を聞くことができませんでした(1)。なぜなら神様の御言葉を預かった祭司エリは御言葉を研究することをせず、また教えることもしなかったからです。エリは安逸に陥り、体だけは肥えていました(4:18)。神様の御言葉は私たちの人生のともしびであり、私たちの人生の道の光です。誰でも神様の御言葉を聞くことができない時、人生の意味と目的を見つけることはできません。何よりもビジョンがありません。自然と肉体と金銭を中心に生きるようになります。それでどんな時代であっても、御言葉を研究し、教える人がいなければなりません。

II.少年サムエルを呼ばれた神様(2-9)
 霊的な指導者エリが神様の御言葉を研究しなかった時、肉体の目がかすんできて、神様の御旨を分別する霊的な目も次第に見えなくなっていました(2)。その時代は実に絶望的な時代でした。しかし神様の望みのともし火はまだ消えていませんでした(3)。神様は決して失望されず、その時代を照らすともし火を探しておられました。サムエルは、まだ神様もよく知らず、人の言葉なのか神様の御声なのかも、区別できない少年に過ぎませんでした。神様は少年サムエルにその時代を救う驚くべき望みを発見されました。望みの神様は神様の御言葉でその時代を照らす人を探しておられます。

祈り:主よ!この時代は御言葉がまれで、ビジョンがありません。足りないですが、私が御言葉を研究し、御言葉のしもべとして用いられるように助けてください。

一言:御言葉は望みの泉
カテゴリ:旧約聖書::サムエル記第一

ソーシャルブックマーク登録
イザ!ブックマーク Yahoo!ブックマークに登録 newsingに投稿 はてなブックマークに追加 こはてなアンテナに追加 del.icio.usに追加する ニフティクリップに追加 Livedoor クリップに追加 FC2ブックマークに追加 PingKingポッケに追加 Technorati に追加 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafブックマークへ追加 Choixへ追加 Blinklistへ追加 JoltMarkへ追加 このエントリーを含むはてなブックマーク はてなユーザーの評価 この記事をクリップ! livedoorユーザーの評価 Buzzurlにブックマーク Buzzurlにブックマーク このエントリーをGoogleBookmark に追加

  
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31     
<<   2019年 12月   >>
カテゴリ
プロフィール
RSSフィード

Add to Google
ADD TO Hatena::RSS
My Yahoo!に追加
Subscribe with livedoor Reader
PAIPO Readerへ追加
feedpathへ追加
gooリーダーへ追加
エキサイトリーダーに登録
HanRSSに追加
Bloglinesで閲読登録
Technorati お気に入りに登録
NewsGator Onlineへ追加
Subscribe in Rojo
Add to FeedShow
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ