HOME > 2007年06月 > 23日


将来啓示されようとしている栄光
ローマ 8:18-25

 「将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないもの」(18)

 私たちは弱い肉体を着てこの世に生きながら、疾病、迫害によって苦難を受け、罪の誘惑と戦うために、使命を担うために苦難を受けています。時には「生」に対する望みを失うほど苦難を受けたりもします。しかし今の時の苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものです(18)。
 では将来私たちに啓示されようとしている栄光はどんなものでしょうか。それは今被造物も切実な思いで待ち望んでいるものであり(19-22)、また罪と律法から解放され、永遠のいのちを得た私たちクリスチャンも心の中でうめきながら、待ち望んでいることです(23)。
 それは「私たちのからだが贖われる」ことです。「からだの贖い」はイエス様の再臨の時に、万物の回復と共に、私たちのからだが朽ちず、汚れず、霊のからだに変えられることを言います(Ⅰコリ15:42-44,51-54)。
 その時に、私たちはこれ以上罪に陥らず、律法と死の勢力に打ち勝つ人生を生きるようになります。万物が解放された神様の御国で完全な自由を得て、主と共に永遠に生きるようになります。これが私たちクリスチャンの究極的な望みです。
 私たちはこの望みを受け入れることで救いを受けました(24)。この望みは放棄できない望みです。私たちは信仰の生活でどんな苦難があってもこの望みが成し遂げられるまで、忍耐を持って、熱心に待たなければなりません。

祈り:主よ!私は、主の御国が一日も早くこの地に臨んで、私たちのからだが救われ、万物が回復されることを望み、今の苦しみを担います。私の中にこの望みがいつも満ち溢れるように祈ります。

一言:私たちには栄光ある望みがある
カテゴリ:新約聖書::ローマ人への手紙

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