HOME > 2007年06月 > 17日


あなたがた自身を神様にささげなさい
ローマ 6:1-14

 「あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。」(13)

 パウロは、「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」と言いました(5:20)。これは律法が罪をさらに罪に定めることによって、キリストの恵みがさらに大きくなるという意味です。ある人はこの御言葉を基に、「私たちのうちにさらに大きな恵みが増し加わるために、罪をもっと犯したほうがいい」と冗談のように言ったりもします。しかし私たちクリスチャンはそうすることができません。
 それは私たちがキリストと共にバプテスマを受けたからです。バプテスマの霊的な意味はキリストとつながることです(3,4)。私たちクリスチャンはキリストの死にあずかり、罪を支配の受けた昔の人が死に、キリストの復活にあずかって新しいいのちでよみがえったのです。それで私たちはこれ以上自分を罪の奴隷として引き渡してはいけません。私たちは、私たち自身とその手足を義の器として神様にささげなければなりません(12,13)。
 私たちのからだは義の器のようです。誰が私たちを用いるかによってその結果は違って来ます。罪が私たちのからだを治めれば、私たちは不義の器になります。
 しかし私たち自身を神様にささげれば、義の器になって、神様の栄光を現し、いのちを生かすことに尊く用いられるようになります。私たちは一度死んで再びよみがえった者のように、私たち自身を神様にささげ、献身しなければなりません。その時、罪はその人を支配できなくなり、その人は美しいいのちの実を結ぶ義の器になります。

祈り:主よ!私はこの死ぬべきからだを罪にささげずに、私を生かしてくださった神様にささげます。私を義の器として尊く用いてください。

一言:私のからだは義の器
カテゴリ:新約聖書::ローマ人への手紙

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