2007年11月04日 (日)
ゼパニヤ書 3:1-20
「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。」(17)
神様のさばきの対象にはイスラエルも例外ではありません。エルサレムは過去栄光の都市でした。しかし今は罪によって、反逆と汚れに満ちた暴力の町になっていました。民たちは主の御言葉を聞きませんでした。神様に近づこうともしませんでした。首長たちはほえたける雄獅子であり、さばきつかさたちは日暮れの狼でした。預言者たちはずうずうしく裏切る者、祭司たちは聖なる物を汚し、律法を犯しました。神様は、罪が満ち溢れるエルサレムを放置して置くことができませんでした。神様のさばきによって、エルサレムの通りには、だれも通り過ぎる者がいなくなりました。その全ての町は廃墟になりました。
しかし神様はこのようなさばきの中でも、回復の御業を成しておられます。残った者を通して、その御業を成し遂げられます。残った者たちは、主の御名を呼び、熱心に仕えました。悪を行なわず、偽りを語りません。恐ろしいさばきの中で、どうして残った者がいるのでしょうか。神様が彼らを救ってくださるからです。神様は救いの勇士です。神様の救いの御業は、誰も、何をも、止めることができません。救いは神様の力ある御業です。絶望的な罪人を、誰が救うことができるのでしょうか。救いを施される勇士、神様です。この神様が私たちの中におられます。神様は救ってくださるだけではなく、救われた者たちを喜ばれます。その愛によって安らぎを与え、高らかに歌って喜ばれます。救われ、残った者たちは、この神様の豊かな愛の対象です。この時代、私たちがまさにそれです。
祈り:主よ!あなたが救いをもたらす勇士となられ、私を救ってくださったように、全ての人々を救ってください。
一言:私たちを救われる方
「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。」(17)
神様のさばきの対象にはイスラエルも例外ではありません。エルサレムは過去栄光の都市でした。しかし今は罪によって、反逆と汚れに満ちた暴力の町になっていました。民たちは主の御言葉を聞きませんでした。神様に近づこうともしませんでした。首長たちはほえたける雄獅子であり、さばきつかさたちは日暮れの狼でした。預言者たちはずうずうしく裏切る者、祭司たちは聖なる物を汚し、律法を犯しました。神様は、罪が満ち溢れるエルサレムを放置して置くことができませんでした。神様のさばきによって、エルサレムの通りには、だれも通り過ぎる者がいなくなりました。その全ての町は廃墟になりました。
しかし神様はこのようなさばきの中でも、回復の御業を成しておられます。残った者を通して、その御業を成し遂げられます。残った者たちは、主の御名を呼び、熱心に仕えました。悪を行なわず、偽りを語りません。恐ろしいさばきの中で、どうして残った者がいるのでしょうか。神様が彼らを救ってくださるからです。神様は救いの勇士です。神様の救いの御業は、誰も、何をも、止めることができません。救いは神様の力ある御業です。絶望的な罪人を、誰が救うことができるのでしょうか。救いを施される勇士、神様です。この神様が私たちの中におられます。神様は救ってくださるだけではなく、救われた者たちを喜ばれます。その愛によって安らぎを与え、高らかに歌って喜ばれます。救われ、残った者たちは、この神様の豊かな愛の対象です。この時代、私たちがまさにそれです。
祈り:主よ!あなたが救いをもたらす勇士となられ、私を救ってくださったように、全ての人々を救ってください。
一言:私たちを救われる方
2007年11月03日 (土)
ゼパニヤ 2:1-15
「主の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。」(2)
主の大いなる日が、私たちを襲わないうちに、何をすべきでしょうか。預言者ゼパニヤは、「恥知らずの国民よ。こぞって集まれ。」と命じます。「恥知らずの国民」とは、罪を犯しても恥じない民を指します。何のために集まるべきなのでしょうか。悔い改めのためです。悔い改めて、主なる神様を尋ねて行くべきなのです。義と柔和を求めるべきなのです。主の大いなる日が、どんなに恐ろしいものであったとしても、神様は、悔い改め立ち帰る者を救われます。しかし悔い改めを遅らせてはなりません。主の怒りの日が臨む前に、悔い改めなければならないからです。ノアの洪水の時にも、洪水が始まり、箱舟の窓が閉ざされた後では、もはや遅すぎました。悔い改めるのにも時があります。その時はいつまでもあるのではありません。一時的なものです。怒りの日が始まれば、その時にはもう遅いのです。今日、この時こそが、悔い改めるべき時です。
悔い改めない異邦人たちは、神様のさばきから逃れることができません。ペリシテ人が誇っていたガザ、アシュケロン、アシュドデ、エクロンなどの都市は荒れ果て、根こそぎにされます。モアブとアモンも、まるでソドムとゴモラのようになります。クシュ人も殺戮され、アッシリヤも砂漠のように荒れ果てます。彼らがこのようなさばきを受けるのは、驕り高ぶっていたからです。万軍の主の民を辱めたからです。彼らは自分たちの力と権力を信じ、誇りました。驕り高ぶりは神様がもっとも嫌われる罪です。また、力なく、小さく見える神様の民を無視し、苦しめる時、さばきから逃れることはできません。世のすべての民は神様の御前でへりくだるべきなのです。
祈り:主よ!私が怒りの日が臨む前に悔い改め、あなたを、また、あなたの義と柔和とを、求めることができますように、御助けください。
一言:今、この時間が、悔い改める時
「主の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。」(2)
主の大いなる日が、私たちを襲わないうちに、何をすべきでしょうか。預言者ゼパニヤは、「恥知らずの国民よ。こぞって集まれ。」と命じます。「恥知らずの国民」とは、罪を犯しても恥じない民を指します。何のために集まるべきなのでしょうか。悔い改めのためです。悔い改めて、主なる神様を尋ねて行くべきなのです。義と柔和を求めるべきなのです。主の大いなる日が、どんなに恐ろしいものであったとしても、神様は、悔い改め立ち帰る者を救われます。しかし悔い改めを遅らせてはなりません。主の怒りの日が臨む前に、悔い改めなければならないからです。ノアの洪水の時にも、洪水が始まり、箱舟の窓が閉ざされた後では、もはや遅すぎました。悔い改めるのにも時があります。その時はいつまでもあるのではありません。一時的なものです。怒りの日が始まれば、その時にはもう遅いのです。今日、この時こそが、悔い改めるべき時です。
悔い改めない異邦人たちは、神様のさばきから逃れることができません。ペリシテ人が誇っていたガザ、アシュケロン、アシュドデ、エクロンなどの都市は荒れ果て、根こそぎにされます。モアブとアモンも、まるでソドムとゴモラのようになります。クシュ人も殺戮され、アッシリヤも砂漠のように荒れ果てます。彼らがこのようなさばきを受けるのは、驕り高ぶっていたからです。万軍の主の民を辱めたからです。彼らは自分たちの力と権力を信じ、誇りました。驕り高ぶりは神様がもっとも嫌われる罪です。また、力なく、小さく見える神様の民を無視し、苦しめる時、さばきから逃れることはできません。世のすべての民は神様の御前でへりくだるべきなのです。
祈り:主よ!私が怒りの日が臨む前に悔い改め、あなたを、また、あなたの義と柔和とを、求めることができますように、御助けください。
一言:今、この時間が、悔い改める時
2007年11月02日 (金)
ゼパニヤ 1:1-18
「主の大いなる日は近い。それは近く、非常に早く来る。」(14)
ゼパニヤはヒゼキヤのやしゃごにあたり、王族出身の預言者です。彼は神様の緊迫したさばきを警告し、悔い改めを促しました。1章で何度も繰り返される言葉は「断ち滅ぼす」、「罰する」です。ゼパニヤは私たちに恐ろしいさばきを警告しています。その日は主の大いなる日です。その日は、ノアの洪水のさばきよりも、さらに徹底して恐ろしいものです。ノアの洪水の時は、水に住む魚は死にませんでしたが、主の大いなる日には、地上のすべてのものが断ち滅ぼされます。人と獣、空の鳥と海の魚が取り除かれます。
その日、神様は主を裏切って従わなかった者と尋ねず求めもしなかった者を徹底して滅ぼされます。人々は、「主のさばきの日がいつ来るのか。」と言って、人生を楽しみます。しかしその日は遠いものではありません。近く、非常に早く来ます。その日は激しい怒りの日であり、苦難と苦悩の日です。荒廃と滅亡の日であり、やみと暗黒の日です。雲と暗やみの日です。全地が主のねたみの火でのみ尽されるようになります。人々が頼っていた銀と金は、その日に彼らを救い出すことができません。私たちは主の大いなる日を覚えているべきです。そしてこの地で我が思いのままに生きるべきではありません。恐れおののいて、主に仕え、信仰によって生きるべきです。罪を遠ざけ、きよく生きて行くべきなのです。神様のさばきを無視する人々は主の大いなる日に震えます。その時は後悔しても遅すぎます。しかし、一方で、信仰によって生きる人々は恐れません。その日はむしろ救いの日だからです。
祈り:主よ!あなたの大いなる日がどれだけ恐るべきものなのか分かりました。今日も、あなたを恐れおののく気持ちで生きて行くことができますように。
一言:恐れの日
「主の大いなる日は近い。それは近く、非常に早く来る。」(14)
ゼパニヤはヒゼキヤのやしゃごにあたり、王族出身の預言者です。彼は神様の緊迫したさばきを警告し、悔い改めを促しました。1章で何度も繰り返される言葉は「断ち滅ぼす」、「罰する」です。ゼパニヤは私たちに恐ろしいさばきを警告しています。その日は主の大いなる日です。その日は、ノアの洪水のさばきよりも、さらに徹底して恐ろしいものです。ノアの洪水の時は、水に住む魚は死にませんでしたが、主の大いなる日には、地上のすべてのものが断ち滅ぼされます。人と獣、空の鳥と海の魚が取り除かれます。
その日、神様は主を裏切って従わなかった者と尋ねず求めもしなかった者を徹底して滅ぼされます。人々は、「主のさばきの日がいつ来るのか。」と言って、人生を楽しみます。しかしその日は遠いものではありません。近く、非常に早く来ます。その日は激しい怒りの日であり、苦難と苦悩の日です。荒廃と滅亡の日であり、やみと暗黒の日です。雲と暗やみの日です。全地が主のねたみの火でのみ尽されるようになります。人々が頼っていた銀と金は、その日に彼らを救い出すことができません。私たちは主の大いなる日を覚えているべきです。そしてこの地で我が思いのままに生きるべきではありません。恐れおののいて、主に仕え、信仰によって生きるべきです。罪を遠ざけ、きよく生きて行くべきなのです。神様のさばきを無視する人々は主の大いなる日に震えます。その時は後悔しても遅すぎます。しかし、一方で、信仰によって生きる人々は恐れません。その日はむしろ救いの日だからです。
祈り:主よ!あなたの大いなる日がどれだけ恐るべきものなのか分かりました。今日も、あなたを恐れおののく気持ちで生きて行くことができますように。
一言:恐れの日






