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責任と悔い改め
エゼキエル 18:1-24

 「正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。」(20)

I.罪を犯した者は、その者が死ぬ(1-20)
 イスラエルには「父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。」ということわざがありました。先祖の罪のために子孫が苦難を受けるという意味です。当時民たちは今の辛い状況が先祖たちの罪のためだといい、先祖のせいにだけしました。しかし神様は彼らに向かってはっきりと言われます。「すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。」(4)
 神様の前では、父も子もみな人格を持った存在であり、自分の罪に対して、それぞれの責任を問われます。子どもが父に従って善を行なわずに罪を犯せば、その罪によって死ぬようになります。子どもが父の行なった罪を見て恐れ、御言葉に従って生きるなら、自分の義によって生きるようになります。悪者でも罪を悟り、犯した罪から離れ、神様の御言葉に従って生きるならば、生きて死ぬことがありません。しかし正しい者でも義から離れ、罪を犯し悪者の行く道を行くなら、生きることができず、死にます。神様は過去よりも今をどのように生きているのかを重要視します。

II.生きることを喜ばないだろうか(21-24)
 神様は悪者が死ぬことを少しも喜ばれません。悪者が立ち返り、その道から離れ生きることを喜ばないでしょうか。
 それで罪人がすべきことは、立ち返って悔い改め、すべての罪から離れることです。

祈り:主よ!私の中でも、いつも先祖のせいにする心がありました。今私の罪を悟り、主に出て行きますから、私を赦してください。

一言:自分の罪を悟り立ち返れ

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にせ預言者の特徴
エゼキエル 13:1-23

 「自分の霊に従う愚かな預言者どもにわざわいが来る。」(3)

I.自分の心のままに預言します(1-9)
 「預言者」とは神様の御言葉を受け、その通りに伝える任務を任された人々です。ところが当時のにせ預言者たちは神様から来るまぼろしを見ずに、「自分の心のままに」、「自分の霊に従って」預言しました。その結果真理を歪曲させ、民たちを堕落させるのに一役買ってしまいました。また彼らは「むなしい幻を見て、まやかしの占い」をして、主の御名を軽んじました。

II.平安がないのに「平安」と言います(10-16)
 にせ預言者たちはぶどう園の壁に穴を開け、ぶどう園を台無しにするきつねのように、私たちのたましいに穴を開けてしまいます。彼らは奸悪な言葉と狡猾な言葉で純真な人々を惑わせます。にせ預言者たちは災いが臨んでも、「平安。平安。」と叫びます。彼らは悔い改めのメッセージ、十字架のメッセージ、さばきのメッセージを伝えません。

III.財産のために人々をわなにかけます(17-23)
 きつねはえさを探し回り、発見すればむさぼり尽くします。にせ預言者はこのきつねのように貪欲です。財産を愛し、少しばかりのパンのために神様を冒涜し、まやかしを行なって、民たちを死なせます。本当の預言者たちは羊たちのいのちを生かすために、自分を犠牲にしますが、にせ預言者たちは自分たちの有益のために羊たちを犠牲にします。

祈り:主よ!私に霊的な分別力をくださり、にせ預言者たちに誘惑されず、真理の道を行くように助けてください。

一言:私たちのたましいをわなにかけるきつねを警戒しなさい

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新しい霊を与える
エゼキエル 11:14-25

 「わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。」(19)

I.彼らの聖所となっていた(14-20)
 エルサレムに残っている人々はバビロンに連れて行かれた人々をあざ笑いました。「主から遠く離れよ。この地は私たちの所有として与えられているのだ。」(15)。彼らは捕囚として連れて行かれた人々は呪いを受けた者であり、自分たちは神様の祝福を受けている者だと考えていました。しかし神様は正反対の考えを持っておられました。「わたしは彼らを遠く異邦の民の中へ移し、国々の中に散らした。しかし、わたしは彼らが行ったその国々で、しばらくの間、彼らの聖所となっていた。」(16)。神様が彼らを懲らしめたのは、決して彼らを捨てようとしたからではありません。彼らが立ち帰り清めようとする愛からです。神様は彼らに清い心を与え、新しい霊を与え、彼らのからだから石の心を取り除き、肉の心を与えられます(19)。再び神様の定めを守り行なうようにされ、神様の民になるように、されます。それで、試練の日に落胆したり絶望せずに、私たちに向けられた神様の聖なる愛を信じなければなりません。そして私たちの心を清め、主に立ち返らなければなりません。

II.忌み嫌うべきものに従う者は(21-25)
 神様が懲らしめられる時に、むしろ心が歪み神様が忌み嫌うべきものに従う人々がいます。神様は、そのような人にはその行ないによって報いる、と警告されます。

祈り:主よ!私に新しい霊を与え、石の心を取り除き肉の心をくださって、主に従う者になるように助けてください。

一言:新しい霊

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嘆き、悲しんでいる人々
エゼキエル 9:1-11

 「すべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」(4)

I.憤りを注ぎ出される神様(1-8)
 聖なる神様に仕えなければならないエルサレムの町は、多くの偶像で満ちていました。民たちは忌み嫌うべき偶像に、指導者である七十人の長老たちははうものや忌むべきあらゆる獣に、女たちはバビロンの穀物の神タンムズに、祭司長とレビ人たちまでも太陽を拝んでいました(参照.8章)。彼らは神様を無視し、さばきを招きました。神様は今、破壊する武器を持った使いたちを送り、町の中を行き巡るように命じられました。そして惜しんだり、あわれんではならず、年寄りも、子どもも、女までも殺して滅ぼし、「宮を汚し、死体で庭を満たせ」と命じられました。神様は罪と不法で満ちたエルサレムの町に憤りを注ぎ出されました。忌み嫌う罪で満ちた宮を捨ててしまわれました。

II.しるしのついた者にはだれにも近づいてはならない(4,6)
 神様はそのさばきの中でも、すべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけ、彼らには近づいてはならないと言われます。「嘆き、悲しんでいる人々」とはエルサレムの町で行なわれている偶像崇拝の罪に同調せずに、その罪を嘆き悲しむ人々を指します。彼らは罪深い世の中と妥協せず、信仰の純潔を守るために、戦う人々です。罪によって悲しむ人は神様が憐れみを施してくださり、救ってくださいます。

祈り:主よ!私がこの時代の罪と妥協せずに、信仰の純潔を守り、救いに至るようにしてください。

一言:悲しむ者は幸いである

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終わりが来る
エゼキエル 7:1-27

 「終わりが来る。その終わりが来る。あなたを起こしに、今、やって来る。」(6)

I.容赦ないわざわい(1-9)
 神様は長い間イスラエルの罪を耐え忍ばれ、悔い改める機会をくださいました。しかし彼らは全く耳を傾けずに、続けて罪を犯しました。これ以上懲罰を保留にすれば、神様の公義が損なわれるだけではなく、彼らは永遠に神様を忘れてしまうようになります(4)。イスラエルにその終わりが来ました。神様の懲罰は速くて恐ろしいものです。彼らが聞いたこともないわざわいが、避ける暇もなく、突然臨みます。神様はその日に罪を犯した者の行ないを問われます。そしてすべての忌み嫌う行ないに報いられます。その日に神様は悪者を惜しまず、あわれまれず、行ないによって仕返しをされます。私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるのです(Ⅱコリ5:10)。神様を恐れ、罪から離れなければなりません。

II.彼らの富もなくなり(10-13)
 神様のさばきの前で、富も美しさも何の役にも立ちません。その日には、買う者も喜ばず、売る者も嘆かなくなります。その日には、人々が貴く思う銀を道ばたに投げ捨て、金を汚物のように思います。神様が怒りを注ぎ込まれる日には、銀と金が彼らを救い出すことができないからです(19)。それでその日が来る前に、神様に望みを置いて、御言葉に聞き従う生活をしなければなりません(26)。

祈り:主よ!私がさばきの神様を恐れ敬い、罪から離れて神様に望みを置き、御言葉に聞き従って生きるように助けてください。

一言:終わりの時がある

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