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ひとりの牧者を起こす
エゼキエル 34:17-31

 「彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。」(23)

I.肥えた羊とやせた羊との間をさばかれる神様(17-22)
 羊の中に、自分だけが食べ、他の羊は食べさせない悪い羊がいます。自分は牧場でよい草を食べて肥え、残った分を足で踏みにじるのです。自分は澄んだ水を飲んで、その残りを足で濁しました。他の羊は草を食べられず、水も飲めず、やせ衰えて行きます。ですが、自分の腹だけを満たそうとする利己的な羊も、ついには神様のさばきを受けるのです。神様は、自分だけを利することを望み、他人の成功を妬む羊たちから離れ去ります。神様は、あなたばかりではなく、あなたの隣人が喜びの中に生きることを願っておられます。世界の全ての民は神様のものだからです。

II.彼らを牧するひとりの牧者を起こされる神様(23-31)
 神様はやせた羊たちの上にひとりの牧者を起こし、彼らを養わせます。その牧者とは、すなわち神様のしもべダビデです。そして後には、ダビデの子孫として来られるキリストを指すのです。キリストはこの地で苦難の中にある羊たちに糧を与え、彼らの良い牧者になられます。神様は彼らの神様となり、キリストは彼らの中で王となり、敵を征服し、愛と平和で統治されるのです。キリストの統治のなかで、やせた羊たちは安らぎを得、実を結び、豊かになります。彼らは、もはや外国から略奪されません。彼らはもはや辱めをうけません。良い牧者イエス・キリストに在って、私たちは本当の自由を得るのです。

祈り:主よ!ただ、あなたに感謝するばかりです。あなたによって、私の人生は美しさ、豊かさのうちに甦りました。

一言:イエス様は私の良い牧者

カテゴリ:旧約聖書::エゼキエル書

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みずから羊を飼われる神様
エゼキエル 34:1-16

 「ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。」(2b)

I.自分だけ食べる牧者たち(1-6)
 本文で、イスラエルの牧者たちは政治的な指導者と宗教指導者たちを指します。彼らは当然神様の羊の群れを顧みて、養わなければなりませんでした。しかしイスラエルの牧者たちは羊たちを顧みずに、自分の利益だけを求め、自分を肥やしていました。羊が追われ、散らされても、探そうともしませんでした。羊の群れが奪われ、野の獣のえじきになりました。それでも牧者たちは羊たちを放置し、自分の腹を満たしていました。
 羊の群れを利用して自分の有益だけ求め、自分の腹だけを満たす悪い牧者たちは神様のさばきを受けるようになります。

II.みずから羊を飼われる神様(7-16)
 神様は、自分だけ食べるにせの牧者たちをそのままにして置かれません。彼らに立ち向かい、牧者職を剥奪し、二度と自分の欲心を満たすことのないようにされます(10)。そして神様みずからが羊の牧者になり、散らされた羊を探し回り、彼らが緑の草原に横たわり、良い草を食べるようにされます。牧者である神様は傷ついた者を包み込み、病んだ者を癒されます。
 神様がみずから羊を飼われるので、私たちには乏しいことがありません。牧者である神様は私たちを緑の草原、澄んだ水辺に導かれます。
 義と真理といのちの道に導かれます。私たちがすべきことは牧者である神様の御声をよく聞き、ついて行くことです。

祈り:主よ!神様が私の牧者になられ感謝します。生涯、主の御声を機器、主に似た良い牧者になるように助けてください。

一言:本当の牧者である神様

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高ぶりは破滅に至る
エゼキエル 28:1-19

 「あなたの心は、財宝で高ぶった。」(5)

 ツロは港町であり、貿易を通して世界が注目する経済大国になりました。ツロは神様の祝福によって経済大国になり、その豊かさと富で世界に名声をとどろかせました(エゼ27:25)。
 神様から多く祝福された人は祝福のみなもとである神様に感謝の祭壇を築き、隣人にもっと多く施す生き方を選ぶべきです。ところがツロは祝福の時に神様に栄光を帰そうとも、隣人を顧みようともしませんでした。むしろ選民イスラエルを蔑視し、驕り高ぶっていたのです(エゼ26:2)。
 中でも、ツロの王は自分を神として驕り高ぶり、思いのままにふるまいました。自分の知恵を誇り、多くの財宝によって心がひどく高ぶりました。そして彼は美の極みでありました(12)。神様が彼に施してくださった全ての祝福と恵みを覚え、神様の栄光のために生きるべきだったのです。
 しかし彼は祝福の時に、傲慢の極みに達しました。神様は、このように驕り高ぶるツロ王を地に投げ出し、人々の見せものとされるのです。祝福を慕い求め、祝福に与るまで諦めないことも必要です。しかし、それよりもさらに大切なのは、祝福の時に神様を忘れ去ることなく、その祝福を下さった神様を覚えることです。人は誰でも高ぶりやすいものです。私たちはどのようにしたら高ぶりの罪に陥らずにすむのでしょうか。
 私が今あるのは完全に神様の恵みであることを覚え、自ら進んで神様に感謝の祭壇を築くこと、それが、私たちを高ぶりから守ります。

祈り:主よ!私がいつも高ぶりの罪を悔い改め、あなたの御前にへりくだり、あなたの子どもとして生きることができますように。

一言:祝福の時にへりくだれ

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淫行の責めを負え
エゼキエル 23:1-35

 「あなたも自分のみだらな行ないと、淫行の責めを負え。」(35)

I.オホラの罪(1-10)
 ふたりの女がいましたが、姉の名はオホラ、妹の名はオホリバでした。彼女たちは若いときから淫行と姦通を行ないました。「オホラ」は「彼女の天幕」という意味であり、「神様が定められたものではなく、自分の思いのままに作った天幕」という意味です。オホラは北イスラエルの首都であったサマリヤを指します。北イスラエルの王と民たちは自分たちをお立てになった神様を捨て、アッシリヤ人を慕って頼り、アッシリヤの、あらゆる偶像によって自らを汚しました。彼らは、まるで夫を捨ててどの男にでも貞操を売る淫乱な女のようだったのです。神様は、彼らを、彼らが恋い慕うアッシリヤの手に渡されました。そして、アッシリヤは容赦なく彼らを踏みにじりました。

II.オホリバの罪(11-35)
 「オホリバ」は「私の天幕が彼女にある」という意味で、「エルサレムの中に神様の天幕がある」という意味です。オホリバ、即ちユダの罪は姉である北イスラエルの滅亡を見ても、淫乱を改めず、むしろさらに耽りました。彼らはアッシリヤを恋い慕っていましたが、バビロンが現われると、今度は彼を慕いました。自分の目が好むまま、あちらこちらの男に貞操を売り渡したのです。神様は、こうした南ユダの行ないの責任を彼らに負わせます。彼らをバビロンの手に渡されるのです。「それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたはわたしを忘れ、わたしをあなたのうしろに投げやったから、あなたも自分のみだらな行ないと、淫行の責めを負え。」(35)

祈り:主よ!この世の誘惑が多いこの時代に、ただ、あなただけを愛する霊的な貞操を守り通すことができますように、私を助け導いてください。

一言:貞操を守れ

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わたしたちの神
エゼキエル 20:1-17

 「わたしがあなたがたの神、主であると言って彼らに誓った。」(5)

I.偶像を捨てようともしなかった(1-9)
 イスラエルの長老たちがバビロンの苦難がいつ終わるのか知りたくて、エゼキエルに訪ねて来ました。しかし神様は彼らの質問に対してお答えにならず、ただ彼らの恩知らずの罪を咎められます。神様はイスラエルを選び、彼らの神様になりました。神様は彼らをエジプトから導かれ、乳と蜜が流れる麗しい地に入れることを言われました。「わたしがあなたがたの神、主である。」彼らは当然神である主を頼り、仕えなければなりませんでした。しかし彼らは神様から離れ、偶像に向きました。彼らは、偶像を投げ捨てよ、という神様の命令にも関わらず、カナンの偶像を捨てず、エジプトの偶像を捨てませんでした。

II.定めをないがしろにした(10-17)
 神様はご自分の名前のためにイスラエルをエジプトから導き出しました。そして荒野で彼らにおきてと定めを教えられました。これは人が実行すれば生きることのできる命の道でした。また神様は、偶像で汚れた彼らを聖別する主であることを知らせるために、安息日を与えしるしとされました。しかし彼らは定めをないがしろにし、安息日をひどく汚しました。このような彼らに向けて、神様は荒野で憤りを注がれ、罪を犯した彼らを約束の地に入らせませんでした。

祈り:主よ!私が心の奥にある偶像を捨てて、神様の御言葉に聞き従い、安息日を聖別できるように助けてください。

一言:私たちの神、主

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