2006年12月13日 (水)
箴言 23:1-18
「そのごちそうをほしがってはならない。それはまやかす食物だから。」(3)
I.そのごちそうをほしがってはならない(1-11)
高い地位にある支配者と食事の席に着くときは、その人がどんな人であるのかを考え、よく注意すべきです(1)。おいしい食事につられた結果、その計略にはめられてしまうこともあるのです。
ごちそうをほしがる者はのどに短刀を当てるつもりで、食べることを節制すべきです。また貪欲な人の食物を食べてはなりません。そのごちそうを欲しがってはならないのです(6)。その心の思いが悪い者は善意でごちそうするのではなく、悪い動機でもてなすからです(7)。
富を得るために苦労すべきではなく、悟って、これをやめるべきです(4)。富は翼があり、わしのように飛んで行きます。いつ飛んでしまうのかも分からないむなしいものなのです。このような富を欲すれば、すべての悪に陥り、破滅を招きます(Ⅰテモ6:9,10)。もちろん、富それ自体が悪いものなのではありません。その用い方が問題です。富を神様のために用い、神様のために豊かになるならば、その富は価値を持つのです。
II.訓戒に意を用い(12-18)
私たちは神様の訓戒に意を用い、知識のことばに耳を傾けるべきです(12)。神様の訓戒の御言葉に聞き従えば、時代の風潮に取り残されるのでは、と心配する人々がいます。しかし神様の訓戒の御言葉に聞き従うならば、むしろ将来が開け、望みは決して断ち切られません(18)。罪の本性に支配されやすい子ども救うためには厳しさが必要とされることがあります。愛する我が子を懲らしめるのは辛いことですが、その懲らしめが、彼のたましいをよみから救うのです(14)。
祈り:主よ!私がおいしい食事や富に目がくらむことなく、あなたの訓戒の御言葉に意を用いることができますように、御守りください。
一言:どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。
「そのごちそうをほしがってはならない。それはまやかす食物だから。」(3)
I.そのごちそうをほしがってはならない(1-11)
高い地位にある支配者と食事の席に着くときは、その人がどんな人であるのかを考え、よく注意すべきです(1)。おいしい食事につられた結果、その計略にはめられてしまうこともあるのです。
ごちそうをほしがる者はのどに短刀を当てるつもりで、食べることを節制すべきです。また貪欲な人の食物を食べてはなりません。そのごちそうを欲しがってはならないのです(6)。その心の思いが悪い者は善意でごちそうするのではなく、悪い動機でもてなすからです(7)。
富を得るために苦労すべきではなく、悟って、これをやめるべきです(4)。富は翼があり、わしのように飛んで行きます。いつ飛んでしまうのかも分からないむなしいものなのです。このような富を欲すれば、すべての悪に陥り、破滅を招きます(Ⅰテモ6:9,10)。もちろん、富それ自体が悪いものなのではありません。その用い方が問題です。富を神様のために用い、神様のために豊かになるならば、その富は価値を持つのです。
II.訓戒に意を用い(12-18)
私たちは神様の訓戒に意を用い、知識のことばに耳を傾けるべきです(12)。神様の訓戒の御言葉に聞き従えば、時代の風潮に取り残されるのでは、と心配する人々がいます。しかし神様の訓戒の御言葉に聞き従うならば、むしろ将来が開け、望みは決して断ち切られません(18)。罪の本性に支配されやすい子ども救うためには厳しさが必要とされることがあります。愛する我が子を懲らしめるのは辛いことですが、その懲らしめが、彼のたましいをよみから救うのです(14)。
祈り:主よ!私がおいしい食事や富に目がくらむことなく、あなたの訓戒の御言葉に意を用いることができますように、御守りください。
一言:どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。
2006年12月12日 (火)
箴言 22:1-16
「名声は多くの富よりも望ましい。愛顧は銀や金にまさる。」(1)
I.愛顧は銀や金にまさる(1-5)
この世の人々は多くの富がこそが何にも勝る価値であると考えます。富を得るために名誉も捨て、健康さえも犠牲にします。そして、さらには神様の御言葉も拒みます。しかし実際には多くの富よりも名声に価値があるのです(1)。名声があれば、必要な富が伴い、生きがいを得ます。
しかし世の名声は花のようにしぼんでしまいます。しぼむことのない名声は、永遠の神様から受ける名声だけです。ですから私たちは銀や金より、神様から来る愛顧を求めるべきです。神様は、ご自分を尊ぶ者を尊ばれ、名声ある者にされます(Ⅰサム2:30)。たとえ、この世で損をしても、主権者なる神様を信じ、この御方をを畏れ敬って生きる時、神様は富と誉れといのちで報いてくださるのです(2,4)。
II.若者をその行く道にふさわしく教育せよ(6-16)
若者をその行く道にふさわしく教育すれば、年老いても、それから離れません(6)。子どもの心には愚かさがつながれており、これを断ち切るために懲らしめの杖が必要なこともあります(15)。その子の行く道のために教育しなければならない時に教育を怠るならば、その子を滅ぼすことになります。愛の杖は子どもを幸いな者とするのです。
自分のパンを寄るべのない者に与える善意の人は祝福を受け(9)、心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となります(11)。
祈り:主よ!私が富よりも名声を、それも、この世の名声ではなく、あなたからの愛顧を選び求める者として生きることができますように。
一言:愛顧は銀や金にまさる
「名声は多くの富よりも望ましい。愛顧は銀や金にまさる。」(1)
I.愛顧は銀や金にまさる(1-5)
この世の人々は多くの富がこそが何にも勝る価値であると考えます。富を得るために名誉も捨て、健康さえも犠牲にします。そして、さらには神様の御言葉も拒みます。しかし実際には多くの富よりも名声に価値があるのです(1)。名声があれば、必要な富が伴い、生きがいを得ます。
しかし世の名声は花のようにしぼんでしまいます。しぼむことのない名声は、永遠の神様から受ける名声だけです。ですから私たちは銀や金より、神様から来る愛顧を求めるべきです。神様は、ご自分を尊ぶ者を尊ばれ、名声ある者にされます(Ⅰサム2:30)。たとえ、この世で損をしても、主権者なる神様を信じ、この御方をを畏れ敬って生きる時、神様は富と誉れといのちで報いてくださるのです(2,4)。
II.若者をその行く道にふさわしく教育せよ(6-16)
若者をその行く道にふさわしく教育すれば、年老いても、それから離れません(6)。子どもの心には愚かさがつながれており、これを断ち切るために懲らしめの杖が必要なこともあります(15)。その子の行く道のために教育しなければならない時に教育を怠るならば、その子を滅ぼすことになります。愛の杖は子どもを幸いな者とするのです。
自分のパンを寄るべのない者に与える善意の人は祝福を受け(9)、心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となります(11)。
祈り:主よ!私が富よりも名声を、それも、この世の名声ではなく、あなたからの愛顧を選び求める者として生きることができますように。
一言:愛顧は銀や金にまさる
2006年12月11日 (月)
箴言 21:1-31
「人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。」(2)
I.心の値うちをはかられる主(2,3,12)
人は自分の道はみな正しいと思いますが、主は私たちの心の値うちをはかられます(2)。主は、いけにえをささげることよりも、正義と公義を行なって生きることを喜ばれます(3)。公義の神様は悪者の家を見抜き、悪者どもを自分の悪事のために滅ぼされます(12)。神様は私たちの心の値うちをはかられる方です。私たちは人をあざむくことはできても、神様をあざむくことはできません。私たちの心の値うちをはかられる神様の御前で、神様の義に生きることができますように。
II.争い好きな女(9,19)
争い好きな女性と社交場にいるよりは、むしろ屋根の片隅に一人で住むことを選ぶべきです(9)。争い好きで、うるさい女性といるよりは、荒野に住むことを選ぶべきです(19)。忍耐と包容力こそが妻の美しさなのです。そして夫も妻の怒りを買うことのないように絶えず心がけているべきです。
III.勝利は主がくださる(31)
戦いに備えいくら多くの馬を用意したとしても、勝利はただ主の御手のなかにあります(31)。戦いをつかさどられる御方は神様です。私たちがいくら計画をたてていても、神様がともにいてくださらなければ道は開かれません。私たちは、全てのことをつかさどられる神様の御前にへりくだり、この御方に拠り頼むということを、体験を通じて学んで行くべきなのです。
祈り:主よ!あなたの前で真実に生き、あらゆることをつかさどられているあなたに拠り頼んで生きて行くことができますように、御導きください。
一言:私の心の値うちをはかられる主
「人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。」(2)
I.心の値うちをはかられる主(2,3,12)
人は自分の道はみな正しいと思いますが、主は私たちの心の値うちをはかられます(2)。主は、いけにえをささげることよりも、正義と公義を行なって生きることを喜ばれます(3)。公義の神様は悪者の家を見抜き、悪者どもを自分の悪事のために滅ぼされます(12)。神様は私たちの心の値うちをはかられる方です。私たちは人をあざむくことはできても、神様をあざむくことはできません。私たちの心の値うちをはかられる神様の御前で、神様の義に生きることができますように。
II.争い好きな女(9,19)
争い好きな女性と社交場にいるよりは、むしろ屋根の片隅に一人で住むことを選ぶべきです(9)。争い好きで、うるさい女性といるよりは、荒野に住むことを選ぶべきです(19)。忍耐と包容力こそが妻の美しさなのです。そして夫も妻の怒りを買うことのないように絶えず心がけているべきです。
III.勝利は主がくださる(31)
戦いに備えいくら多くの馬を用意したとしても、勝利はただ主の御手のなかにあります(31)。戦いをつかさどられる御方は神様です。私たちがいくら計画をたてていても、神様がともにいてくださらなければ道は開かれません。私たちは、全てのことをつかさどられる神様の御前にへりくだり、この御方に拠り頼むということを、体験を通じて学んで行くべきなのです。
祈り:主よ!あなたの前で真実に生き、あらゆることをつかさどられているあなたに拠り頼んで生きて行くことができますように、御導きください。
一言:私の心の値うちをはかられる主
2006年12月10日 (日)
箴言 19:1-29
「高貴な人の好意を求める者は多く、」(6)
I.高貴な人(1-17)
誠実に歩む者は、曲がったことを言う愚かな者にまさります(1)。誠実に歩めば貧しさが恥や罪になりません。しかし貧しさが美徳ではありません。貧しいことよりは、友人や兄弟たちに豊かに施し、プレゼントできるほうが良いのです。誠実に歩めずになまけ(15)、貧しくなったことは悔い改めなければなりません。
高貴な人には恵みを求める人が多くいます(6)。貧しい者を憐れむことは神様に貸すことです(17)。私たちは、貧しい人々を顧みられる神様を考えて、自分の所有物も神様から与えられたことを悟り、分け与える生活をしなければなりません。その時、神様はその正しい行ないに対して報いてくださいます。また怒りを遅くし、むしろ赦す者にならなければなりません(11,13)。
II.自分の子を懲らしめよ(18-27)
愚かな子はその父親のわざわいです。父に乱暴し、母を追い出す者は、恥を見、はずかしめを受ける子です(26)。このような子どもでも望みのあるうちに、懲らしめて教えなければなりません(18)。神様を恐れることを教え、知恵の御言葉を教えなければなりません。なぜなら神様の御旨だけが必ず成し遂げられ(21)、神様はあざける者をさばかれるからです(29)。それで子どもがあざける者であり、教えを受けなければ、打ってでもわきまえるように助けなければなりません(25)。悟りのある者であっても、あやまちを犯した時は責めて、知識をわきまえるようにしなければなりません。
祈り:主よ!私が与える生活、寛容な生活をするように助けてください。また、神様の教えを受け、懲らしめる愛をするように助けてください。
一言:あなたは教えを聞き、訓戒を受けよ
「高貴な人の好意を求める者は多く、」(6)
I.高貴な人(1-17)
誠実に歩む者は、曲がったことを言う愚かな者にまさります(1)。誠実に歩めば貧しさが恥や罪になりません。しかし貧しさが美徳ではありません。貧しいことよりは、友人や兄弟たちに豊かに施し、プレゼントできるほうが良いのです。誠実に歩めずになまけ(15)、貧しくなったことは悔い改めなければなりません。
高貴な人には恵みを求める人が多くいます(6)。貧しい者を憐れむことは神様に貸すことです(17)。私たちは、貧しい人々を顧みられる神様を考えて、自分の所有物も神様から与えられたことを悟り、分け与える生活をしなければなりません。その時、神様はその正しい行ないに対して報いてくださいます。また怒りを遅くし、むしろ赦す者にならなければなりません(11,13)。
II.自分の子を懲らしめよ(18-27)
愚かな子はその父親のわざわいです。父に乱暴し、母を追い出す者は、恥を見、はずかしめを受ける子です(26)。このような子どもでも望みのあるうちに、懲らしめて教えなければなりません(18)。神様を恐れることを教え、知恵の御言葉を教えなければなりません。なぜなら神様の御旨だけが必ず成し遂げられ(21)、神様はあざける者をさばかれるからです(29)。それで子どもがあざける者であり、教えを受けなければ、打ってでもわきまえるように助けなければなりません(25)。悟りのある者であっても、あやまちを犯した時は責めて、知識をわきまえるようにしなければなりません。
祈り:主よ!私が与える生活、寛容な生活をするように助けてください。また、神様の教えを受け、懲らしめる愛をするように助けてください。
一言:あなたは教えを聞き、訓戒を受けよ
2006年12月09日 (土)
箴言 18:1-24
「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。」(24)
I.「兄弟よりも親密な者もいる。」(1-9)
愚かな者はすべてのすぐれた知性と仲たがいをします(1)。その人は共同体の善のために自分を犠牲にしようとはせずに、自分の利己的な欲望のままに求め、自分の意見だけを表すことで(2)、共同体を分裂させます。このような者は価値観が自己中心的なので、善悪についての判断力がなく(5)、他人に悪を行なうようになります(6)。また自分の仕事になまけ、他の人に害を及ぼします(9)。このような者はむち打つ者を呼び寄せ、自ら滅びの道を歩むようになります(6,7)。しかし、神様は、私たちが隣人との関係において祝福の源になることを願われます。利己心によって神様の共同体である教会に被害を与えたり、分列を引き起こしたりすることは大きな罪です。
II.兄弟よりも親密な友人(10-24)
上の愚かな者とは違い、正しい者は神様に頼って安全を得(10)、神様の前で謙ることで栄誉を得るのみならず(12)、神様の創造の秩序に従って神様からの恵みを受けます(22)。多くの友人を得ることより、兄弟よりも親密な友人を得ます(24)。
兄弟より親密な友人はイエス様です(ヨハ15:13)。イエス様は私たちのためにそのいのちを十字架に差し出されました。私たちは多くの友人より、このイエス様を得なければなりません。またこのイエス様を中心に友人と交わる時、兄弟より親密な友人として交わることができます。このような友人がない者は不幸な者です。人生の失敗者です。
祈り:主よ!私が愚か者にならないように助けてください。私が兄弟より親密な友人を得、自分もそのような友人になるように助けてください。
一言:共同体に有益をもたらす正しい者
「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。」(24)
I.「兄弟よりも親密な者もいる。」(1-9)
愚かな者はすべてのすぐれた知性と仲たがいをします(1)。その人は共同体の善のために自分を犠牲にしようとはせずに、自分の利己的な欲望のままに求め、自分の意見だけを表すことで(2)、共同体を分裂させます。このような者は価値観が自己中心的なので、善悪についての判断力がなく(5)、他人に悪を行なうようになります(6)。また自分の仕事になまけ、他の人に害を及ぼします(9)。このような者はむち打つ者を呼び寄せ、自ら滅びの道を歩むようになります(6,7)。しかし、神様は、私たちが隣人との関係において祝福の源になることを願われます。利己心によって神様の共同体である教会に被害を与えたり、分列を引き起こしたりすることは大きな罪です。
II.兄弟よりも親密な友人(10-24)
上の愚かな者とは違い、正しい者は神様に頼って安全を得(10)、神様の前で謙ることで栄誉を得るのみならず(12)、神様の創造の秩序に従って神様からの恵みを受けます(22)。多くの友人を得ることより、兄弟よりも親密な友人を得ます(24)。
兄弟より親密な友人はイエス様です(ヨハ15:13)。イエス様は私たちのためにそのいのちを十字架に差し出されました。私たちは多くの友人より、このイエス様を得なければなりません。またこのイエス様を中心に友人と交わる時、兄弟より親密な友人として交わることができます。このような友人がない者は不幸な者です。人生の失敗者です。
祈り:主よ!私が愚か者にならないように助けてください。私が兄弟より親密な友人を得、自分もそのような友人になるように助けてください。
一言:共同体に有益をもたらす正しい者






