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神である主の霊がわたしの上にある
イザヤ書 61:1-11

 「神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、」(1a)

I.貧しい者に良い知らせを伝え(1-3)
 イエス様はメシヤとして御業を始められた時、今日、御読みする御言葉を引用されました(ルカ4:18,19)。今日、この御言葉を通して、メシヤの御業が、どのようなものなのかを知ることができます。メシヤはこの地に来られます。そして、貧しい者に良い知らせを伝えるのです。「貧しい者」とは自分の足りなさを思い知ってへりくだった人のことを指しています。そして、「良い知らせ」とは、「神様がご自分のひとり子を私たちの罪のために贖いのそなえものとして御捧げになられたために、私たちが代価無しに罪の赦しに与る者とされる」知らせを指しています。この福音こそが、傷ついた人々を癒し、情欲の奴隷だった人々を解放し、悲しみの人を慰め、喜びと賛美に満ち溢れさせる力です。福音によって、人は、主の栄光を現す者へと変えられるのです。

II.あなたがたは主の祭司ととなえられ(4-11)
 イスラエルは弱小民族として虐げとはずかしめを受けてきました。しかし今、彼らに主の霊が臨みます。メシヤが来られたのです。そして、彼らの人生は完全に変えられました。彼らは主の祭司、神様に仕える者となり、全世界に神様の御言葉を伝える者となるのです。そして、彼らの子孫は神様からの祝福に与るようになります。これら全ての恵みと特権は彼らの行ないや功績によるものではありません。ただただ神様の御恵みによるのです。誰でもへりくだって、メシヤによる福音を受け入れるならば、恵みに与るものとなるのです。

祈り:主よ!あなたは、私たちを罪から救い出してくださいました。今、私は、あなたによって、祭司とされたことを覚え、感謝の中に生きて行きます。

一言:主の祭司

カテゴリ:旧約聖書::イザヤ書

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起きよ。光を放て。
イザヤ書 60:1-22

 「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、」(1)

I.国々はあなたの光のうちに(1-14)
 罪が闇となり、闇が地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっていました。しかし、今や、贖い主が到来が現実のものとなりました。神様の栄光の光が、私たちの行く道を照らしています。神様は、国々がその光によって、やみの世界から光の世界へと解き放たれることを願っておられます。
 今、起きて、その光を放つ時です。失われていたたましいが、神様の御許へと立ち返る時です。国々は、この御方の許へと、全ての財宝を捧げ、ひざまづくのです。主の民に敵対する国も民も滅び去ります。神様は、罪から立ち帰り、救い主に心を開き、起きて、光を放つ者を、大いに祝福し、栄光を与えてくださるのです。

II.永遠の光となる神様(15-22)
 私たちが、なぜ光を放つことができるのでしょう。それは、神様が私たちを照らし出してくださるからです。月が太陽の光を受け、暗い夜空を照らすように、私たちは神様の光に与り、此の世で光輝くことができるのです。神様は永遠の光です。神様の光に照らされるとき、私自身のうちにある闇も、絶望も消え去ります。望みが満ち溢れるのです。

祈り:主よ!あなたの光で、私を照らし出してください。あなたのゆえに私は人生に希望を見出しました。私を小さな光としてください。暗い世を、少しでも照らすことができるように。

一言:起きよ。光を放て。

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シオンには贖い主として来る(20a)
イザヤ書 59:1-21

 「しかし、シオンには贖い主として来る」

I.咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり(1-15a)
 私たちは神様に叫び求め、泣き悲しみます。公平を求め、救いを求めます。しかし公平と救いは遥か遠くに見えるばかりです。それは、主の御手が短くて救えない訳でもなく、耳が遠くて聞こえない訳でもありません。私たちの罪が、私たちと神様との仕切りとなり、神様の御顔を隠しているのです。私たちの手は血で、指は罪で汚れ、私たちの口は偽りを話し、私たちの舌は不正をつぶやいているのです。神様は全能なる御方です。全ての良きことを成し遂げることのできる御方です。それにも関らず、私たちの祈りにこたえて下さらず、救いを遥か遠くに引き離しておられます。それは、私たちの罪の故です。罪を行なう者は光を求めても、闇ばかり、輝きを求めても、暗闇の中を歩むばかりなのです。

II.ご自分の御腕で救いをもたらし(15b-21)
 しかし、神様はこのような人々を決してお見捨てにはなりません。ご自分の御腕によって救いをもたらしたいと願っておられます。「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」神様は公正であられ、同時に愛に満ち溢れた御方です。そして、罪を悔い改め贖い主を受け入れる者には、御霊を注いでくださいます。その心から、その口から、いのちの御言葉が永遠に離れないように守ってくださるのです。

祈り:主よ!あなたは、私たちを救うために、この地上に、イエス・キリストを御遣わしになられました。その恵みの大きさを覚えるとき、私はただ、立ち尽くすばかりです。私たちの罪を御赦しください。御霊と御言葉によって御守りください。

一言:贖い主が来る

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あなたは、潤された園のようになり
イザヤ書 58:1-14

 「あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。」(11b)

I.わたしの好む断食(1-12)
 イスラエルの民は、日々神様を探し求めているかのようでした。神様の道を知ることを喜んでいるかのようであり、断食を守り、神様に仕えているかのようでした。ですが、彼らのたましいに、いのちはなく、満たしはなく、光も失われていました。祈ってもこたえられませんでした。それは、彼らが断食をしつつも、世の楽しみに心を奪われていたからです。断食の本質とは何でしょう。神様が本当に喜ばれる断食とは何なのでしょうか。それは、罰せられ、疎外され、牢につながれ、しいたげられている者たちへの愛を実践することなのです。
 本当の信仰に生きるようになった時、暁のような光が差します。内なる全ての傷が癒され、祈りはこたえられます。私たちの人生は甦るのです。神様が導いてくださるからです。神様が、渇いたたましいを潤し、私たちの人生を支える骨を確かなものとしてくださいます。私たちの人生は、潤された園のように、水のかれない源のように、豊かに満たされるのです。

II.安息日は喜びの日(13-14)
 安息日は、体と心を神様にささげる日です。たましいの安らぎに与る日です。この日は、自分を喜ばせるために旅をしたり、遊興したり、雑談して時間を浪費する日ではないのです。安息日を尊ぶべきです。その時、私たちは、主の中で喜びを得て、満ち溢れる恵みに与ることができるようになるのです。

祈り:主よ!世の快楽に支配された生活ではなく、あなたが御喜びになる生き方を選び取ることができますように、私を助け導いてください。

一言:潤された園のように

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心砕かれた者とともに住まわれる神様
イザヤ書 57:1-21

 「心砕かれて、へりくだった人とともに住む。」(15)

I.そむきの子ら(1-13)
 イスラエルの民は神様を知っていながら、偶像にも仕えていました。彼らには節操がありませんでした。何が大切なのかを見失っていたのです。偶像崇拝は性的な倫理を乱しました。淫行を儀式の一つとして公に行なうことさえもありました。偶像崇拝は人間の尊厳を失わせました。神様はご自分と偶像を同じ天秤にかけるような者たちの声を聞かれません。偶像というのは風が吹くと飛ばされて消え去るような虚しいものです。このようなものに心を奪われてはなりません。本当に畏れ敬うべき御方、崇拝されるべき御方から失われてしまわないように。

II.心砕かれた人の心を生かす神様(14-21)
 神様はいと高くあがめられる御方、永遠の住まいに住む、聖なる御方です。この御方は高く聖なる所に住まわれています。そして、同時に、心砕かれ、へりくだった人とともにいてくださるのです。
 神様は罪を憎まれます。しかし、自分の罪を真実に告白し赦しを求める者を捨てはしません。神様は、たとえどんな罪を犯してしまったとしても、そのことを悔いて心を痛め、心から神様に立ち返ろうとする者を赦してくださいます。彼らを癒し、慰めと平安をくださいます。ですが、何時までも神様に背を向けている者を退けられます。

祈り:主よ!私が本当に大切なものを見失うことがありませんように。私の心はあなたによって砕かれました。今、あなたの御前に出て行きます。私の罪を御赦しください。私の心にいのちを与えてください。

一言:心砕かれた者と共に

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