2008年03月02日 (日)
創世記 45:1-15
「それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。」(7)
ヨセフはユダの悔い改めを見ると、これ以上感情を押さえることができませんでした。それでしもべたちをみな出し、声をあげて泣き、自分がヨセフであることを明かしました。そして恐れおののく兄たちに、詳細に神様の良い御旨が何であるのかを教えました。「それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」(7,8)。そしてさまざまな言葉で兄たちを慰めた後、すぐに行って父の家族を連れて、エジプトに下って来るように言いました。そして実弟ベニヤミンを抱いて泣きました。また兄たちと口づけをし、抱いて泣きました。
ヨセフは自分の人生を神様の主権と摂理という光の中で見ました。その時、自分の人生に起きた全てのことは、神様が自分を多くの命を救う御業に用いるためであることが分かりました。神様はこのような御旨を成し遂げるために、ヨセフを時には奴隷として低め、謙遜訓練をさせたり、時にはエジプトの総理になるまで高めたりもされます。ヨセフがこの神様の主権と摂理の中で見る時、自分を奴隷に売った兄たちを赦すだけではなく、神様の中で熱く愛することができます。神様は私たちも私たちの時代に成し遂げられる神様の救いの御業に、私たちを用いられることを願われます。それで私たちはヨセフのようにこの神様の中で、私たちの人生を仰ぎ見なければなりません。
祈り:主よ!私が人生の試練に対して悲しまずに、神様の良い御旨を悟るように助けてください。
一言:神様の良い御旨
「それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。」(7)
ヨセフはユダの悔い改めを見ると、これ以上感情を押さえることができませんでした。それでしもべたちをみな出し、声をあげて泣き、自分がヨセフであることを明かしました。そして恐れおののく兄たちに、詳細に神様の良い御旨が何であるのかを教えました。「それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」(7,8)。そしてさまざまな言葉で兄たちを慰めた後、すぐに行って父の家族を連れて、エジプトに下って来るように言いました。そして実弟ベニヤミンを抱いて泣きました。また兄たちと口づけをし、抱いて泣きました。
ヨセフは自分の人生を神様の主権と摂理という光の中で見ました。その時、自分の人生に起きた全てのことは、神様が自分を多くの命を救う御業に用いるためであることが分かりました。神様はこのような御旨を成し遂げるために、ヨセフを時には奴隷として低め、謙遜訓練をさせたり、時にはエジプトの総理になるまで高めたりもされます。ヨセフがこの神様の主権と摂理の中で見る時、自分を奴隷に売った兄たちを赦すだけではなく、神様の中で熱く愛することができます。神様は私たちも私たちの時代に成し遂げられる神様の救いの御業に、私たちを用いられることを願われます。それで私たちはヨセフのようにこの神様の中で、私たちの人生を仰ぎ見なければなりません。
祈り:主よ!私が人生の試練に対して悲しまずに、神様の良い御旨を悟るように助けてください。
一言:神様の良い御旨
2008年03月01日 (土)
創世記 44:18-34
「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。」(33)
ユダは、ヨセフがベニヤミン一人だけを奴隷にするという状況で、命をかけてヨセフに切に願い求めました。彼は、自分がどのようにしてベニヤミンを連れて来るようになったのか、を詳しく話しました。ベニヤミンは、父ヤコブが命のように思い、愛する息子であり、父ヤコブの命と子どもの命はつながっていると言いました。それで子どもを失うことになれば、父親も悲しく泣きながらよみにくだる、と言いました。またそれを知っているので、ベニヤミンをエジプトに連れて来る時、自分がその子の保証をしたことを明らかにしました。「もし私があの子をあなたのところに連れ戻さなかったら、私は永久にあなたに対して罪ある者となります。」今ベニヤミンが帰ることができない状況で、自分が父と交わした約束を守ることができるように、ベニヤミンの代わりに自分を奴隷にし、子どもは兄弟たちと一緒に遣わしてください、と切に願いました。
ユダはかつて嫁タマルと約束をして守りませんでした(38章)。また、父親の気持ちをあまり考えず、弟ヨセフを売り渡した主導者でもあります。そのような彼が、今ベニヤミンを特別に愛する父親の気持ちを深く理解しています。ベニヤミンが行かなければ、父親がその悲しみのゆえ死に掛かることを心配しています。父を愛し、父が愛する弟ベニヤミンを切に愛し、何としても約束を守ろうとしています。ユダの悔い改めは真実であり、具体的な実を結びました。
祈り:主よ!私も悔い改めの実を結び、犠牲的な愛のしもべとして成長するように助けてください。
一言:悔い改めの実を結ぶ人
「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。」(33)
ユダは、ヨセフがベニヤミン一人だけを奴隷にするという状況で、命をかけてヨセフに切に願い求めました。彼は、自分がどのようにしてベニヤミンを連れて来るようになったのか、を詳しく話しました。ベニヤミンは、父ヤコブが命のように思い、愛する息子であり、父ヤコブの命と子どもの命はつながっていると言いました。それで子どもを失うことになれば、父親も悲しく泣きながらよみにくだる、と言いました。またそれを知っているので、ベニヤミンをエジプトに連れて来る時、自分がその子の保証をしたことを明らかにしました。「もし私があの子をあなたのところに連れ戻さなかったら、私は永久にあなたに対して罪ある者となります。」今ベニヤミンが帰ることができない状況で、自分が父と交わした約束を守ることができるように、ベニヤミンの代わりに自分を奴隷にし、子どもは兄弟たちと一緒に遣わしてください、と切に願いました。
ユダはかつて嫁タマルと約束をして守りませんでした(38章)。また、父親の気持ちをあまり考えず、弟ヨセフを売り渡した主導者でもあります。そのような彼が、今ベニヤミンを特別に愛する父親の気持ちを深く理解しています。ベニヤミンが行かなければ、父親がその悲しみのゆえ死に掛かることを心配しています。父を愛し、父が愛する弟ベニヤミンを切に愛し、何としても約束を守ろうとしています。ユダの悔い改めは真実であり、具体的な実を結びました。
祈り:主よ!私も悔い改めの実を結び、犠牲的な愛のしもべとして成長するように助けてください。
一言:悔い改めの実を結ぶ人
2008年02月29日 (金)
創世記 44:1-17
「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。」(16)
ヨセフは兄たちを送り、ベニヤミンの袋に銀の杯を隠して置いて、家の管理者を送って追求するように命じました。「なぜ、あなたがたは悪をもって善に報いるのか。」すると兄たちは、袋の中にあった銀も持って来た自分たちがどうしてそのようなことができるのか、杯が見つかった者は殺され、自分たちはみな奴隷になると答えました。ヨセフの家の管理者は「それが見つかった者は、私の奴隷となり、他の者は無罪としよう。」と言って、年の順に袋を開けて調べました。ところが銀の杯はベニヤミンの袋から発見されました。彼らがエジプトに下ってくる時、最も恐れていたことが起きました。すなわちベニヤミンが帰れなくなったことが、現実のものとなったのです。
その時、ユダは兄たちの代わりにヨセフに言いました。「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。今このとおり、私たちも、そして杯を持っているのを見つかった者も、あなたさまの奴隷となりましょう。」(16)。兄たちは以前のようであるなら、ベニヤミンだけを残して、自分たちは逃げたことでしょう。しかし彼らはヨセフの訓練を通して、神様を覚えるようになりました。神様の前に立った時、罪人であることを告白せずにはいられません。同時にベニヤミンに対して責任感を持つようになりました。ヨセフは「ベニヤミンだけが私の奴隷になればいい。」と言いました。しかし彼らは最後まで責任を負うと言いました。兄たちはヨセフの訓練を通して、神様の前で自分を発見するようになりました。
祈り:主よ!訓練を通して、神様の前で自分を発見して行く者になるように、助けてください。
一言:神様の前での自己発見
「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。」(16)
ヨセフは兄たちを送り、ベニヤミンの袋に銀の杯を隠して置いて、家の管理者を送って追求するように命じました。「なぜ、あなたがたは悪をもって善に報いるのか。」すると兄たちは、袋の中にあった銀も持って来た自分たちがどうしてそのようなことができるのか、杯が見つかった者は殺され、自分たちはみな奴隷になると答えました。ヨセフの家の管理者は「それが見つかった者は、私の奴隷となり、他の者は無罪としよう。」と言って、年の順に袋を開けて調べました。ところが銀の杯はベニヤミンの袋から発見されました。彼らがエジプトに下ってくる時、最も恐れていたことが起きました。すなわちベニヤミンが帰れなくなったことが、現実のものとなったのです。
その時、ユダは兄たちの代わりにヨセフに言いました。「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。今このとおり、私たちも、そして杯を持っているのを見つかった者も、あなたさまの奴隷となりましょう。」(16)。兄たちは以前のようであるなら、ベニヤミンだけを残して、自分たちは逃げたことでしょう。しかし彼らはヨセフの訓練を通して、神様を覚えるようになりました。神様の前に立った時、罪人であることを告白せずにはいられません。同時にベニヤミンに対して責任感を持つようになりました。ヨセフは「ベニヤミンだけが私の奴隷になればいい。」と言いました。しかし彼らは最後まで責任を負うと言いました。兄たちはヨセフの訓練を通して、神様の前で自分を発見するようになりました。
祈り:主よ!訓練を通して、神様の前で自分を発見して行く者になるように、助けてください。
一言:神様の前での自己発見
2008年02月28日 (木)
創世記 43:16-34
「彼らはヨセフの指図によって、年長者は年長の座に、年下の者は年下の座にすわらされたので、この人たちは互いに驚き合った」(33)
ヨセフは、兄たちがベニヤミンを連れて来たのを見て、家の管理者に「この人たちを家へ連れて行き、獣をほふり、料理をしなさい。」と言いました。ところが彼らはヨセフの家に入って行く時、死地に赴く人々のように恐れました。彼らは以前袋の中にあった銀のことを心配していたからです。そのことで家の管理者が自分たちを捕らえて、奴隷として売るのではないかと恐れました。しかし家の管理者は「安心しなさい。恐れることはありません。」と言って、むしろシメオンまで解き放ちました。兄たちは以前に犯した罪によって内面には少しの平安がありませんでした。そして罪による恐れと罪意識は、相手の愛の表現さえも、疑うようにしました。このように罪は喜びと平安を奪っていきます。
昼になってヨセフが帰って来ると、彼らは準備した贈り物をささげ、地に伏して拝みました。その時ヨセフは、自分と同じ母の子であるベニヤミンを見て、それまでたまっていた懐かしさがこみ上げて来て、胸が熱くなり、泣きたくなりました。彼はすぐに泣くところを探し、奥の部屋に入って行って泣き、顔を洗って出てきて、その思いを抑え、食事の用意をさせました。ところが家の管理者は彼らをヨセフの前に座らせましたが、不思議にも年齢順に座らせました。ヨセフは兄たちを愛で訓練して来ました。そのためにベニヤミンに対する愛も、言葉なしに表現しました。ヨセフは兄たちに向けた聖なる愛がありました。神の愛は、罪人が悔い改めることで、罪から抜け出し、新しい人に変えられるように助けることです。
祈り:主よ!私も罪から抜け出すように訓練される主の愛を学ぶように助けてください。
一言:訓練する愛
「彼らはヨセフの指図によって、年長者は年長の座に、年下の者は年下の座にすわらされたので、この人たちは互いに驚き合った」(33)
ヨセフは、兄たちがベニヤミンを連れて来たのを見て、家の管理者に「この人たちを家へ連れて行き、獣をほふり、料理をしなさい。」と言いました。ところが彼らはヨセフの家に入って行く時、死地に赴く人々のように恐れました。彼らは以前袋の中にあった銀のことを心配していたからです。そのことで家の管理者が自分たちを捕らえて、奴隷として売るのではないかと恐れました。しかし家の管理者は「安心しなさい。恐れることはありません。」と言って、むしろシメオンまで解き放ちました。兄たちは以前に犯した罪によって内面には少しの平安がありませんでした。そして罪による恐れと罪意識は、相手の愛の表現さえも、疑うようにしました。このように罪は喜びと平安を奪っていきます。
昼になってヨセフが帰って来ると、彼らは準備した贈り物をささげ、地に伏して拝みました。その時ヨセフは、自分と同じ母の子であるベニヤミンを見て、それまでたまっていた懐かしさがこみ上げて来て、胸が熱くなり、泣きたくなりました。彼はすぐに泣くところを探し、奥の部屋に入って行って泣き、顔を洗って出てきて、その思いを抑え、食事の用意をさせました。ところが家の管理者は彼らをヨセフの前に座らせましたが、不思議にも年齢順に座らせました。ヨセフは兄たちを愛で訓練して来ました。そのためにベニヤミンに対する愛も、言葉なしに表現しました。ヨセフは兄たちに向けた聖なる愛がありました。神の愛は、罪人が悔い改めることで、罪から抜け出し、新しい人に変えられるように助けることです。
祈り:主よ!私も罪から抜け出すように訓練される主の愛を学ぶように助けてください。
一言:訓練する愛
2008年02月27日 (水)
創世記 43:1-15
「私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。」(9)
その地にききんがひどくなり、エジプトから持って来た穀物も食べ尽くした時、もう一度エジプトに行って食糧を買って来なくてはなりませんでした。しかし兄たちはヨセフが厳しく言った言葉によって、ベニヤミンと一緒でなければ、もう一度エジプトに行くことができませんでした。その時、ユダは父親に、ベニヤミンを自分といっしょにやらせてくださるように、切実に頼みました。ベニヤミンを連れ戻すことができなければ、自分が責任を負うといいました。「私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。」(9)。彼は以前ヨセフを売った時に先頭に立った罪人でしたが、今は家族のために自分を犠牲にしようとする決断をしています。ヨセフが涙を持って兄たちを助けたとき、一人の内面から食い改めの御業が起こるようになったのです。
ヤコブはユダの言葉を聞いて、家族を生かすためには他の子どもとともに、ベニヤミンをエジプトに遣わさなければならないことを悟るようになりました。また、もしものことを考えて、最善の準備をした後、言いました。「全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」(14)。ヤコブはただ神様が恵みを施してくださることを望み、ベニヤミンをエジプトに遣わす信仰の決断をしました。ユダの決断も、ヤコブの決断も、容易なことではありません。ただ恵みを施してくださる神様を信じたから可能だったでしょう。
祈り:主よ!私が困難な状況であっても、恵みを与えてくださるあなたを信じて、決断することができますように助けてください。
一言:信仰の決断
「私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。」(9)
その地にききんがひどくなり、エジプトから持って来た穀物も食べ尽くした時、もう一度エジプトに行って食糧を買って来なくてはなりませんでした。しかし兄たちはヨセフが厳しく言った言葉によって、ベニヤミンと一緒でなければ、もう一度エジプトに行くことができませんでした。その時、ユダは父親に、ベニヤミンを自分といっしょにやらせてくださるように、切実に頼みました。ベニヤミンを連れ戻すことができなければ、自分が責任を負うといいました。「私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。」(9)。彼は以前ヨセフを売った時に先頭に立った罪人でしたが、今は家族のために自分を犠牲にしようとする決断をしています。ヨセフが涙を持って兄たちを助けたとき、一人の内面から食い改めの御業が起こるようになったのです。
ヤコブはユダの言葉を聞いて、家族を生かすためには他の子どもとともに、ベニヤミンをエジプトに遣わさなければならないことを悟るようになりました。また、もしものことを考えて、最善の準備をした後、言いました。「全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」(14)。ヤコブはただ神様が恵みを施してくださることを望み、ベニヤミンをエジプトに遣わす信仰の決断をしました。ユダの決断も、ヤコブの決断も、容易なことではありません。ただ恵みを施してくださる神様を信じたから可能だったでしょう。
祈り:主よ!私が困難な状況であっても、恵みを与えてくださるあなたを信じて、決断することができますように助けてください。
一言:信仰の決断






