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バラムの口にことばを置かれた神様
民数記 23:1-20

 「主はバラムの口にことばを置き、そして言われた。」(5)

I.バラムの最初の預言(1-12)
 バラクはイスラエルを呪い滅ぼすために預言者バラムを招きました。バラムは、バラクと会った後、裸の丘に行きました。そこで神様は、バラムの口にことばを置かれ、彼は帰ってから、そのお告げの言葉の通りに語りました。それはイスラエルを祝福する言葉でした。バラクは怒りましたが、バラムは答えて言いました。「主が私の口に置かれること、それを私は忠実に語らなければなりません。」(12)
 神様は、心が此の世の欲望に満ちていた人を導き出して、ご自分のものとされ、その口に言葉を置かれました。神様のものとされた人は、もはや自分のいのちのために生きることを虚しく思います(10)。移り変わる世の中に翻弄されていた過去、此の世の欲望の奴隷となっていた過去から解放されて、ただ神様の御旨と栄光のために生きる者へと変えられるのです。

II.バラムの二番目の預言(13-20)
 バラムがイスラエルを祝福すると、バラクは怒り、再び呪うようにと要求しました。しかし、今度も神様はバラムの口にイスラエルを祝福する言葉を置かれました。「神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。」(19)神様は、約束どおりに、イスラエルを国々の中から取分けられていました。イスラエルの過去の過ちを赦し、祝福されることを告げられたのです。神様は真実な方であり、決して偽りがありません。約束されたことを成し遂げられる御方なのです。

祈り:主よ!私を、この世の虚しい欲望から解放してください。そして、あなたの栄光を現す者として御用い下さい。

一言:主が私の口に置かれた御言葉

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預言者バラムを咎められた神様
民数記 22:21-41

 「なぜ、あなたは、あなたのろばを三度も打ったのか。」(32)

I.ろばに咎められたバラム(21-30)
 朝になって、バラムがモアブのつかさたちと一緒に出かけましたが、彼の行く手には神様の怒りがありました。神様の御使いは、彼の行く道を立ちふさがりました。しかし、バラムには、それが見えませんでした。バラムを乗せていたろばは、主の使いが剣を持って立っているのを見て避けようとして、その拍子にバラムの足を押し付けてしまいました。そのため、バラムはろばを三度も打ちました。ろばには主の御使いが見えましたが、バラムには見えなくなっていました。ろばは、これまでずっと主人に仕えて来ましたが、バラムは、そんなろばが何故恐れて、自分の言うことを聞かずにいるのも考えずに、ろばを杖で打ちました。

II.バラムの目を開かれた神様(31-41)
 自分の私利私欲に目がくらんで、バラムは神様の御旨が分からなくなり、霊の目が見えなくなりました。彼は自我の望みのままに行なって、主の使いの剣のところに向かっていこうとしていました。しかし、神様は彼を憐れまれ、最後に霊の目を開いてくださいました。その時初めて彼は神様の使いを見て、自分の罪を悟るようになりました。
 神様が啓示の霊をくださる時、人は神様を知り、また自分自身を知るようになります。神様は、バラムを悔い改めへと導き、彼の口に御言葉をくださり、バラク王に神様の御旨をもたらす者とされました。

祈り:私は、私利私欲の故に霊の目が眩みやすい者です。しかし、主よ、あなたが私の霊の目を開き、あなたの喜びとなる生き方を選び取ることが出来ますように御導きください。

一言:私の霊の目を開いてください

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誘惑された預言者バラム
民数記 22:1-20

 「あなたは彼らといっしょに行ってはならない。またその民をのろってもいけない。その民は祝福されているからだ。」(12)

I.祈りによって神様の御旨を知るようになったバラム(1-14)
 イスラエルが進軍し、モアブの平原に宿営すると、モアブの王バラクは非常に恐れました。そして、すぐに預言者バラムに使者を遣わし、イスラエルを呪うように依頼しました。
 その時、バラムは、祈りによって神様の御旨を聞いた後、彼らの申し出を断りました。金銭、名誉、権威など、多くの誘惑があります。しかし、私たちは、祈りによって、誘惑に惑わされることなく、神様の御心にかなう道を選び取るべきなのです。

II.金銭と権威に誘惑されたバラム(15-20)
 バラムは、一度はサタンの攻撃を退けましたが、誘惑は再び訪れました。バラクはバラムに前より位の高いつかさを送って、さらに大きな権威と金銭で誘惑しました。バラムは、この時も、使者を送り返すべきでした。なぜなら、神様は既に、「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。」と言われていたからです。しかし、彼は使者を家にとどまらせ、そして神様が他のことを告げるかどうか確かめようとしました。彼は誘惑に支配されていました。
 その夜、神様は彼に行くように言われました。人が世の誘惑に駆られて神様の御旨から離れる道を望むのなら、神様はそれを妨げはしません。しかし、それは、永遠の祝福から外れ、滅びへと向かう道です。御霊の望みと世の望みが相反するとき、私たちは、本当に大切なものを選択 するべなのです。

祈り:主よ!私が、心底あなたの御旨に聞き従い続けることができるように、私に御霊の望みを与えてください。そして、たとえ、どんなに甘い誘惑が来ても、私があなたの御旨を優先させることができるように御助けください。

一言:あなたは彼らといっしょに行ってはならない

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燃える蛇と青銅の蛇
民数記 21:1-9

 「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」(8)

I.燃える蛇にかまれて死んだ民たち(1-6)
 神様はカナン人をイスラエルの手に渡され、イスラエルは大きな勝利を収めました(1-3)。しかし、旅路が険しくなった時、民たちはすぐに恵みを忘れ、神様とモーセにつぶやきました。たとえ目の前に辛いことがあったとしても、救いの恵みは変わりません。私たちは、いつも神様と導き手への感謝を忘れずに生きて行くべきなのです。救いの恵みを忘れ去った民には滅びがおとずれました。神様の裁きが、燃える蛇となっておとずれました。

II.青銅の蛇を仰ぎ見るように命じられた神様(7-9)
 燃える蛇にかまれて多くの人々が死んだとき、民は初めて罪を悟り、モーセに救いを求めました。モーセが祈ると、神様は救いの道をお示しになられました。旗ざおの上につけた青銅の蛇を仰ぎ見さえすれば生きられるというのです。これは簡単なことのようですが、信仰が試されるものでした。普通に考えれば、毒蛇にかまれたら、すぐに毒を吸い出して、毒が回らないようにしなければなりません。そんな一刻を争う時に、青銅の蛇など仰ぎ見ている場合ではないと考えるものです。しかしこれは神様が与えた唯一の救いの道でした。
 この出来事は後に来る永遠の救いの雛形でした。神様は罪によって死に行く人々を憐れみ、イエス様を地上におくられて、十字架に高く上げられました。そして、このイエス様を仰ぎ見る者だけが滅びずに、永遠の命を得るようにされたのです(ヨハ3:14,15)。

祈り:主よ!罪の重荷の故に苦しみの中にある全ての人々が、目を上げて十字架に高く上げられたイエス・キリストを仰ぎ見ることができますように。

一言:それを仰ぎ見れば、生きる。

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芽吹いたアロンの杖
民数記 17:1-13

 「わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。」(5)

I.アロンの杖に芽吹かせた神様
 神様は、イスラエルの十二支族に、それぞれ一本ずつの杖を準備して自分たちの族長の名前を書きしるすように告げられました。そしてモーセに、その杖を会見の天幕に置くように命じました。
 次の日、アロンの杖にだけ、アーモンドが芽吹き、つぼみを出し、花が咲き、実を結んでいました(8)。これは神様の奇跡でした。神様は乾いた薪に花を結ばせることのできる御方なのです。

II.アロンをきよく区別された神様
 神様は十二部族の族長の杖の中でアロンの杖だけに芽吹かせました。それは、神様が御自分の御旨として、御自分の働き人を区別し、選ばれたことを示すためでした。神様は、モーセに命じて、この杖をあかしの箱の前に戻し、逆らう者への戒めのためのしるしとさせました。それは、イスラエル人が指導者に対して不平を抱いて死に至ることのないようにするためでした(10)。
 指導者は、この世の権威ではなく、神様から選び出された者でなければなりません。神様が永遠の主権と摂理をもって、区別された者でなければなりません。そして、私たちが、神様によって選び出された指導者を尊重することは、神様の御旨に聞き従って行くことなの。

祈り:主よ!あなた乾いた枝から新しく芽吹かせる全能なる方、御心にかなう指導者をお立てくださる方です。私は、あなたの御旨に聞き従います。救霊の働きに用いてください。

一言:乾いた枝から芽吹かせる御方

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