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私は金のように出て来る
ヨブ記 23:1-17

 「神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。」(10)

I.神は私を調べられる(1-10)
 ヨブは友とこれ以上言い合いませんでした。もはや、彼は、ただ神様の御前で、思いの全てを訴えることさえできればと願いました。「ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。」(3)彼はただ、神様の御旨を知りたかったのです。彼は、神様の義と、とりなしてくださる『正しい人』の存在を信じていました。それ故、神様の御前に出てゆくことを願いました。彼は、自分の理解を遥かに越えた神様の大いなる御旨を信じ、神様を畏れました。「しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。」(10)彼は、試みを通じて、自分の魂が純粋なものへと変えられて行くことを告白しました。

II.みこころは一つである(11-17)
 ヨブは、神様の義と主権を信じ、その御言葉を尊び、その命令に背くことがありませんでした。しかし今や、そのような自分が、神様の御前でどれほど小さいものであるかを感じていました。全ては神様の御心のままに行われることを知りました。彼は、もはや神様の御心に全てを委ねるだけでした。彼は、これまでに無いほどに、はっきりと神様を意識し、神様の御前で畏れ慄きました。彼は、苦難の中から神様を仰ぎ見ていました。

祈り:主よ!あなたは、苦しみを通じて、私の信仰を金のように精錬される御方です。私が、どのような時にも、ただただ、大いなるあなたを仰ぎ見て生きるように御導きください。

一言:金のように

カテゴリ:旧約聖書::ヨブ記

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なぜ悪者どもが力を増すのか
ヨブ記 21:1-34

 「なぜ悪者どもが生きながらえ、年をとっても、なお力を増すのか。」(7)

I.なぜ悪者どもが生きながらえ(1-16)
 ヨブの友は神様を、機械のように因果応報の方であると理解し、ヨブが苦難を受けたのは悪を行なったからだと口々に言いました。そんな彼らに、ヨブは答えて語りました。ヨブは、此の世を越えた神様の御旨を信じていました。この地上においては、悪者どもは生き長らえ、年をとっても力を増します(7)。その家は平和で恐れがなく、神様の杖はくだされません。その子どもたちはタンバリンと立琴に合わせて歌い、踊り楽しみます。此の世では、善悪に関わらず繁栄がもたらされ、そして同様に、善悪に関わらず苦難がもたらされるのです。

II.神様が彼のわざわいをたくわえておられる(17-34)
 悪者が、この世で裁きを受けないことがあります。それは、神様が彼らへの災いをたくわえておられるからです。しかし、その子孫のために蓄えられているのではありません。ヨブは、その人自身に報いがあると言います(19)。彼らはこの世で成功をおさめるかもしれませんが、自分も知らないうちに、突如として滅びへとおくられます。彼らがこの世で悪事によって快楽と富を受けても、死によって、全ては跡形もなく消え去ります。悪者でありながら、この世で成功したとしても、羨望の眼差しを向けるべきことではありません。正しい人が苦難を受けたとしても、悲しむべきことでも、落胆すべきことでもありません。それは、生きておられる義なる神様が、地上を離れたとき、全てを清算されるからです。悪には対価を支払わせ、信仰には栄誉を与えてくださるからです。

祈り:主よ!悪者の成功にも、正しい者の苦難にも、決して心を動揺させることがないように、私が、あなたの御旨を信じ、この地上の人生において、最後まで信仰を守り抜くことができますように御導きください。

一言:この世限りの成功と苦難

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私を贖う方
ヨブ記 19:1-29

 「私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」(25)

I.私の息は私の妻にいやがられ(1-22)
 ヨブの友は、ヨブを罪に定める数々の言葉を投げつけ、ヨブは苦しみのあまり叫びました。しかし、神様は沈黙されました(7)。神様はいくら呼んでも答えられず、ただ、ヨブの過去の栄光を奪い去って行くばかりでした。ヨブは周りの人々から、どこまでも疎外されました。知人は皆、彼から離れて行き、親戚は彼を見捨て、兄弟たちは彼から遠ざかりました。親しい友だちは彼を忘れ、彼の家に宿る者も、彼のはしためたちも、彼を他人のように見なしました。そして、彼の妻も、彼の存在を望みませんでした。童までもが彼をさげすみました。全ての人が彼を忌み嫌い、彼が愛した者たちは、皆、彼に背を向けました。人々は、ヨブの肉体的な苦しみに追い討ちをかけるように、彼を裁く数々の言葉を投げつけました。彼は深い絶望の中にありました。

II.私を贖う方は生きておられ(23-29)
 こうした孤独と絶望と苦難の中で、ヨブには、たった一つの希望がありました。それは、彼を贖ってくださる方は生きておられるという確信でした。此の世で深い絶望を経験した時、ヨブは自分を贖う方を仰ぎ見ました。この方が、後の日に、ちりの上に立たれる姿を見たのです。彼は、肉を離れて神を見ると告白します。彼は霊の目で、贖い主の存在を知りました。誰もが自分を分かってくれず、心の苦しみがあるときにも、私たちは、霊の目を開いて、ただ私たちを贖う方、生きておられる主を仰ぎ見るべきです。この方を仰ぎ見る者は、死に至るほどの絶望の中にあっても、甦りへの希望を見出すのです。

祈り:主よ!全ての人が私を捨てても、私の傍には、甦りの主、あなたがおられます。あなたは私を絶望の淵からさえも贖い出してくださる方、生きておられる主です。

一言:私を贖う方は生きておられる

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私の目は神に向かって
ヨブ記 16:1-22

 「私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって」(20)

I.あなたがたはみな(1-16)
 ヨブの友はヨブを煩わしました。彼らはヨブのためを思って咎めたつもりでしたが、実際に彼らの口から出たのは、罪に定める言葉であり、ヨブに大きな傷を与えるものでした。ヨブは肉体の苦痛以上に、友からの非難に苦しみました。ですが、彼は、これら全てのことは神様から来ていることを知っていました。彼は主が自分を苦しめ、衰えさせることを知っていました。「神は私を邪な者に渡し、悪者の手に投げ込まれる。」(11)彼は、今の苦難が、何の故であるのかを知りませんでしたが、全てのことは神様の主権の中で許されていることを知っていました。

II.私の目は(17-22)
 ヨブは今、地上に向けていた目を天に向けました。「私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。」(20,21)友は皆、ヨブを罪に定めました。しかし、ヨブは、『人の子』のあわれみを信じました。その方が、自分の証人となられ、自分の無罪を神様に証してくださることを信じ、祈り求めたのです。この地上の友達は、いくら親しかったとしても、あなたの全てを理解することはできず、時に悲しい思いをするかもしれません。しかし、主は、あなたの内なる思いの全てを御存知で、証してくださるのです。ですから、私たちは、たとえ友の無理解に直面しても、主のとりなしを信じて祈り続けましょう。

祈り:主よ!たとえ、友が私を嘲ろうとも、私が、あなたにこそ目を向け、神様へのとりなしを祈り続けることができますように御導きください。

一言:私の目は神様に向かって

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私を覚えて
ヨブ記 14:1-22

 「私のために時を定め、私を覚えてくださればよいのに。」(13)

I.影のような人生(1-12)
 ヨブは言います。「女から生まれた人間は、日が短く、その人生は悩みに満ちている。花のように咲き出ては切り取られ、影のように飛び去ってとどまらない。」と・・・。また、「木は望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、なお、水の潤いに出会うと芽をふき、苗木のように枝を出す。しかし人間は死ねば消えうせる。人は息絶えると、どこにいるか。人は伏して起き上がらず、天がなくなるまで目ざめず、その眠りから覚まされない。」と・・・。ヨブは、人間の弱さ、人間のはかなさを告白しました。人は、まるでこの地で永遠に生きるかのように、富や名誉、地位を求めていますが、いずれは死に至る虚しい存在です。人には神様の救いこそが必要なのです。

II.よみがえりの望みがある人生(13-22)
 ヨブは惨めな死を前にして、死の向こう側にある望みを求めて、神様に祈りました。「ああ、あなたが私をよみに隠し、あなたの怒りが過ぎ去るまで私を潜ませ、私のために時を定め、私を覚えてください。」(13)ヨブは、神様が自分をよみに隠し、怒りの日が過ぎ去った後、再び生かし、永遠のいのちへと解き放って下さることを望みました。死に至るべき人間、苦難の中にある人間に、永遠への望みを与えてくださるのは、神様だけだからです。

祈り:主よ!此の世の私の人生は、うつろい行く影のようなものです。しかし、あなたは、このような私をも覚え、甦りへの望みを与えてくださいました。ただ、このことの感謝の故に生きて行きます。

一言:主は私を覚えてくださる

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