2008年01月01日 (火)
詩篇 1:1-6
「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」(2)
2008年の新年が明けました。私たちが幸いな者になるためには、どのような生活をすべきでしょうか。第一に、悪者のはかりごと、罪人の道、あざける者の座を避けなければなりません。悪者は「神様はない」という者であり、罪人は罪の快楽を楽しむ者であり、あざける者は悔い改める生活をしないかたくなな者です。自分のはかりごとに従い、罪の快楽を求め、傲慢に生きる人々は華麗でかっこよく見えます。しかし彼らは呪われた悪人です。私たちが悪人の影響を受けて生きる時、幸福を失い、苦しむようになります。幸いな信者の道を歩むためには、私のたましいに悪影響を及ぼすものを断固断ち切らなければなりません。
第二に、神様の御言葉の中にある楽しみを受けなければなりません。「その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」主のおしえは、神様が人間に与えられた祝福の賜物です。神様はだれであり、自分は誰であり、どのように生きるべきかを教える真理の御言葉です。世の中には多くの楽しみがありますが、御言葉の真理を悟ることほど、更に大きな楽しみはありません。聖書勉強を通して、御言葉の中にある喜びの泉を飲むことより幸いな生活はありません。私たちが幸いな信者になるためには神様の御言葉の中にある幸いな泉を飲まなければなりません。その泉は御言葉を黙想すればするほど、私の中に豊かになります。御言葉の中で楽しむ者は水路のそばに植わった木のようです。年ごとに実を結びます。青い葉のように枯れず、いつも新鮮な生命力が満ち溢れています。何をしても栄え、成功する人生を生きるようになります。
祈り:主よ!新年には神様の御言葉の中で喜び、泉の水を豊かに得て、幸福で栄える人生となるように助けてください。
一言:御言葉の中に喜びと幸いがある
「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」(2)
2008年の新年が明けました。私たちが幸いな者になるためには、どのような生活をすべきでしょうか。第一に、悪者のはかりごと、罪人の道、あざける者の座を避けなければなりません。悪者は「神様はない」という者であり、罪人は罪の快楽を楽しむ者であり、あざける者は悔い改める生活をしないかたくなな者です。自分のはかりごとに従い、罪の快楽を求め、傲慢に生きる人々は華麗でかっこよく見えます。しかし彼らは呪われた悪人です。私たちが悪人の影響を受けて生きる時、幸福を失い、苦しむようになります。幸いな信者の道を歩むためには、私のたましいに悪影響を及ぼすものを断固断ち切らなければなりません。
第二に、神様の御言葉の中にある楽しみを受けなければなりません。「その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」主のおしえは、神様が人間に与えられた祝福の賜物です。神様はだれであり、自分は誰であり、どのように生きるべきかを教える真理の御言葉です。世の中には多くの楽しみがありますが、御言葉の真理を悟ることほど、更に大きな楽しみはありません。聖書勉強を通して、御言葉の中にある喜びの泉を飲むことより幸いな生活はありません。私たちが幸いな信者になるためには神様の御言葉の中にある幸いな泉を飲まなければなりません。その泉は御言葉を黙想すればするほど、私の中に豊かになります。御言葉の中で楽しむ者は水路のそばに植わった木のようです。年ごとに実を結びます。青い葉のように枯れず、いつも新鮮な生命力が満ち溢れています。何をしても栄え、成功する人生を生きるようになります。
祈り:主よ!新年には神様の御言葉の中で喜び、泉の水を豊かに得て、幸福で栄える人生となるように助けてください。
一言:御言葉の中に喜びと幸いがある
2007年12月19日 (水)
詩篇 73:1-28
「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。」(28)
神様はイスラエルを善で接しておられます。心のきよい人たちはなおさらそうです。しかし詩人はこの事実を信じることができませんでした。信仰をすべて失ってしまいました。なぜなら悪い人がよく生活していることを見たからです。そのような傲慢な人々をねたんだからです。彼らは心に葛藤もなく、からだは健康でした。彼らには私たちが受ける苦難もありません。不幸なことが起こりません。彼らは高慢を首飾りとし、暴虐の着物を着ていました。彼らはその口を天にすえ、その舌は地を行き巡らせました。高い所からしいたげを告げました。彼らはいつまでも平安に生き、財産は次第に増えて行きました。反面、詩人は心をきよくしようと苦労しました。罪を犯さないようにと闘争しました。一日中苦痛を味わいました。このような対照的な生活を理解しようとしましたが、労苦に終わりました。
しかし聖所にはいって、初めて彼らにどんなことが起こるのか、悟るようになりました。主は彼らをすべりやすい所に置かれます。滅ぼされます。瞬く間に彼らはみな死んで消えてしまいます。反面、正しい人は主が右手でしっかりつかまえてくださいます。主の教えで導いてくださいます。栄光のうちに受け入れてくださいます。天では主のほかに誰がいるでしょうか。地上では主のほかに望むものはありません。主を遠ざける人は滅びます。しかし主の近くにいる者は祝福を受けます。神なる主は避け所です。
祈り:主よ!私が悪者の今の姿を見て落胆せずに、むしろ主に近づいて行くことで、祝福を得るように助けてください。
一言:神の近くにいることが
「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。」(28)
神様はイスラエルを善で接しておられます。心のきよい人たちはなおさらそうです。しかし詩人はこの事実を信じることができませんでした。信仰をすべて失ってしまいました。なぜなら悪い人がよく生活していることを見たからです。そのような傲慢な人々をねたんだからです。彼らは心に葛藤もなく、からだは健康でした。彼らには私たちが受ける苦難もありません。不幸なことが起こりません。彼らは高慢を首飾りとし、暴虐の着物を着ていました。彼らはその口を天にすえ、その舌は地を行き巡らせました。高い所からしいたげを告げました。彼らはいつまでも平安に生き、財産は次第に増えて行きました。反面、詩人は心をきよくしようと苦労しました。罪を犯さないようにと闘争しました。一日中苦痛を味わいました。このような対照的な生活を理解しようとしましたが、労苦に終わりました。
しかし聖所にはいって、初めて彼らにどんなことが起こるのか、悟るようになりました。主は彼らをすべりやすい所に置かれます。滅ぼされます。瞬く間に彼らはみな死んで消えてしまいます。反面、正しい人は主が右手でしっかりつかまえてくださいます。主の教えで導いてくださいます。栄光のうちに受け入れてくださいます。天では主のほかに誰がいるでしょうか。地上では主のほかに望むものはありません。主を遠ざける人は滅びます。しかし主の近くにいる者は祝福を受けます。神なる主は避け所です。
祈り:主よ!私が悪者の今の姿を見て落胆せずに、むしろ主に近づいて行くことで、祝福を得るように助けてください。
一言:神の近くにいることが
2007年11月18日 (日)
詩篇 95:1-11
「感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。」(2)
I.主に向かって、喜び歌おう(1-7)
詩人は歌います。「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。」(1)。私たちは主に進み出る時、喜び歌い、感謝の歌をもって、御前に出て行かなければなりません。なぜなら神様は私たちに救いの岩になるからです。また神様は海と陸地と私たちをお造りになった大いなる神様です。神様は羊を顧みる羊飼いのように私たちを顧みてくださいます(7)。私たちを養育してくれる肉親の恵みだけでも、どれだけ大きなものでしょうか。しかし私たちのいのちを造られ、今まで保護し供給し、養育してくださった主の恵みはどれだけ大きいものでしょうか。収穫感謝祭の朝、私たちの羊飼いである神様に感謝し、ひれ伏しましょう。
II.あなたがたの心をかたくなにしてはならない(8-11)
詩篇の著者は感謝の賛美と共に、神様の警告を話します。メリバとマサでの日のように、「心をかたくなにしてはならない」と警告します(出17:1-7)。彼らは神様に対する不信仰によって、神様を試み敵対して、神様の安息に入って行くことができませんでした。不信仰と不従順は神様を悲しませます(10)。私たちが口では神様を賛美し感謝しても、不信仰と不従順で心をかたくなにするなら、それは本当の感謝の礼拝になりません。信頼と従順の心で、神様に完全な感謝をささげなければなりません。
祈り:主よ!この時間、主が私を養ってくださった全ての恵みを覚えます。私が不信仰を悔い改め、神様に感謝します。
一言:感謝の歌を持って、御前に出て行こう
「感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。」(2)
I.主に向かって、喜び歌おう(1-7)
詩人は歌います。「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。」(1)。私たちは主に進み出る時、喜び歌い、感謝の歌をもって、御前に出て行かなければなりません。なぜなら神様は私たちに救いの岩になるからです。また神様は海と陸地と私たちをお造りになった大いなる神様です。神様は羊を顧みる羊飼いのように私たちを顧みてくださいます(7)。私たちを養育してくれる肉親の恵みだけでも、どれだけ大きなものでしょうか。しかし私たちのいのちを造られ、今まで保護し供給し、養育してくださった主の恵みはどれだけ大きいものでしょうか。収穫感謝祭の朝、私たちの羊飼いである神様に感謝し、ひれ伏しましょう。
II.あなたがたの心をかたくなにしてはならない(8-11)
詩篇の著者は感謝の賛美と共に、神様の警告を話します。メリバとマサでの日のように、「心をかたくなにしてはならない」と警告します(出17:1-7)。彼らは神様に対する不信仰によって、神様を試み敵対して、神様の安息に入って行くことができませんでした。不信仰と不従順は神様を悲しませます(10)。私たちが口では神様を賛美し感謝しても、不信仰と不従順で心をかたくなにするなら、それは本当の感謝の礼拝になりません。信頼と従順の心で、神様に完全な感謝をささげなければなりません。
祈り:主よ!この時間、主が私を養ってくださった全ての恵みを覚えます。私が不信仰を悔い改め、神様に感謝します。
一言:感謝の歌を持って、御前に出て行こう
2006年12月31日 (日)
詩篇 23:1-6
「私の杯は、あふれています。」(5)
I.主は私の羊飼い(1-4)
主なる神様を羊飼いとして迎えて生きる人には乏しいことがありません。神様がその人を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとり伴われるからです。神様は、その人に日々豊かないのちの御言葉で食べさせ、この世で生きるのに疲れる時ごとに新しい力と真の安息をくださり、絶望の中にいる時、救ってくださいます。
神様は私たちのたましいを生き返らせ、御名のために義の道に導かれます。世は死の陰の谷のように辛く危険が多いものです。しかし羊飼いである神様がおられるので、私たちは少しも恐れずにいられるのです。
II.私の杯はあふれています(5,6)
神様は敵であるサタンを縛り上げ、私たちに勝利の祝杯を上げるようにされました。また神様のいつくしみと恵みとが、いのちの日の限り私たちとともにおられることで、私たちは、いつまでも、主の家に住むようになるのです。
祈り:主よ!去る一年間、あなたは、あなたに背を向けようとする、この罪ある私をも愛し、杯をあふれさせ、御恵みに満たしてくださいました。ありがとうございます。
一言:私の杯をあふれさせる神様
「私の杯は、あふれています。」(5)
I.主は私の羊飼い(1-4)
主なる神様を羊飼いとして迎えて生きる人には乏しいことがありません。神様がその人を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとり伴われるからです。神様は、その人に日々豊かないのちの御言葉で食べさせ、この世で生きるのに疲れる時ごとに新しい力と真の安息をくださり、絶望の中にいる時、救ってくださいます。
神様は私たちのたましいを生き返らせ、御名のために義の道に導かれます。世は死の陰の谷のように辛く危険が多いものです。しかし羊飼いである神様がおられるので、私たちは少しも恐れずにいられるのです。
II.私の杯はあふれています(5,6)
神様は敵であるサタンを縛り上げ、私たちに勝利の祝杯を上げるようにされました。また神様のいつくしみと恵みとが、いのちの日の限り私たちとともにおられることで、私たちは、いつまでも、主の家に住むようになるのです。
祈り:主よ!去る一年間、あなたは、あなたに背を向けようとする、この罪ある私をも愛し、杯をあふれさせ、御恵みに満たしてくださいました。ありがとうございます。
一言:私の杯をあふれさせる神様
2006年08月31日 (木)
詩篇 46:1-11
「神はわれらの避け所」(1)
I.われらは恐れない(1-7)
詩篇の著者は、神こそは、苦しみの時に唯ひとり、頼ることのできる御方であると言います。絶望の淵にあって、彼は神様を仰ぎ見ました。その時、神様は、彼の避け所となってくださったのです。神様に信頼して祈る時、私たちの思いをはるかに越えた方法で神様は私たちを助け、導いてくださいます。ですから共におられる神様に信頼するならば、苦難の中でも恐れなくて良いのです。
II.私たちとともにおられる神様(8-11)
詩人は主なる神様の御業を振り返っています。神様は地に荒廃をもたらされます。神様は、御自身が神であられることの故に、ご自分に背を向け、敵意を向ける者たちの地に荒廃をもたらされます。また、神様は、御自身が神であられることの故に、地の果てまでも戦いを終結させる御方です。弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれます。そのとき、人々は、この御方こそが神であられることを知り、この地の上で、あがめるようになるのです。そして、この御方、神様は、選ばれた民とともにおられ、選ばれた民の避け所になってくださいます。
このことは何と大きな恵みでしょう。ただ、私たちと共におられる主に頼るならば、此の世のあらゆる苦難に打ち勝つ力に与ることができるのです。
祈り:主よ!あなたは避け所です。たとえ苦難の中にあっても、あなたを仰ぎ見るとき、私の心は慰めと希望に満ち溢れます。この朝、助けを求めて、あなたの御前に出て行きます。
一言:私たちの避け所
「神はわれらの避け所」(1)
I.われらは恐れない(1-7)
詩篇の著者は、神こそは、苦しみの時に唯ひとり、頼ることのできる御方であると言います。絶望の淵にあって、彼は神様を仰ぎ見ました。その時、神様は、彼の避け所となってくださったのです。神様に信頼して祈る時、私たちの思いをはるかに越えた方法で神様は私たちを助け、導いてくださいます。ですから共におられる神様に信頼するならば、苦難の中でも恐れなくて良いのです。
II.私たちとともにおられる神様(8-11)
詩人は主なる神様の御業を振り返っています。神様は地に荒廃をもたらされます。神様は、御自身が神であられることの故に、ご自分に背を向け、敵意を向ける者たちの地に荒廃をもたらされます。また、神様は、御自身が神であられることの故に、地の果てまでも戦いを終結させる御方です。弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれます。そのとき、人々は、この御方こそが神であられることを知り、この地の上で、あがめるようになるのです。そして、この御方、神様は、選ばれた民とともにおられ、選ばれた民の避け所になってくださいます。
このことは何と大きな恵みでしょう。ただ、私たちと共におられる主に頼るならば、此の世のあらゆる苦難に打ち勝つ力に与ることができるのです。
祈り:主よ!あなたは避け所です。たとえ苦難の中にあっても、あなたを仰ぎ見るとき、私の心は慰めと希望に満ち溢れます。この朝、助けを求めて、あなたの御前に出て行きます。
一言:私たちの避け所






