2005年07月11日 (月)
ピリピ゚人への手紙 3:12-21
私たちは雲のように取り巻いている多くの信仰の証人たちの前で、天の御国に向かって競争している信仰の競技者です(ヘブ12:1)。使徒パウロは、本文で競争者のあるべき姿勢について教えてくれます。
I.目標を目指して(12-16)
使徒パウロは、当時最も完成された信仰の域に到達していたことでしょう。しかし彼はすでに完全にされたとは決して考えていませんでした(13,14)。彼はイエス様をもっともっと知りたいという望みの中、神様の御前にへりくだった心で、ひたむきに信仰の競争を続けていたのです。
競争する者にとって、最も大切なことは目標がはっきりとしているということです。パウロが目標としたのは神様がキリストにおいて上へと召してくださるという、義の栄冠でした(Ⅱテモ4:7,8)。彼は後ろにあるものを忘れ、この栄冠を与えてくださる神様を見上げ、まっすぐに走り続けたのです。信仰の成長を誇ろうとするならば、それで終わってしまいます。神様を目指してどこまでも走りつづけるべきなのです(16)。
II.十字架の敵に気をつけなさい(17-21)
当時、ピリピ教会には、二元論的な思想に影響を受けた異端者がいました。彼らは肉体と霊は別ものと主張し、肉の快楽に支配されていました。使徒パウロは、このような人々は十字架の敵として歩んでいるのだと言います。
私たちの国籍は天にあります。私たちの望みは私たちの主イエス・キリストの再臨と、私たちの体が栄光へと変えられる復活にあるのです(21)。ですから、パウロは涙を流して訴えているのです。十字架の敵に気をつけるように、と。
祈り:主よ!この罪人が、肉の望みに支配され、霊の無感覚に陥っていた罪を悔い改めます。使徒パウロのように目標に向かって走り続けることができるように導いてください。
一言:私の国籍は天にある
私たちは雲のように取り巻いている多くの信仰の証人たちの前で、天の御国に向かって競争している信仰の競技者です(ヘブ12:1)。使徒パウロは、本文で競争者のあるべき姿勢について教えてくれます。
I.目標を目指して(12-16)
使徒パウロは、当時最も完成された信仰の域に到達していたことでしょう。しかし彼はすでに完全にされたとは決して考えていませんでした(13,14)。彼はイエス様をもっともっと知りたいという望みの中、神様の御前にへりくだった心で、ひたむきに信仰の競争を続けていたのです。
競争する者にとって、最も大切なことは目標がはっきりとしているということです。パウロが目標としたのは神様がキリストにおいて上へと召してくださるという、義の栄冠でした(Ⅱテモ4:7,8)。彼は後ろにあるものを忘れ、この栄冠を与えてくださる神様を見上げ、まっすぐに走り続けたのです。信仰の成長を誇ろうとするならば、それで終わってしまいます。神様を目指してどこまでも走りつづけるべきなのです(16)。
II.十字架の敵に気をつけなさい(17-21)
当時、ピリピ教会には、二元論的な思想に影響を受けた異端者がいました。彼らは肉体と霊は別ものと主張し、肉の快楽に支配されていました。使徒パウロは、このような人々は十字架の敵として歩んでいるのだと言います。
私たちの国籍は天にあります。私たちの望みは私たちの主イエス・キリストの再臨と、私たちの体が栄光へと変えられる復活にあるのです(21)。ですから、パウロは涙を流して訴えているのです。十字架の敵に気をつけるように、と。
祈り:主よ!この罪人が、肉の望みに支配され、霊の無感覚に陥っていた罪を悔い改めます。使徒パウロのように目標に向かって走り続けることができるように導いてください。
一言:私の国籍は天にある
2005年07月10日 (日)
ピリピ人への手紙 3:1-11
ピリピ教会には、割礼派、すなわちキリストを信じるだけでは救いに与ることができず、割礼を受けなければならないと主張する人々がいました。パウロは自身の証しを通して、ただイエス様の十字架と復活の福音を信じるだけで救われることを確証しています。
I.すべてのものを損と思うようになったパウロ(1-9)
パウロは肉体だけ、形だけの人々に気をつけるように言いました。キリストに出会う以前の彼は、人間的な力に頼り、律法を守るのに熱心な人でした(4-6)。しかしそのような全てのものをみな損と思い、ゴミのように捨てたのです(7)。
なぜでしょうか。キリストを知っていることこそが素晴らしいからです(8)。イエス・キリストを知るとき、私たちは、命の本質を知るようになります。この人生が何なのかを悟るようになります。キリストが、私たちを罪から救い、永遠のいのちへと導いてくださるのです(ヨハ17:3)。パウロがキリストの故に、全てのものを損と思うようになったのは、ただキリストを信じることだけが神様の義を受ける道であることを知ったからです。
II.十字架と復活を知ろうとしたパウロ(10,11)
信仰によって義と認められるとしても、イエス様を完全に知った訳ではありません。それ故、パウロは信仰による義に続いて、イエス様の十字架と復活に生きることを望むようになりました。彼は十字架の苦しみと復活までをも自分のものとしたかったのです。
私たちが信仰に生きるというのは、そういう生き方ではないでしょうか。つまり、復活の栄光に達するために、キリストを知り、キリストの死をも受け止めていく生き方です。
祈り:主よ!私にキリストを知る素晴らしさを与えてくださり、ありがとうございます。さらには、私がキリストの十字架と復活までをも、自分のものとすることができますように導いてください。
一言:キリストの死に与り
ピリピ教会には、割礼派、すなわちキリストを信じるだけでは救いに与ることができず、割礼を受けなければならないと主張する人々がいました。パウロは自身の証しを通して、ただイエス様の十字架と復活の福音を信じるだけで救われることを確証しています。
I.すべてのものを損と思うようになったパウロ(1-9)
パウロは肉体だけ、形だけの人々に気をつけるように言いました。キリストに出会う以前の彼は、人間的な力に頼り、律法を守るのに熱心な人でした(4-6)。しかしそのような全てのものをみな損と思い、ゴミのように捨てたのです(7)。
なぜでしょうか。キリストを知っていることこそが素晴らしいからです(8)。イエス・キリストを知るとき、私たちは、命の本質を知るようになります。この人生が何なのかを悟るようになります。キリストが、私たちを罪から救い、永遠のいのちへと導いてくださるのです(ヨハ17:3)。パウロがキリストの故に、全てのものを損と思うようになったのは、ただキリストを信じることだけが神様の義を受ける道であることを知ったからです。
II.十字架と復活を知ろうとしたパウロ(10,11)
信仰によって義と認められるとしても、イエス様を完全に知った訳ではありません。それ故、パウロは信仰による義に続いて、イエス様の十字架と復活に生きることを望むようになりました。彼は十字架の苦しみと復活までをも自分のものとしたかったのです。
私たちが信仰に生きるというのは、そういう生き方ではないでしょうか。つまり、復活の栄光に達するために、キリストを知り、キリストの死をも受け止めていく生き方です。
祈り:主よ!私にキリストを知る素晴らしさを与えてくださり、ありがとうございます。さらには、私がキリストの十字架と復活までをも、自分のものとすることができますように導いてください。
一言:キリストの死に与り
2005年07月09日 (土)
ピリピ人への手紙 2:19-30
パウロは二人の同労者をピリピの教会に送りたいと望みました。パウロは彼らを通じてピリピの教会の人々の近況をもっと知りたいと思ったのです。パウロはピリピの聖徒たちがこの二人に尊敬を払ってくれることを期待しました。
I.キリストのことを求めるテモテ(19-23)
テモテは使徒パウロと志を一つにする同労者でした。テモテは羊を愛する牧者パウロの心を知っていました。それ故、パウロは、テモテこそ自分と同じような気持ちで、ピリピの人々のことを心配してくれる者だということを確信し、彼を遣わすことを望んだのです。
そしてまた、テモテは、子が父親に仕えるように、使徒パウロとともに福音のために仕えてきました。パウロが監獄に入れられると、多くの人々が去って行きましたが、テモテは最後まで彼とともにいました。
II.いのちを顧みないエパフロデト(24-30)
エパフロデトはピリピの聖徒たちからの使者として、献金をローマのパウロのところへ持って行った人でした。ところが彼はローマで大病にかかり、死ぬほどの苦しみを味わいました。彼が病気になったという知らせを伝え聞いたピリピの聖徒たちは、とても心配しました。しかし神様の憐れみによって彼の病気は癒されました。彼はキリストのために、いのちの危険を冒して、死ぬほどの苦しみを経験したのです。
パウロは、エパフロデトのように、主の御業のために命さえも捧げるほどの、まごころで務めて来た人々に尊敬を払うように言いました。私たちは人間の目で見て優れている人々に関心が向きやすいですが、本当は、真心から主に仕える信仰の人々にこそ尊敬を払うべきなのです。
祈り:主よ!私は、この世の価値観に染まっていました。今、悔い改めます。テモテとエパフロデトのような主のしもべたちに尊敬を払うことができますように。
一言:信仰の人に尊敬を払いなさい
パウロは二人の同労者をピリピの教会に送りたいと望みました。パウロは彼らを通じてピリピの教会の人々の近況をもっと知りたいと思ったのです。パウロはピリピの聖徒たちがこの二人に尊敬を払ってくれることを期待しました。
I.キリストのことを求めるテモテ(19-23)
テモテは使徒パウロと志を一つにする同労者でした。テモテは羊を愛する牧者パウロの心を知っていました。それ故、パウロは、テモテこそ自分と同じような気持ちで、ピリピの人々のことを心配してくれる者だということを確信し、彼を遣わすことを望んだのです。
そしてまた、テモテは、子が父親に仕えるように、使徒パウロとともに福音のために仕えてきました。パウロが監獄に入れられると、多くの人々が去って行きましたが、テモテは最後まで彼とともにいました。
II.いのちを顧みないエパフロデト(24-30)
エパフロデトはピリピの聖徒たちからの使者として、献金をローマのパウロのところへ持って行った人でした。ところが彼はローマで大病にかかり、死ぬほどの苦しみを味わいました。彼が病気になったという知らせを伝え聞いたピリピの聖徒たちは、とても心配しました。しかし神様の憐れみによって彼の病気は癒されました。彼はキリストのために、いのちの危険を冒して、死ぬほどの苦しみを経験したのです。
パウロは、エパフロデトのように、主の御業のために命さえも捧げるほどの、まごころで務めて来た人々に尊敬を払うように言いました。私たちは人間の目で見て優れている人々に関心が向きやすいですが、本当は、真心から主に仕える信仰の人々にこそ尊敬を払うべきなのです。
祈り:主よ!私は、この世の価値観に染まっていました。今、悔い改めます。テモテとエパフロデトのような主のしもべたちに尊敬を払うことができますように。
一言:信仰の人に尊敬を払いなさい
2005年07月08日 (金)
ピリピ゚人への手紙 2:12-18
ピリピの信徒の中の、ある人々は、パウロが一緒にいた時には神様の御前に謙って仕えているように見えたのに、パウロが投獄されると神様の御業を恐れ敬うことをせず、身勝手な振る舞いをするようになりました。パウロは、そんな彼らに二つのことを教えています。
I.恐れおののいて自分の救いを達成してください(12,13)
神様の教会を導いて行くのは目に見える人ではありません。私たちのうちに働いておられる神様御自身です。神様は、その御心のままに、私たちのうちに志を与え、神様の御旨を成し遂げるようにしてくださいます。
ですから私たちは人の視線ではなく、神様の御前でこそ、恐れおののいて、自分の救いを達成していくべきなのです(12)。人に気に入られることを優先するならば、神様と人との間での二重生活となり、決定的な瞬間に信仰を失い、つまずいてしまいます。
II.つぶやかず、疑わずに行ないなさい(14-18)
私たちの交わりにおいて、つぶやきや疑いを抱くべきではありません(14)。それは、聖徒の交わりを傷つけるからです。私たちは神様の子どもとして、非難されるところがないような生き方を選び取っていくべきです。そして、いのちの御言葉をしっかりと握り、信仰に生きるべきなのです。そのとき、私たちは、世の光として輝くことができるのです。
使徒パウロはピリピの聖徒たちがこの世に流されることなく、むしろ、世の人々の鑑となっていくように願いました。そうすれば、イエス様が来られる日に、主の喜びにあずかることができるからです。パウロは羊たちの信仰のためになら、自分が殉教することさえも喜びであると告白しています(17)。彼は本当の牧者の心を持っていたのです。
祈り:主よ!この罪人は、あなたを恐れ敬う心を忘れ、身勝手に振舞っていました。今、悔い改めます。あなたを、どんなときにも恐れ敬い、救いへと至ることができますように。
一言:私のうちに、今、働いておられる神様
ピリピの信徒の中の、ある人々は、パウロが一緒にいた時には神様の御前に謙って仕えているように見えたのに、パウロが投獄されると神様の御業を恐れ敬うことをせず、身勝手な振る舞いをするようになりました。パウロは、そんな彼らに二つのことを教えています。
I.恐れおののいて自分の救いを達成してください(12,13)
神様の教会を導いて行くのは目に見える人ではありません。私たちのうちに働いておられる神様御自身です。神様は、その御心のままに、私たちのうちに志を与え、神様の御旨を成し遂げるようにしてくださいます。
ですから私たちは人の視線ではなく、神様の御前でこそ、恐れおののいて、自分の救いを達成していくべきなのです(12)。人に気に入られることを優先するならば、神様と人との間での二重生活となり、決定的な瞬間に信仰を失い、つまずいてしまいます。
II.つぶやかず、疑わずに行ないなさい(14-18)
私たちの交わりにおいて、つぶやきや疑いを抱くべきではありません(14)。それは、聖徒の交わりを傷つけるからです。私たちは神様の子どもとして、非難されるところがないような生き方を選び取っていくべきです。そして、いのちの御言葉をしっかりと握り、信仰に生きるべきなのです。そのとき、私たちは、世の光として輝くことができるのです。
使徒パウロはピリピの聖徒たちがこの世に流されることなく、むしろ、世の人々の鑑となっていくように願いました。そうすれば、イエス様が来られる日に、主の喜びにあずかることができるからです。パウロは羊たちの信仰のためになら、自分が殉教することさえも喜びであると告白しています(17)。彼は本当の牧者の心を持っていたのです。
祈り:主よ!この罪人は、あなたを恐れ敬う心を忘れ、身勝手に振舞っていました。今、悔い改めます。あなたを、どんなときにも恐れ敬い、救いへと至ることができますように。
一言:私のうちに、今、働いておられる神様
2005年07月07日 (木)
ピリピ人への手紙 2:1-11
ピリピの聖徒たち一人一人の信仰はとても深いものであるようにみえました。しかし彼らは、なかなか一つに心を合わせることができませんでした。パウロは、このような彼らに大切なことを教えています。
I.互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい(1-4)
ピリピの聖徒たちは、なぜ、心を一つにすることができなかったのでしょうか。彼らは何を忘れていたのでしょうか。パウロは教えています。心を合わせるためには、競争心、虚栄心を捨てるべきだと。そして、へりくだって人を自分よりもすぐれた者と思うべきだと。また、自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなければならないと。私たちも自分自身を省みてみましょう。
II.あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい(5-11)
パウロは言います。「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」キリストは神とともにおられたにもかかわらず、ご自身の全ての栄光と権威を捨てて、人々のしもべとなられ、十字架に至るまで神の御心に従われました。 イエス様は私たちのためにご自身を御捨てになられたのです。
私たちは罪深い性質故に、自己中心や驕り高ぶりに陥りやすい者です。しかし、そんな私たちも、このイエス様の御心に出会うとき、へりくだって主の愛に生きる者へと造り変えられて行くのです。神様は、ご自分を低くされたイエス様を高く上げられました(9,10)。すべての名にまさる名をお与えになりました。そして、天と地と、地の下にあるすべてのものが、キリストの前にひざをかがめ、主をほめたたえるようになるのです。
祈り:主よ!私は、驕り高ぶって自分中心に生きてきた罪を悔い改めます。あなたの御心に生きる小さき僕へと造り変えて下さい。
一言:キリスト・イエスのような心構えで
ピリピの聖徒たち一人一人の信仰はとても深いものであるようにみえました。しかし彼らは、なかなか一つに心を合わせることができませんでした。パウロは、このような彼らに大切なことを教えています。
I.互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい(1-4)
ピリピの聖徒たちは、なぜ、心を一つにすることができなかったのでしょうか。彼らは何を忘れていたのでしょうか。パウロは教えています。心を合わせるためには、競争心、虚栄心を捨てるべきだと。そして、へりくだって人を自分よりもすぐれた者と思うべきだと。また、自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなければならないと。私たちも自分自身を省みてみましょう。
II.あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい(5-11)
パウロは言います。「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」キリストは神とともにおられたにもかかわらず、ご自身の全ての栄光と権威を捨てて、人々のしもべとなられ、十字架に至るまで神の御心に従われました。 イエス様は私たちのためにご自身を御捨てになられたのです。
私たちは罪深い性質故に、自己中心や驕り高ぶりに陥りやすい者です。しかし、そんな私たちも、このイエス様の御心に出会うとき、へりくだって主の愛に生きる者へと造り変えられて行くのです。神様は、ご自分を低くされたイエス様を高く上げられました(9,10)。すべての名にまさる名をお与えになりました。そして、天と地と、地の下にあるすべてのものが、キリストの前にひざをかがめ、主をほめたたえるようになるのです。
祈り:主よ!私は、驕り高ぶって自分中心に生きてきた罪を悔い改めます。あなたの御心に生きる小さき僕へと造り変えて下さい。
一言:キリスト・イエスのような心構えで






