2008年01月02日 (水)
ピリピ 3:10-16
「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、」(10)
パウロはピリピ教会に宛てた書信で、自分がキリストとその復活の力とその苦難にあずかることを知ろうとしていることを告白しました。彼はイエス様を知ろうとする切なる霊的な望みを持っていました。彼は長い間イエス様に従い、誰よりも多くのことを行ないました。しかし彼は、自分がイエス様を知っているとは思いませんでした。慢心することなく、どこまでもイエス様を知ろうとしました。イエス様の力と苦難をさらに体験しようとしました。幼子は、この世界に対して知りたいことが多いので、よく学び成長します。しかし大人は世の中をよく知っていると思い込んで、これ以上学ぼうとはしないので成長が止まってしまいます。信仰生活はイエス様を知る生活です。イエス様は知っても、知っても終わりのない神様の奥義です(コロ2:2)。御言葉の学びを通して、一人に仕える牧者の生活を通して、イエス様を更に知ろうとする時、パウロのように、生涯留まることなく成長することができるのです。
パウロは今まで多くの実を結びました。しかし彼は何かを得たかのように思いませんでした。いつでも後にあることを忘れ、前に向かって進みました。それは、彼にははっきりとした目標があるからです。彼の目標はこの地にあるのではありません。キリスト・イエスにおいて、神様が上に召してくださる栄光だったのです。その目標が上にあったので、彼はいつも上を向いて進みました。この地での成就に満足せずに、いつも天に向かって進んで行きました。彼は神様の御国に行くまで、休まず成長し続けました。主に在る私たちの幸福は生涯成長し続ける生き方の中にこそあるのです。
祈り:主よ!この新しい年に、私が、イエス・キリストを知ろうとする霊的な情熱を持って、絶えることなく成長し続ける幸福な者になるように、導いてください。
一言:イエス様を更に知ることを願い
「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、」(10)
パウロはピリピ教会に宛てた書信で、自分がキリストとその復活の力とその苦難にあずかることを知ろうとしていることを告白しました。彼はイエス様を知ろうとする切なる霊的な望みを持っていました。彼は長い間イエス様に従い、誰よりも多くのことを行ないました。しかし彼は、自分がイエス様を知っているとは思いませんでした。慢心することなく、どこまでもイエス様を知ろうとしました。イエス様の力と苦難をさらに体験しようとしました。幼子は、この世界に対して知りたいことが多いので、よく学び成長します。しかし大人は世の中をよく知っていると思い込んで、これ以上学ぼうとはしないので成長が止まってしまいます。信仰生活はイエス様を知る生活です。イエス様は知っても、知っても終わりのない神様の奥義です(コロ2:2)。御言葉の学びを通して、一人に仕える牧者の生活を通して、イエス様を更に知ろうとする時、パウロのように、生涯留まることなく成長することができるのです。
パウロは今まで多くの実を結びました。しかし彼は何かを得たかのように思いませんでした。いつでも後にあることを忘れ、前に向かって進みました。それは、彼にははっきりとした目標があるからです。彼の目標はこの地にあるのではありません。キリスト・イエスにおいて、神様が上に召してくださる栄光だったのです。その目標が上にあったので、彼はいつも上を向いて進みました。この地での成就に満足せずに、いつも天に向かって進んで行きました。彼は神様の御国に行くまで、休まず成長し続けました。主に在る私たちの幸福は生涯成長し続ける生き方の中にこそあるのです。
祈り:主よ!この新しい年に、私が、イエス・キリストを知ろうとする霊的な情熱を持って、絶えることなく成長し続ける幸福な者になるように、導いてください。
一言:イエス様を更に知ることを願い
2007年01月02日 (火)
ピリピ人への手紙 3:1-11
「いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」(8)
I.すべてのものをちりあくたと思うパウロ(8)
当時ピリピ教会には律法を強調する割礼党がありました。彼らは人間的にすぐれたものになることが、救いを得るのに助けになると信じ、またそれを誇る人々でした。しかし人間的な背景・立場や律法的な熱心を語るとすれば、使徒パウロも彼らには劣りませんでした。しかしパウロはそのようないっさいのことを損と思っていたのです。なぜでしょうか。それは、キリストを知っていること、ただ、それだけが、すばらしいことであるのを、知っていたからです(8)。
そして、さらに、パウロはすべてのものを捨てて、ちりあくたと思いました。それらのものは、キリストを得、まことの命を見出す上では、むしろ邪魔になることを、知っていたからです。
II.十字架と復活を得ようとするパウロ(10,11)
パウロは、キリストと、その甦りの力とその苦しみとに与りたいと思いました(10)。甦りの力を得るために、日々殉教を覚悟して福音の御業に仕えました。彼は、理屈でキリストを知ることよりも、実生活を通して主イエス・キリストを得たいと願っていたのです。彼はすでに得たとも、完成したとも思わず、自らを誇ることをしませんでした。彼はただキリストを得るために、キリストに付き従ったのです。
私たちは、何を目指して生きて行くべきなのでしょうか。それは、キリストを得、またそれを体験することです。この新しい年が、私たちにとって何よりもキリストを得る貴重な一年となりますように。
祈り:主よ!私にキリストを得るという霊的な望みを与えてください。私は、この一年を通じて、イエス・キリストの十字架と甦りを得るために、追い求めます。
一言:キリストを得る年
「いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」(8)
I.すべてのものをちりあくたと思うパウロ(8)
当時ピリピ教会には律法を強調する割礼党がありました。彼らは人間的にすぐれたものになることが、救いを得るのに助けになると信じ、またそれを誇る人々でした。しかし人間的な背景・立場や律法的な熱心を語るとすれば、使徒パウロも彼らには劣りませんでした。しかしパウロはそのようないっさいのことを損と思っていたのです。なぜでしょうか。それは、キリストを知っていること、ただ、それだけが、すばらしいことであるのを、知っていたからです(8)。
そして、さらに、パウロはすべてのものを捨てて、ちりあくたと思いました。それらのものは、キリストを得、まことの命を見出す上では、むしろ邪魔になることを、知っていたからです。
II.十字架と復活を得ようとするパウロ(10,11)
パウロは、キリストと、その甦りの力とその苦しみとに与りたいと思いました(10)。甦りの力を得るために、日々殉教を覚悟して福音の御業に仕えました。彼は、理屈でキリストを知ることよりも、実生活を通して主イエス・キリストを得たいと願っていたのです。彼はすでに得たとも、完成したとも思わず、自らを誇ることをしませんでした。彼はただキリストを得るために、キリストに付き従ったのです。
私たちは、何を目指して生きて行くべきなのでしょうか。それは、キリストを得、またそれを体験することです。この新しい年が、私たちにとって何よりもキリストを得る貴重な一年となりますように。
祈り:主よ!私にキリストを得るという霊的な望みを与えてください。私は、この一年を通じて、イエス・キリストの十字架と甦りを得るために、追い求めます。
一言:キリストを得る年
2007年01月01日 (月)
ピリピ人への手紙 2:1-11
「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。」(5)
I.へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい(1-4)
ピリピの聖徒たちは個人の信仰は深いものでしたが、彼らには、互いに心を一致させることができないという問題がありました。彼らが聖霊の器を造るためには、競争心と虚栄心を捨てることが必要だったのです。彼らはへりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思い、自分のことだけではなく、他の人のことも顧みるべきでした。
自分を低くする謙遜な心がなければ、人を自分よりもすぐれた者と思うことはできません。人から学ぼうとする心が必要なのです。このような人は心に平安があり、どんな人をも受け入れることができるのです。
II.あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい(5-11)
しかし自分を低くすることは、何と難しいことでしょう。私たちはどのようにしてへりくだることができるのでしょうか。5節をご覧ください。「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」主イエス様は、神様と一つの御方でした。しかしすべての栄光と権威を捨てて、しもべになるまで低くなられました(マコ10:45)。十字架の死に至るまで神様に服従したのです。しかし神様はイエス様を高くされ、すべての名にまさる名をお与えになりました。天と地と地の下にあるもののすべてがひざをかがめるようにされたのです。
自分を低くすれば、神様がその人を高め、尊び、御用いくださるのです。わたしたちは、人と争わなくて良いのです。神様が高くしてくださるのですから。
祈り:主よ!昨年、私は驕り高ぶり、心に安らぎがなく、虚しい時を過ごすことがありました。私にとって、この新しい年が、主イエス・キリストに学ぶ年となりますように。
一言:キリストの心を学ぶ年
「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。」(5)
I.へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい(1-4)
ピリピの聖徒たちは個人の信仰は深いものでしたが、彼らには、互いに心を一致させることができないという問題がありました。彼らが聖霊の器を造るためには、競争心と虚栄心を捨てることが必要だったのです。彼らはへりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思い、自分のことだけではなく、他の人のことも顧みるべきでした。
自分を低くする謙遜な心がなければ、人を自分よりもすぐれた者と思うことはできません。人から学ぼうとする心が必要なのです。このような人は心に平安があり、どんな人をも受け入れることができるのです。
II.あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい(5-11)
しかし自分を低くすることは、何と難しいことでしょう。私たちはどのようにしてへりくだることができるのでしょうか。5節をご覧ください。「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」主イエス様は、神様と一つの御方でした。しかしすべての栄光と権威を捨てて、しもべになるまで低くなられました(マコ10:45)。十字架の死に至るまで神様に服従したのです。しかし神様はイエス様を高くされ、すべての名にまさる名をお与えになりました。天と地と地の下にあるもののすべてがひざをかがめるようにされたのです。
自分を低くすれば、神様がその人を高め、尊び、御用いくださるのです。わたしたちは、人と争わなくて良いのです。神様が高くしてくださるのですから。
祈り:主よ!昨年、私は驕り高ぶり、心に安らぎがなく、虚しい時を過ごすことがありました。私にとって、この新しい年が、主イエス・キリストに学ぶ年となりますように。
一言:キリストの心を学ぶ年
2005年07月13日 (水)
ピリピ人への手紙 4:8-13
使徒パウロは、ピリピの聖徒たちへ最後の言葉をかけました。彼は、ピリピの聖徒たちが、自分のことを心配してくれたことのゆえに、大きな喜びに満たされていました。今日の本文を通じて、使徒パウロの内面の生き方を見ることができます。
I.すべての真実なこと(8,9)
神様がくださる平和を受けとるためには、どうしたらよいのでしょう。パウロは、ピリピの聖徒たちに敬虔に生きていくように勧めました。それは、すべての真実なことに、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いことを、心に留める生き方です。そして、心の倉から良い物を出す(ルカ6:45)生き方です。
またパウロは自分から学び、受け、聞き、見たことを行なうように言いました。行いとしてあらわれる信仰こそが、いのちある信仰だからです(ヤコ2:26)。神様の御国は言葉にあるのではなく、力にあるからです(Ⅰコリ4:20)。主の御心を行うとき、私たちは神様の平安に満たされるのです。
II.私を強くしてくださる方によって(10-13)
パウロは、ピリピの聖徒たちから贈り物を受け、大きく喜びました。贈り物それ自体ではなく、そこに、聖徒たちの愛を読むことができたからです。彼はどんな状況にあっても、霊的に満たされる秘訣を知っていました。ですから、彼は、支援をうけても感謝し、受けなくても感謝しました。彼は世のあらゆる事から自由となり、福音の御業に専心していたのです。どうしたら、このようなことができるのでしょうか。彼は、自分を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのだと言います。それは、全能の主への信仰告白です。彼は、どんなことでもできる方が、自分とともにいてくださることへの絶対的な信頼の中で生きていたのです。
祈り:主よ!使徒パウロは監獄にあっても喜びに満たされていました。その源を教えてくださり、ありがとうございます。私も、私を強くしてくださるあなたによって生きていきます。あなたにあって不可能はありません。
一言:私を強くしてくださる方によって
使徒パウロは、ピリピの聖徒たちへ最後の言葉をかけました。彼は、ピリピの聖徒たちが、自分のことを心配してくれたことのゆえに、大きな喜びに満たされていました。今日の本文を通じて、使徒パウロの内面の生き方を見ることができます。
I.すべての真実なこと(8,9)
神様がくださる平和を受けとるためには、どうしたらよいのでしょう。パウロは、ピリピの聖徒たちに敬虔に生きていくように勧めました。それは、すべての真実なことに、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いことを、心に留める生き方です。そして、心の倉から良い物を出す(ルカ6:45)生き方です。
またパウロは自分から学び、受け、聞き、見たことを行なうように言いました。行いとしてあらわれる信仰こそが、いのちある信仰だからです(ヤコ2:26)。神様の御国は言葉にあるのではなく、力にあるからです(Ⅰコリ4:20)。主の御心を行うとき、私たちは神様の平安に満たされるのです。
II.私を強くしてくださる方によって(10-13)
パウロは、ピリピの聖徒たちから贈り物を受け、大きく喜びました。贈り物それ自体ではなく、そこに、聖徒たちの愛を読むことができたからです。彼はどんな状況にあっても、霊的に満たされる秘訣を知っていました。ですから、彼は、支援をうけても感謝し、受けなくても感謝しました。彼は世のあらゆる事から自由となり、福音の御業に専心していたのです。どうしたら、このようなことができるのでしょうか。彼は、自分を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのだと言います。それは、全能の主への信仰告白です。彼は、どんなことでもできる方が、自分とともにいてくださることへの絶対的な信頼の中で生きていたのです。
祈り:主よ!使徒パウロは監獄にあっても喜びに満たされていました。その源を教えてくださり、ありがとうございます。私も、私を強くしてくださるあなたによって生きていきます。あなたにあって不可能はありません。
一言:私を強くしてくださる方によって
2005年07月12日 (火)
ピリピ人への手紙 4:1-7
ピリピの教会は外の迫害、内の争いという苦難を経験していました。聖徒たちの心は闇と恐れに包まれていました。しかし、使徒パウロはこのような聖徒たちに、主にあって喜ぶように、と言います。
I.主にあって一致してください(1-3)
パウロはピリピの聖徒たちを、自分の喜び、冠であると言います。パウロは彼らに、甦りの信仰の上にしっかりと立つように勧めました。そして、ユウオデヤとスントテの問題について触れて、主にあって一致するように求めました(2)。この二人の姉妹は福音のために熱心に働きましたが、互いに自分を譲ろうとせず、心を合わせることができませんでした。パウロは彼女らの問題のために、多くの祈りを捧げていました。彼女らが一つになって主の御業に仕えるように願っていました。
II.主にあって喜びなさい(4-7)
現実の問題のために、喜びを失っている聖徒たちに、パウロは、「主にあって喜びなさい」と言います(4)。たとえ喜べる状況ではなくても、たとえ現実が悪く思えても、喜ぶべきだというのです。それは、いかなることなのでしょうか。
第一に、全ての人に寛容を示すことです(5)。再び来られるイエス様に望みを置いて、寛容な心で生きていくことです。
第二に、あらゆるばあいに祈ることです(6,7)。祈りを通じて、全ての思い煩いを主に御委ねすることです。
このように生きていくならば、神様は、その人の心に平安を与えてくださいます。喜べないと思われたのが嘘のように、主から来る本物の喜びが満ち溢れるのです。 それ故に、パウロは言うのです。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」 と。
祈り:主よ!現実の問題によって喜びを見失っていた罪を、今、悔い改めます。私は、同労者たちと心を一つにし、あなたとともに生きる喜びを見出します。全ての人に寛容な心を示し、感謝をもって祈ります。喜ぶ者へと造り変えてください。
一言:もう一度言います。喜びなさい。
ピリピの教会は外の迫害、内の争いという苦難を経験していました。聖徒たちの心は闇と恐れに包まれていました。しかし、使徒パウロはこのような聖徒たちに、主にあって喜ぶように、と言います。
I.主にあって一致してください(1-3)
パウロはピリピの聖徒たちを、自分の喜び、冠であると言います。パウロは彼らに、甦りの信仰の上にしっかりと立つように勧めました。そして、ユウオデヤとスントテの問題について触れて、主にあって一致するように求めました(2)。この二人の姉妹は福音のために熱心に働きましたが、互いに自分を譲ろうとせず、心を合わせることができませんでした。パウロは彼女らの問題のために、多くの祈りを捧げていました。彼女らが一つになって主の御業に仕えるように願っていました。
II.主にあって喜びなさい(4-7)
現実の問題のために、喜びを失っている聖徒たちに、パウロは、「主にあって喜びなさい」と言います(4)。たとえ喜べる状況ではなくても、たとえ現実が悪く思えても、喜ぶべきだというのです。それは、いかなることなのでしょうか。
第一に、全ての人に寛容を示すことです(5)。再び来られるイエス様に望みを置いて、寛容な心で生きていくことです。
第二に、あらゆるばあいに祈ることです(6,7)。祈りを通じて、全ての思い煩いを主に御委ねすることです。
このように生きていくならば、神様は、その人の心に平安を与えてくださいます。喜べないと思われたのが嘘のように、主から来る本物の喜びが満ち溢れるのです。 それ故に、パウロは言うのです。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」 と。
祈り:主よ!現実の問題によって喜びを見失っていた罪を、今、悔い改めます。私は、同労者たちと心を一つにし、あなたとともに生きる喜びを見出します。全ての人に寛容な心を示し、感謝をもって祈ります。喜ぶ者へと造り変えてください。
一言:もう一度言います。喜びなさい。






