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再び産みの苦しみをしているパウロ
ガラテヤ人への手紙 4:8-20

ガラテヤの教会員たちは偽りの教師の惑わしを受けて、信仰を見失って律法にとらわれる大変な霊的危機に陥りました。そして、彼らは傲慢になり、パウロの霊的な権威に立ち向かいさえしたのです。しかしパウロは、このような彼らの牧者として再び産みの苦しみを担おうとしていました。

I.どうして幼稚な教えに逆戻りしようとしたのか(8-11)
 彼らは以前は神様を知らず、事実上、悪魔の奴隷になっていました(8)。しかし彼らは福音によって神様の子どもとなり、神様に知っていただきました(9)。ところが彼らは再び無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りしようとしているというのです。
 福音を受け取った後、私たちは神様の御言葉への信頼を深めて行くべきです。御言葉から離れて、形式や律法ばかりに縛られた生活をするようになってしまったなら、もはや私たちは罪の奴隷になっているのです。

II.再び産みの苦しみをしています(12-20)
 ガラテヤの教会員たちは、はじめに使徒パウロから福音を聞いて受け入れた時、自分の目をも与えて良いほどにパウロを愛し、尊敬していました(14,15)。しかし今や、彼らは律法主義者たちの熱心さに心惹かれ、牧者パウロから離れ、そしてついにはキリストから離れて行ってしまう危機の中にあったのです。
 そのために、使徒パウロは、彼らのうちにキリストが形造られるために、再び産みの苦しみをしています(19)。使徒パウロは牧者の心を持って彼らを愛し導く、霊的な父親のような存在だったのです。

祈り:主よ!私が良き牧者でありますように導いてください。羊の心のうちにキリストが形造られる、その時まで、助け導く牧者としてください。

一言:キリストが形造られるまで

カテゴリ:新約聖書::ガラテヤ人への手紙

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神の子ども
ガラテヤ人への手紙 3:26-4:7

本文は、私たちがどのようにして神の子どもとしての身分を受けるようになったのかを教えています。

I.イエス様を信じることによって神の子どもになりました(3:26-29)
 私たちが神様の子どもになったのは律法によるものではありません。それはキリスト・イエスに対する信仰によって、ただ神様の恵みによってそうなったのです。神様の子どもとは、キリストをその身に着て、キリストとつながった者です(27)。そして、神様の子どもはアブラハムの子孫として、約束通りに神様の御国を相続するようになるのです(29)。

II.神様を「アバ、父。」と呼ぶことができるようになりました(4:1-7)
 遺産を相続する者は全財産の持ち主です。しかし子どものうちは奴隷と少しも違わず、父の定めた日までは後見人の下で干渉を受けました。それと同様に、私たちが小さかった時には、幼稚な教えの下の奴隷になっていたのです(10)。しかし時が来て、神様がご自分の御子をお遣わしになり、律法の下にある私たちを贖い出して、子どもの身分を与えてくださったのです(4,5)。
 神様は私たちの心に御子の御霊を注いでくださり、私たちも、神様を「アバ、父。」と呼ぶことができるようになったのです。これは世の中のあらゆる祝福にもまして大きな、本当の祝福なのです。

祈り:父なる主よ!私を縛っていた世の価値観から私を解き放ち、あなたを父と呼ぶことができるようにして下さり、ありがとうございます。

一言:子としての身分を与えてくださった神様

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約束と律法
ガラテヤ人への手紙 3:15-25

昨日の聖書箇所、3章1節から14節では、福音と律法を対照していましたが、今日の本文では約束と律法を対照しています。

I.アブラハムに恵みによって与えられた約束(15-18)
 神様は救いの御業を始められることを、アブラハムとその子孫に約束されました(創12:3,7,13:15,17:7,22:18)。その子孫とはすなわちキリストです。そして、この約束はアブラハムが信仰によって受け取った、神様から無条件に与えられた約束なので、決して変更されることがありません。 
 神様は、先に与えた約束を、430年後にできた律法によって取り消される方ではありません(17)。神様は信仰に生きるアブラハムに、ただ恵みによって約束をくださり、この約束を守られました。

II.律法はキリストに導く養育係(19-25)
 では律法とは何でしょうか。律法は罪を罪としてはっきり認識するために約束につけ加えられたものです(19)。律法は神様の約束を翻すものではないのです。
 律法によって、私たちは、自分が罪によって裁かれるしかない存在であり、自分の力では救われようのない者であることを痛感するようになります。ですから、律法は、私たちをキリストに導く養育係、すなわち家庭教師の役割をしているのです(24)。そして、信仰が現れた後には、私たちは養育係の下から離れ、律法から自由になるのです。

祈り:主よ!私が律法に縛られるのではなく、ただ、あなたの御恵みによって与えられた約束の御言葉に信頼し、信仰に生きるようにお導きください。

一言:御恵みによって与えられた約束

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福音と律法
ガラテヤ人への手紙 3:1-14

3,4章はガラテヤ人への手紙における教理の中心であり、「福音と律法」という主題が明確に表れています。今日の御言葉は「人の行ない」である律法と、「神の御恵み」である信仰という、両者が何であるのかについて教えています。

I.人の行ないに基づく律法
 使徒パウロはガラテヤ人の愚かさを咎めています。彼らは十字架につけられたイエス・キリストを信じ、御霊を受けて生まれ変わった新しい人になりました。ところが今になって彼らは偽りの教師に惑わされて律法を行うことを救いの要件にしてしまったのです(1)。これは十字架による贖いという絶対的真理を無意味なものとし、御霊の御業をむだにしてしまうことです(4)。
 律法主義者たちはモーセの教えの通りに割礼を受け、律法を守らなければ救われないと主張しました(使15:1)。だとするならば、律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれるのです(10)。そして、神様の前では律法によって義と認められる人はこの世には誰もいません(11)。

II.神の福音に基づく信仰
 私たちが御霊を受け、新しく生まれたのは、律法の行ないによってではなく、福音を信仰を持って聞いたからです(2)。先祖アブラハムも神様を信じることで義と認められました(6)。ですから信仰によって生きる人はアブラハムの子どもであり(7)、アブラハムと同じように祝福を受けるようになるのです(9)。キリストが十字架につけられて呪われたものになったのは、御自身を身代わりとして、私たちを律法の呪いから贖い出してくださるためでした(13)。これによって、私たちは信仰によって約束の御霊を受けることができるようになったのです(14)。

祈り:主よ!私が律法に縛られる愚かさに陥ることなく、ただ信仰によって生きるように助けてください。

一言:信仰によって生きる

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キリストを信じる信仰によって
ガラテヤ人への手紙 2:11-21

時に、私たちはこの世の価値観の影響を受け、福音の真理を忘れて、律法的な生き方に陥りやすい者です。今日の御言葉には、律法主義の影響を受けてしまったペテロの姿と、福音に生きたパウロの姿とが、対照的に現れています。

I.ペテロをとがめたパウロ(11-14)
 アンテオケで、ペテロは異邦人と共に食事をしていました。ところが、エルサレムのヤコブのところから律法主義者たちが来た後は、彼はだんだんと異邦人から身を引き、いっしょに食事をしなくなってしまいました。すると、こうしたヤコブの振る舞いに影響されて、他のユダヤ人やバルナバも律法的に振る舞うようになって行きました。
 これを見た使徒パウロは、皆の面前で、ペテロの行ないをとがめました(14)。私たちは世にあって、時に律法的になってしまいやすい者ですが、福音の真理から目を離さずに生きて行くべきなのです。

II.キリストに生きるパウロ(15-21)
 人は生まれながらに罪の性質を持っていて、いかなる肉の行ないによっても義と認められることができません。私たちが義と認められるためには、自分の罪のために十字架につけられたイエス様を信じる他はないのです。罪の性質を持ったパウロはすでにキリストとともに十字架につけられて死にました。今や、彼はキリストを信じる信仰によって生きています。同様に、私たちは信仰によって救われ、それ故、信仰によって生きる者です。律法や形式や伝統が私たちを支配しているのではありません。生きるにしても、死ぬにしても、私たちはただキリストのものです。この信仰こそが私たちを生かすのです。

祈り:主よ!私が律法に支配されてしまうことなく、ただ信仰によって生きて行くことができるようにお守りください。

一言:今私が生きているのは

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