2005年06月01日 (水)
マタイの福音書 25:31-46
「この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」(46)
イエス様が最初に来られた時には仕えるしもべとして来られました。しかし再び来られる時にはすべての御使いたちを伴って、ご自分の栄光の座に着かれます。そして全ての国々の民をその御前に集めて、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、その左右に分けられるのです。
イエス様は右側にいる人々に、「世の初めから備えられた御国を継ぎなさい」と言われます(34)。この国は罪も涙も苦痛も死もなく、愛と平和と恵みと喜びと永遠のいのちが満ちた完全な楽園です。なぜ彼らはこのような祝福を受けるのでしょうか。それは、主が空腹で、渇いていた時、旅人であった時、牢にいた時、助けたからです。
それを聞いた正しい人たちは、自分たちは主にそのようなことをしたことがないと言いました。主は彼らに答えて言われました。「これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(40)。最も小さい者とは、この現実の世界において、助けを必要とする人、愛を必要とする人です。イエス様は最も小さい者の御姿で私たちの前に現われます。ですから、私たちが最も小さい者に仕えることは、私たちの主に仕えることであり、主はそのような人々に備えられた天の御国をお与えになります。
一方、主は、左にいる者たちに、「のろわれた者ども」と言われ、「悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。」と命じられます。彼らはイエス様を信じると口先では言いながらも、現実の世界で、最も小さい者に目を留めず、顧みることがありませんでした。
祈り:主よ!最も小さい者を顧みなかったことを悔い改めます。私は、今、あなたに仕えるように、愛を持って、彼らに仕えます。
一言:正しい人は永遠のいのちに、悪い人は永遠の刑罰に
「この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」(46)
イエス様が最初に来られた時には仕えるしもべとして来られました。しかし再び来られる時にはすべての御使いたちを伴って、ご自分の栄光の座に着かれます。そして全ての国々の民をその御前に集めて、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、その左右に分けられるのです。
イエス様は右側にいる人々に、「世の初めから備えられた御国を継ぎなさい」と言われます(34)。この国は罪も涙も苦痛も死もなく、愛と平和と恵みと喜びと永遠のいのちが満ちた完全な楽園です。なぜ彼らはこのような祝福を受けるのでしょうか。それは、主が空腹で、渇いていた時、旅人であった時、牢にいた時、助けたからです。
それを聞いた正しい人たちは、自分たちは主にそのようなことをしたことがないと言いました。主は彼らに答えて言われました。「これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(40)。最も小さい者とは、この現実の世界において、助けを必要とする人、愛を必要とする人です。イエス様は最も小さい者の御姿で私たちの前に現われます。ですから、私たちが最も小さい者に仕えることは、私たちの主に仕えることであり、主はそのような人々に備えられた天の御国をお与えになります。
一方、主は、左にいる者たちに、「のろわれた者ども」と言われ、「悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。」と命じられます。彼らはイエス様を信じると口先では言いながらも、現実の世界で、最も小さい者に目を留めず、顧みることがありませんでした。
祈り:主よ!最も小さい者を顧みなかったことを悔い改めます。私は、今、あなたに仕えるように、愛を持って、彼らに仕えます。
一言:正しい人は永遠のいのちに、悪い人は永遠の刑罰に
2005年05月31日 (火)
マタイの福音書 25:1-30
「よくやった。良い忠実なしもべだ。」(21)
I.十人の娘のたとえ(1-13)
天の御国はたとえて言えば、ともしびを持って花婿を迎える十人の娘のようです。ともしびと油を用意しておいた賢い五人の娘は、花婿が夜中に来た時、花婿を迎え入れ、婚礼の祝宴に入ることができました。しかしともしびだけを持って、油を用意しなかった娘たちは油がなくなって新郎を迎え入れることができず、婚礼の祝宴に入ることができませんでした。主はいつ来られるのか分かりません。ですから、私たちは賢い娘のように、いつでも主を迎え入れることができるように聖霊の油に満たされて生きて行きましょう。霊的な生活とは、一時的なものではなく、継続的なものなのです。
II.タラントのたとえ(14-30)
主人が旅に行く時、しもべたちにおのおの能力に応じて、五タラント、二タラント、一タラントのお金を預けて下さいました。五タラントを預かったしもべと二タラントを預かったしもべは商売をし、預かったものに応じた利益を残しました。しかし一タラントを預かったしもべはそれを、地を掘って隠して置きました。時になって、主人が帰って来て清算をした時、主人から受けた恵みに応えたしもべは、「良い忠実なしもべだ」と賞賛され、主人の喜びにあずかることができました(23)。しかし与えられた恵みの意味が分からなかったしもべは「悪いなまけ者のしもべだ」と非難され、持っていたものをも取り上げられてしまいました(26-28)。私たちは皆、主から豊かな恵みを頂いて生きているのです。そのことを悟り、感謝の心で生きていくならば、主が再臨される時、祝福に与ることができます。
祈り:主よ!私が、あなたから預かったタラントを包み隠すことなく、感謝の心を持って、あなたに栄光をお帰しするような生き方が出来ますように導いてください。
一言:良い忠実なしもべだ
「よくやった。良い忠実なしもべだ。」(21)
I.十人の娘のたとえ(1-13)
天の御国はたとえて言えば、ともしびを持って花婿を迎える十人の娘のようです。ともしびと油を用意しておいた賢い五人の娘は、花婿が夜中に来た時、花婿を迎え入れ、婚礼の祝宴に入ることができました。しかしともしびだけを持って、油を用意しなかった娘たちは油がなくなって新郎を迎え入れることができず、婚礼の祝宴に入ることができませんでした。主はいつ来られるのか分かりません。ですから、私たちは賢い娘のように、いつでも主を迎え入れることができるように聖霊の油に満たされて生きて行きましょう。霊的な生活とは、一時的なものではなく、継続的なものなのです。
II.タラントのたとえ(14-30)
主人が旅に行く時、しもべたちにおのおの能力に応じて、五タラント、二タラント、一タラントのお金を預けて下さいました。五タラントを預かったしもべと二タラントを預かったしもべは商売をし、預かったものに応じた利益を残しました。しかし一タラントを預かったしもべはそれを、地を掘って隠して置きました。時になって、主人が帰って来て清算をした時、主人から受けた恵みに応えたしもべは、「良い忠実なしもべだ」と賞賛され、主人の喜びにあずかることができました(23)。しかし与えられた恵みの意味が分からなかったしもべは「悪いなまけ者のしもべだ」と非難され、持っていたものをも取り上げられてしまいました(26-28)。私たちは皆、主から豊かな恵みを頂いて生きているのです。そのことを悟り、感謝の心で生きていくならば、主が再臨される時、祝福に与ることができます。
祈り:主よ!私が、あなたから預かったタラントを包み隠すことなく、感謝の心を持って、あなたに栄光をお帰しするような生き方が出来ますように導いてください。
一言:良い忠実なしもべだ
2005年05月30日 (月)
マタイの福音書 24:15-51
「人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」(30b)
I.大能と輝かしい栄光を帯びて来られるイエス様(15-31)
終末になり、イエス様が再臨される直前には、今までになかった大きな苦難があります(21)。そうした中で、偽キリストと預言者たちが現われて、しるしや不思議なことを見せて、キリストを信じる者たちを惑わします。しかし終末に起こることについて、イエス様がすでに話されました(25)。キリストが荒野にいらっしゃる、部屋にいらっしゃる、と聞いても信じるべきではないのです。イエス様が来られる時には、いなずまが東から出て、西にひらめくように、すべての人にはっきりと分かるように来られます。主が再臨される時には、太陽は暗くなり、月は光を放ちません。星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。宇宙の法則が覆されるのです。その時、イエス様が雲に乗って、大能と輝かしい栄光を帯びて来られるのです(30)。そして御使いたちを遣わして、選ばれた者たちを、天の果てから果てまで、四方から集めさせます。キリストを信じる者にとって、その日は救いの日です。しかし信じない者たちにはその日は恐ろしいさばきの日なのです。
II.目をさましていなさい(32-51)
イエス様が再臨される日は御使いたちも知りません。ただ神様だけが知っておられます。ですから終末の時を知ろうとすることより、いつイエス様が来られても、お迎えできる姿勢で生きることこそが大切なのです。イエス様の再臨はどろぼうが来るように、突如として臨みます。ですから、目をさまし、主の再臨に備えている人だけが祝福を受けるようになるのです(45,46)。
祈り:主よ!私は、あなたが雲に乗って大能と栄光を帯びて来られる日を待ち望んでいます。あなたの再臨に備える生き方を貫くことができますように助け導いて下さい。
一言:忠実な思慮深いしもべとなり
「人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」(30b)
I.大能と輝かしい栄光を帯びて来られるイエス様(15-31)
終末になり、イエス様が再臨される直前には、今までになかった大きな苦難があります(21)。そうした中で、偽キリストと預言者たちが現われて、しるしや不思議なことを見せて、キリストを信じる者たちを惑わします。しかし終末に起こることについて、イエス様がすでに話されました(25)。キリストが荒野にいらっしゃる、部屋にいらっしゃる、と聞いても信じるべきではないのです。イエス様が来られる時には、いなずまが東から出て、西にひらめくように、すべての人にはっきりと分かるように来られます。主が再臨される時には、太陽は暗くなり、月は光を放ちません。星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。宇宙の法則が覆されるのです。その時、イエス様が雲に乗って、大能と輝かしい栄光を帯びて来られるのです(30)。そして御使いたちを遣わして、選ばれた者たちを、天の果てから果てまで、四方から集めさせます。キリストを信じる者にとって、その日は救いの日です。しかし信じない者たちにはその日は恐ろしいさばきの日なのです。
II.目をさましていなさい(32-51)
イエス様が再臨される日は御使いたちも知りません。ただ神様だけが知っておられます。ですから終末の時を知ろうとすることより、いつイエス様が来られても、お迎えできる姿勢で生きることこそが大切なのです。イエス様の再臨はどろぼうが来るように、突如として臨みます。ですから、目をさまし、主の再臨に備えている人だけが祝福を受けるようになるのです(45,46)。
祈り:主よ!私は、あなたが雲に乗って大能と栄光を帯びて来られる日を待ち望んでいます。あなたの再臨に備える生き方を貫くことができますように助け導いて下さい。
一言:忠実な思慮深いしもべとなり
2005年05月29日 (日)
マタイの福音書 24:1-14
「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(14)
I.石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。(1,2)
弟子たちはエルサレムの宮の雄大荘厳で華麗な姿を見て感嘆しました。しかしイエス様は「ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」と言われました。弟子たちは宮の表面的な姿だけを見ましたが、イエス様は宮の内側の姿をご覧になっていました。宮にいる宗教指導者たちの罪をご覧になりました。祈りの宮が、商売の家となっている姿をご覧になりました。このように、霊的な師は、表面的な姿に目が眩まされることがありません。霊の目を開き、内にある本質を見分けるのです。
II.この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて(3-14)
宮が破壊されるという御言葉を聞いて、弟子たちはイエス様が人類の終末について話されていると思い、その時期と前兆を尋ねました。ですが、イエス様は「人に惑わされないように気をつけなさい。」と言われました(4)。また戦争のことや、戦争のうわさを聞いてもあわてるな、と言われました(6)。なぜなら戦争が起こったとしても、それが世の終わりではないからです(6b)。世が暗くなると、キリストに在る者達は多くの迫害を受け、憎まれるようになります。人々は惑わされ、互いに争い憎みあうようになるのです。偽の預言者が現われ多くの人を惑わします。不法がはびこり、愛は冷たくなります。ですが、キリストに在る者達は最後まで耐え忍ぶべきなのです(13)。では世の終わりはいつなのしょうか。「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(14)
祈り:主よ!たとえ、世に辛いことがあったとしても、惑わされることも、恐れることもなく、天の御国を宣べ伝えることができるようにお助け下さい。
一言:御国の福音を世界に
「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(14)
I.石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。(1,2)
弟子たちはエルサレムの宮の雄大荘厳で華麗な姿を見て感嘆しました。しかしイエス様は「ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」と言われました。弟子たちは宮の表面的な姿だけを見ましたが、イエス様は宮の内側の姿をご覧になっていました。宮にいる宗教指導者たちの罪をご覧になりました。祈りの宮が、商売の家となっている姿をご覧になりました。このように、霊的な師は、表面的な姿に目が眩まされることがありません。霊の目を開き、内にある本質を見分けるのです。
II.この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて(3-14)
宮が破壊されるという御言葉を聞いて、弟子たちはイエス様が人類の終末について話されていると思い、その時期と前兆を尋ねました。ですが、イエス様は「人に惑わされないように気をつけなさい。」と言われました(4)。また戦争のことや、戦争のうわさを聞いてもあわてるな、と言われました(6)。なぜなら戦争が起こったとしても、それが世の終わりではないからです(6b)。世が暗くなると、キリストに在る者達は多くの迫害を受け、憎まれるようになります。人々は惑わされ、互いに争い憎みあうようになるのです。偽の預言者が現われ多くの人を惑わします。不法がはびこり、愛は冷たくなります。ですが、キリストに在る者達は最後まで耐え忍ぶべきなのです(13)。では世の終わりはいつなのしょうか。「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(14)
祈り:主よ!たとえ、世に辛いことがあったとしても、惑わされることも、恐れることもなく、天の御国を宣べ伝えることができるようにお助け下さい。
一言:御国の福音を世界に
2005年05月28日 (土)
マタイの福音書 23:1-39
「まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」(26)
I.彼らの行ないをまねてはいけません(1-12)
イエス様は悔い改めない律法学者とパリサイ人たちの影響から弟子たちを守るため、彼らをまねてはいけないと言われました。彼らは教えることは好みますが、自分自身を教えませんでした。全てのことを人々に見せるために行い、上席に座り、あいさつされることを好み、人々から先生と呼ばれることを好みました。弟子たちはこのような彼らをまねてはなりません。自分を低くし、他人に仕える者こそが、本当の導き手であり、師であるからです(11,12)。
II.忌まわしいものだ(13-39)
イエス様は偽善者たちの罪を明らかにされました。彼らは自分たちが天の御国に入らないばかりか、他の人をも入らせないようにしていたのです。彼らは律法を形式的に守ることには熱心でしたが、律法の中ではるかに重要な義と仁と信を捨てました。彼らは杯と皿の外側はきよめましたが、その内面は強奪と放縦でいっぱいでした(25)。彼らは白く塗った墓のようでした。イエス様は彼らに、「まず内側をきよめなさい。」と言われました。また彼らは預言者たちを殺した先祖たちを批判する一方で、彼ら自身、メシヤであるイエス様を殺そうとしました。イエス様はゲヘナの刑罰を受けることになってしまう彼らをも生かそうとされました。めんどりがひなを翼の下に集めるように、彼らを救いのふところに集めようとしました。しかし彼らはイエス様の愛と救いを拒絶しました。
祈り:主よ!私が外側ばかりを装っていたことを悔い改めます。あなたの御前で真実に生きることができますようにお助けください。
一言:主の御前で真実に生きよう
「まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」(26)
I.彼らの行ないをまねてはいけません(1-12)
イエス様は悔い改めない律法学者とパリサイ人たちの影響から弟子たちを守るため、彼らをまねてはいけないと言われました。彼らは教えることは好みますが、自分自身を教えませんでした。全てのことを人々に見せるために行い、上席に座り、あいさつされることを好み、人々から先生と呼ばれることを好みました。弟子たちはこのような彼らをまねてはなりません。自分を低くし、他人に仕える者こそが、本当の導き手であり、師であるからです(11,12)。
II.忌まわしいものだ(13-39)
イエス様は偽善者たちの罪を明らかにされました。彼らは自分たちが天の御国に入らないばかりか、他の人をも入らせないようにしていたのです。彼らは律法を形式的に守ることには熱心でしたが、律法の中ではるかに重要な義と仁と信を捨てました。彼らは杯と皿の外側はきよめましたが、その内面は強奪と放縦でいっぱいでした(25)。彼らは白く塗った墓のようでした。イエス様は彼らに、「まず内側をきよめなさい。」と言われました。また彼らは預言者たちを殺した先祖たちを批判する一方で、彼ら自身、メシヤであるイエス様を殺そうとしました。イエス様はゲヘナの刑罰を受けることになってしまう彼らをも生かそうとされました。めんどりがひなを翼の下に集めるように、彼らを救いのふところに集めようとしました。しかし彼らはイエス様の愛と救いを拒絶しました。
祈り:主よ!私が外側ばかりを装っていたことを悔い改めます。あなたの御前で真実に生きることができますようにお助けください。
一言:主の御前で真実に生きよう






