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インマヌエル
マタイの福音書 1:18-25

 「その名はインマヌエルと呼ばれる。」(23)

I.罪から救ってくださるイエス様(18-21)
 ヨセフと婚約した処女マリヤが身重になりました。ヨセフは心苦しく思いましたが、正しい人だったのでこれを公にせずに、静かにマリヤとの関係を断ち切ろうとしました。その時主の使いが夢に現われて、イエス様がどんな方であるのかを、知らせてくれました。第一に、イエス様は聖霊によって胎に宿った方です。第二に、イエス様はご自分の民をその罪から救ってくださる方です。罪の結果は死であり、後にはさばきがあります。人が不幸なのは罪のためです。罪が人のたましいと人生を破滅に至らせます。イエス様はこのような人々を罪から救うために来られた方です。

II.インマヌエルのイエス様(22-25)
 預言者イザヤはこのように言いました。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(イザ7:14)。「インマヌエル」は訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味です。
 聖なる神様が罪によって醜くなった私たちと共におられるために人の姿でお生まれになりました。神様が私たちと共におられるので、怖いものはなく、心配と不安もありません。いくら時代がつらく、絶望的であっても神様が共におられるので、私たちには望みとビジョンが満ち溢れます。たとえ人々は私を負担に思い遠ざけても、イエス様はいつも私と共におられます。

祈り:主よ!欠けのある罪人とさえも、ともにいてくださるインマヌエルの主イエス・キリストを賛美します。この御方に、私は心を明け渡します。

一言:主は私たちと共におられる

カテゴリ:新約聖書::マタイの福音書

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あらゆる国の人々を弟子としなさい
マタイの福音書 28:1-20

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(19a)

I.御言葉の通りによみがえられたイエス様(1-15)
 安息日が終わって週の初めの日に、イエス様の墓を見に行ったマグダラのマリヤとほかのマリヤに主の使いが喜びの知らせを伝えました。「ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。」イエス様は御言葉の通りに死に打ち勝ってよみがえられたのです。人類最大の敵である死を打ち破られたイエス様は、私たちを永遠のいのちへと導かれる救い主になられました。

II.世界宣教の使命をお与えになったイエス様(16-20)
 よみがえられたイエス様は天と地のいっさいの権威を持った万物の主であり王の王です(19)。この方が弟子たちに「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」と命じられました。これはイエス様が最後に遺された御言葉であり、弟子たちに託された宣教命令です。イエス様は、キリストにつながる全ての弟子たちに、全世界へ出て行き、人々にバプテスマを授けるという使命を託されました。人々に、十字架と復活による救いを告げ知らせ、彼らをイエス様のもとに回復するという使命を託されたのです。この働きは容易ではないように思われます。しかし共におられる主を信じる時、主が私たちの内に働き、この使命をともに担ってくださるのです(20)。

祈り:主よ!あなたのよみがえりを知らない人々のもとへと私をお遣わし下さい。それによって、彼らが、あなたの民として回復されますように。

一言:行って弟子としなさい。

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どうしてわたしをお見捨てになったのですか
マタイの福音書 27:1-66

「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(46)

I.死刑判決をお受けになったイエス様(1-26)
 宗教指導者たちはイエス様を殺そうと決定し、ピラトに引き渡しました。イエス様はピラトの前でも、ご自分がユダヤ人の王、キリストであることを明かされました。ピラトはイエス様の裁判を通じて、ユダヤ人たちが妬みの故、罪のないイエス様を殺そうとしていることに気が付きました。しかし彼はユダヤ人たちが暴動を起こせば責任を問われるという恐れのために、彼らの要求通りイエス様を十字架につけて殺すことを認めてしまったのです。彼は自分を守るために真理を捨て去りました。

II.十字架につけられたイエス様
 兵士たちはイエス様をむち打ってからかったあげく、ゴルゴタでイエス様を十字架につけました。十字架の下にいる人々はイエス様をあざけ笑い侮辱しました。イエス様は悲痛な叫びを上げました。「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」神様の愛される御子であったイエス様が、打たれて、神様に捨てられました。それは、本来、私たちが受けなければならない苦しみだったのです。イエス様が死なれた時、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けました。イエス様が十字架で死なれた、そのことによって、私たちが神様に進み出る道が開かれました。

祈り:主よ!私の罪を赦すために十字架で捨てられたあなたの犠牲を知って、そこにある深い愛を受け入れます。

一言:十字架の恵み

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あなたのみこころのように
マタイの福音書 26:31-75

「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(39b)

I.ゲツセマネの祈り(31-46)
 イエス様はペテロに「あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と言われました。イエス様は、彼の心を、これから起こる出来事に備えさせようとされました。その後、イエス様は三人の弟子と共にゲツセマネに行かれ、そこで、ひどく悲しみもだえました。イエス様は弟子たちに「目をさましていなさい。」と祈りを頼まれ、彼らから離れて行き、神様に祈られました。イエス様は、はじめ、できるものなら十字架の死、その苦い杯をご自分から過ぎ去らせてくださいと祈られました。イエス様は十字架の死を避けたいという人として当然の思いを神様にぶつけられました。しかしイエス様はすぐに「わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と祈られたのです。イエス様はこの祈りを三度、繰り返されました。イエス様は血と汗を流して祈られました。そして、神様の御旨に聞き従う道、十字架に向かって進んで行かれました。私たち人間の罪を担うために。

II.議会での裁判(47-75)
 その日の夜、イエス様は逮捕され議会で裁判にかけられました。イエス様は、そのような場所でも、ご自分が神様の御子キリストであることを証しされ、ご自分がよみがえって天に昇られた後、栄光の主として再臨されることを宣布されました(64)。イエス様はこの世の権威を恐れませんでした。イエス様は祈りによって弱さと恐れに打ち勝ち、神様の御旨に聞き従われました。

祈り:主よ!あなたがゲツセマネで祈られた、その祈りのように、私も、たとえ苦難や死の道であったとしても、御旨に聞き従う者として下さい。

一言:聞き従うための祈りの闘い

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契約の血
マタイの福音書 26:1-30

「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(28)

I.イエス様に香油を注いだ女(1-13)
 イエス様がベタニヤのシモンの家で食事をしておられた時、一人の女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持って来て、イエス様の頭に注ぎました。弟子たちは、彼女が高価な香油をむだにした、といって憤慨しました。しかしイエス様は彼女がイエス様にりっぱなことをしたと言われ、福音が宣べ伝えられる所なら、彼女のした事も記念となると言われました。イエス様は私たちがささげる真心を尊く思って下さり、それを福音の御業に用いて下さるのです。

II.過越の食事(14-30)
 イエス様は過越の食事をする時、弟子たちにパンを裂いて与え「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」と言われました。また、ぶどう酒の杯を与えて「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」と言われました。イエス様が、十字架で体が引き裂かれ血を流されるという苦しみを味わったのは、全ての人類の罪の赦しのためだったのです。罪は私たちの力ではどうすることもできず、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはありません。(ヘブ9:22)。そのような私たちの身代わりとして、イエス様は十字架につけられて血を流されたのです。それで、私たちは、この事実をただ受け入れるならば、罪の赦しを受け、永遠のいのちを生きるようになりました。新しい命へとつくり変えられるようになったのです。

祈り:主よ!私を罪から贖い出す為に、十字架で血を流してくださったあなたの愛は、何にも代えることができません。あなたの御血による贖い信じ、罪赦されて、あなたの命を歩めますように導いて下さい。

一言:契約の血

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