2007年12月22日 (土)
ユダ 1:17-25
「自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ」(20)
早くから使徒たちは、終わりの時に不敬虔な欲望のままにふるまう人々が現われることを、警告しました。彼らは御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。
このような者たちの誘惑の中で、私たちはどのように生きなければならないのでしょうか。まず自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げなければなりません。私たちは建築家のように人生をよく設計しなければなりません。まず固い人生の基礎がなければなりません。最も聖い信仰が私たちの人生の基礎です。それは世の中に汚染されない純粋な福音信仰です。またこの基礎の上に自分自身を築き上げなければなりません。これは聖徒が救いの後、聖なるものに向かって聖化されなければならない、という意味です。聖徒の救いは終わりではありません。救いの後、聖なるものを目標に続けて成長しなければなりません。その時、誘惑にゆるがされない強固な神様の家を築くことができます。また聖霊の中で祈らなければなりません。神様の愛の中で自分を守り、イエス様の憐れみを待たなければなりません。最後ににせ教師たちの教えにつまづく者たちを憐れみ、救わなければなりません。
私たちが自分たちの力で罪深い世の中で、聖化されることは不可能なことです。しかし神様には力があります。神様は私たちを保護され、つまずかないようにしてくださいます。私たちを、傷のない者として、大きな喜びを持って栄光の御前に立たせてくださいます。私たちは、この世で聖なる成長をした後、ついに栄光あるものになるのです。聖徒の勝利と救いと栄光は、ただ神様の御手の中にあります。私たちは、私の救い主である神様の中で最後の勝利を得るのです。
祈り:主よ!私の人生が悪に陥らず、最も聖い信仰の上に築き上げられように、日々導いてください。
一言:強固な家を建てよう
「自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ」(20)
早くから使徒たちは、終わりの時に不敬虔な欲望のままにふるまう人々が現われることを、警告しました。彼らは御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。
このような者たちの誘惑の中で、私たちはどのように生きなければならないのでしょうか。まず自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げなければなりません。私たちは建築家のように人生をよく設計しなければなりません。まず固い人生の基礎がなければなりません。最も聖い信仰が私たちの人生の基礎です。それは世の中に汚染されない純粋な福音信仰です。またこの基礎の上に自分自身を築き上げなければなりません。これは聖徒が救いの後、聖なるものに向かって聖化されなければならない、という意味です。聖徒の救いは終わりではありません。救いの後、聖なるものを目標に続けて成長しなければなりません。その時、誘惑にゆるがされない強固な神様の家を築くことができます。また聖霊の中で祈らなければなりません。神様の愛の中で自分を守り、イエス様の憐れみを待たなければなりません。最後ににせ教師たちの教えにつまづく者たちを憐れみ、救わなければなりません。
私たちが自分たちの力で罪深い世の中で、聖化されることは不可能なことです。しかし神様には力があります。神様は私たちを保護され、つまずかないようにしてくださいます。私たちを、傷のない者として、大きな喜びを持って栄光の御前に立たせてくださいます。私たちは、この世で聖なる成長をした後、ついに栄光あるものになるのです。聖徒の勝利と救いと栄光は、ただ神様の御手の中にあります。私たちは、私の救い主である神様の中で最後の勝利を得るのです。
祈り:主よ!私の人生が悪に陥らず、最も聖い信仰の上に築き上げられように、日々導いてください。
一言:強固な家を建てよう
2007年12月21日 (金)
ユダ 1:8-16
「夢見る者であり、肉体を汚し、権威ある者を軽んじ」(8)
ユダはにせ教師たちを指して「夢見る者」と言っています。なぜでしょうか。聖徒たちは救いを受けた後、罪の誘惑と戦い、霊的な成長をしていかなければなりません。救いの恵みを悪用して放縦と肉体の自由を求めるなら、必ず滅びてしまいます。これは明らかなことであり、真理です。ところがこの人々(にせ教師たち)は、救いを受けたのなら気ままに生きてもいい、と言って、現実から離れ、夢の中で生きる者たちです。彼らは肉体を汚し、権威ある者を軽んじ、神様の栄光をそしっています。彼らは理性のない獣のように本能のまま生き、滅びる者たちです。
彼らは兄弟を殺害したカイン、お金を愛した預言者バラム、霊的な秩序に敵対したコラのようです。教会の中に入って行き、愛餐に預かりましたが、やぎのような存在です。自由主義思想は華麗に見え、何か与えるかのように見えます。しかし彼らの正体は水のない雲であり、実を結ばない秋の木です。彼らは私たちに何もくれません。彼らにあるものは恥のあわとまっ黒なやみだけです。私たちは、霊的な闘争なしに自由に生きる偽りの信仰の正体を、正しく知らなければなりません。イエス様を信じた後、信仰の道理のために熱心に闘争する時、霊的に成長します。このような人は人に与える霊的な実が多くあります。しかし霊的な戦いを嫌い、罪の願うまま生きるなら、結局は羞恥と虚無しかありません。私たちは夢の中で生きてはいけません。現実を直視し、霊的に成長しようと熱心でなければなりません。
祈り:主よ!自由と放縦に何の実もありません。私が夢の中で生きずに、目を覚まして実を結ぶ者になるように助けてください。
一言:夢から覚醒するように
「夢見る者であり、肉体を汚し、権威ある者を軽んじ」(8)
ユダはにせ教師たちを指して「夢見る者」と言っています。なぜでしょうか。聖徒たちは救いを受けた後、罪の誘惑と戦い、霊的な成長をしていかなければなりません。救いの恵みを悪用して放縦と肉体の自由を求めるなら、必ず滅びてしまいます。これは明らかなことであり、真理です。ところがこの人々(にせ教師たち)は、救いを受けたのなら気ままに生きてもいい、と言って、現実から離れ、夢の中で生きる者たちです。彼らは肉体を汚し、権威ある者を軽んじ、神様の栄光をそしっています。彼らは理性のない獣のように本能のまま生き、滅びる者たちです。
彼らは兄弟を殺害したカイン、お金を愛した預言者バラム、霊的な秩序に敵対したコラのようです。教会の中に入って行き、愛餐に預かりましたが、やぎのような存在です。自由主義思想は華麗に見え、何か与えるかのように見えます。しかし彼らの正体は水のない雲であり、実を結ばない秋の木です。彼らは私たちに何もくれません。彼らにあるものは恥のあわとまっ黒なやみだけです。私たちは、霊的な闘争なしに自由に生きる偽りの信仰の正体を、正しく知らなければなりません。イエス様を信じた後、信仰の道理のために熱心に闘争する時、霊的に成長します。このような人は人に与える霊的な実が多くあります。しかし霊的な戦いを嫌い、罪の願うまま生きるなら、結局は羞恥と虚無しかありません。私たちは夢の中で生きてはいけません。現実を直視し、霊的に成長しようと熱心でなければなりません。
祈り:主よ!自由と放縦に何の実もありません。私が夢の中で生きずに、目を覚まして実を結ぶ者になるように助けてください。
一言:夢から覚醒するように
2007年12月20日 (木)
ユダ 1:1-7
「聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。」(1)
ユダの手紙は、イエス様の弟ユダが書いた手紙です。彼は、聖徒たちが得た救いについて、教えることを願いました。その内容は、彼らに、ひとたび伝えられた信仰のために戦うように、教えるものでした。「ひとたび伝えられた信仰」とは、イエス様を信じることで全ての罪から救いを得た福音信仰です。ところがなぜそのために戦わなければならないのでしょうか。当時教会の中にひそかに忍び込んだにせ教師たちのためです。彼らは、一度救いを受ければ、全ての罪が赦されたので、その後には自由気ままに生きてもいい、と教えました。彼らは肉体の自由と快楽を追求しました。神様の恵みを悪用し、放縦に変えました。彼らは、唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。聖徒たちは信仰によって得た救いを安っぽく考えてはいけません。信仰を汚す偽りの教えと戦い、福音信仰を守らなければなりません。
ユダは歴史の教訓を通して、神様の恵みを軽んじた人々の最後を思い起こさせました。イスラエルがエジプトで救いを受けても、後に信じない人々は滅びます。たとえ天の御使いであっても、神様の恵みを忘れ傲慢になった時、神様のさばきを受けました。ソドムとゴモラの最後は、人間が堕落した性的快楽を追及した時、結局どうなるのかを教えてくれます。このような歴史は今を照らし出す鏡です。救われた聖徒が主の恵みを無視し、罪の願う通りに生きるなら、必ず滅びます。私たちは歴史の教訓を鏡とし、私の中にある罪の願いと戦わなければなりません。
祈り:主よ!私が、神様の恵みを放縦に変える悪い教えと戦い、信仰を守るように助けてください。
一言:福音信仰のために戦おう
「聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。」(1)
ユダの手紙は、イエス様の弟ユダが書いた手紙です。彼は、聖徒たちが得た救いについて、教えることを願いました。その内容は、彼らに、ひとたび伝えられた信仰のために戦うように、教えるものでした。「ひとたび伝えられた信仰」とは、イエス様を信じることで全ての罪から救いを得た福音信仰です。ところがなぜそのために戦わなければならないのでしょうか。当時教会の中にひそかに忍び込んだにせ教師たちのためです。彼らは、一度救いを受ければ、全ての罪が赦されたので、その後には自由気ままに生きてもいい、と教えました。彼らは肉体の自由と快楽を追求しました。神様の恵みを悪用し、放縦に変えました。彼らは、唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。聖徒たちは信仰によって得た救いを安っぽく考えてはいけません。信仰を汚す偽りの教えと戦い、福音信仰を守らなければなりません。
ユダは歴史の教訓を通して、神様の恵みを軽んじた人々の最後を思い起こさせました。イスラエルがエジプトで救いを受けても、後に信じない人々は滅びます。たとえ天の御使いであっても、神様の恵みを忘れ傲慢になった時、神様のさばきを受けました。ソドムとゴモラの最後は、人間が堕落した性的快楽を追及した時、結局どうなるのかを教えてくれます。このような歴史は今を照らし出す鏡です。救われた聖徒が主の恵みを無視し、罪の願う通りに生きるなら、必ず滅びます。私たちは歴史の教訓を鏡とし、私の中にある罪の願いと戦わなければなりません。
祈り:主よ!私が、神様の恵みを放縦に変える悪い教えと戦い、信仰を守るように助けてください。
一言:福音信仰のために戦おう






