2007年11月27日 (火)
Iヨハネ 5:1-21
「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(5)
この世は神様を愛しません。神様の子どもと、神様の御言葉を拒絶するのです。神様の子どもとして、私たちは、神様を愛し、戒めを守るために、この世との熾烈な戦いの中にいます。私たちは弱く、罪の誘惑が強く見えます。時には罪につまずいて、失敗し、苦しみます。しかしこの戦いは、どのような結果を迎えるのでしょうか。神様によって生まれた者はみな世に勝つのです。そして、終には神様の子どもが勝利します。それは、イエス様をキリストとして信じる信仰が世の力より強いからです。イエス様は十字架で私たちの罪のために水と血を流されました。イエス様が流された血と水は私たちのすべての罪をおおい、洗い清めてくれます。そして私たちには真理の御霊がいます。御霊は時あるごとにイエス様を証ししてくださいます。「イエス様が神様の御子である」ことを明らかにしてくださいます。神様の御子は、世よりも大きく強いのです。問題はイエス様に対する私たちの信仰です。私たちが負けるのはキリストに根ざしていないからです。イエス様をキリストとして堅く信じるなら、必ず世に勝つようになります。どんな絶望的な罪をも征服します。
世に打ち勝つ最も強力な武器は信仰による祈りです。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(14)。主は御心にかなう祈りを聞いてくださるだけではなく、それら全てを必ず与えられます。私たちは、罪を犯した兄弟の救いのために祈るべきです。私を悪者から救ってくださり、偶像から守ってくださるように、祈る必要があるのです。
祈り:主よ!イエス・キリストを信じる私の信仰を強めてください。大胆な信仰の祈りで世に打ち勝つようことができるように助けてください。
一言:信仰は勝利
「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(5)
この世は神様を愛しません。神様の子どもと、神様の御言葉を拒絶するのです。神様の子どもとして、私たちは、神様を愛し、戒めを守るために、この世との熾烈な戦いの中にいます。私たちは弱く、罪の誘惑が強く見えます。時には罪につまずいて、失敗し、苦しみます。しかしこの戦いは、どのような結果を迎えるのでしょうか。神様によって生まれた者はみな世に勝つのです。そして、終には神様の子どもが勝利します。それは、イエス様をキリストとして信じる信仰が世の力より強いからです。イエス様は十字架で私たちの罪のために水と血を流されました。イエス様が流された血と水は私たちのすべての罪をおおい、洗い清めてくれます。そして私たちには真理の御霊がいます。御霊は時あるごとにイエス様を証ししてくださいます。「イエス様が神様の御子である」ことを明らかにしてくださいます。神様の御子は、世よりも大きく強いのです。問題はイエス様に対する私たちの信仰です。私たちが負けるのはキリストに根ざしていないからです。イエス様をキリストとして堅く信じるなら、必ず世に勝つようになります。どんな絶望的な罪をも征服します。
世に打ち勝つ最も強力な武器は信仰による祈りです。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(14)。主は御心にかなう祈りを聞いてくださるだけではなく、それら全てを必ず与えられます。私たちは、罪を犯した兄弟の救いのために祈るべきです。私を悪者から救ってくださり、偶像から守ってくださるように、祈る必要があるのです。
祈り:主よ!イエス・キリストを信じる私の信仰を強めてください。大胆な信仰の祈りで世に打ち勝つようことができるように助けてください。
一言:信仰は勝利
2007年11月26日 (月)
Iヨハネ 4:7-21
「ここに愛があるのです。」(10)
なぜ聖徒たちは互いに愛し合うべきなのでしょうか。愛が神様に属するものだからです。愛する者は神様が産んだ者であり、神様を知っている者です。愛さない者は神様と何の関係もありません。神様は愛です。神様の愛がどのように現われたのでしょうか。神様は最も貴いご自分の御子を罪のある人々にお遣わしになりました。その方を犠牲にすることで、私たちを生かそうとされました。この世で私を本当に愛してくれる愛がどこにあるでしょうか。愛はここにあります。私は神様を愛しませんでした。聞き従わずに罪を犯し、苦しみました。ところが神様は私の代わりに、ひとり子に怒りを発せられました。その方を和解の供え物とし、私を赦してくださいました。神様はこのように私を愛されました。その愛が、愛に飢え渇き死んでいた私を生かしました。愛は人に属するものではありません。愛はただ神様のものです。神様の愛を受けた者はいのちが生かされ、互いに愛するようになります。
神様は私たちに御霊を与えてくださいました。御霊は、私たちに神様の愛を、確信させてくださいます。しかし時には試練を受けた時、神様の愛に対する疑いが生じます。どのようにしてこれを克服することができるのでしょうか。イエス様が神様の御子であることを告白し、イエス様をお遣わしになった神様の愛を信じなければなりません。その時、神様の愛が私たちにおいて完全なものとなります。神様の愛を確信する時、さばきも恐れません。愛の中に恐れがなく、完全な愛が恐れを締め出すからです。
祈り:主よ!私に向けられた神様の愛を確信することで、いつも大胆に生きるように助けてください。
一言:神様は愛である
「ここに愛があるのです。」(10)
なぜ聖徒たちは互いに愛し合うべきなのでしょうか。愛が神様に属するものだからです。愛する者は神様が産んだ者であり、神様を知っている者です。愛さない者は神様と何の関係もありません。神様は愛です。神様の愛がどのように現われたのでしょうか。神様は最も貴いご自分の御子を罪のある人々にお遣わしになりました。その方を犠牲にすることで、私たちを生かそうとされました。この世で私を本当に愛してくれる愛がどこにあるでしょうか。愛はここにあります。私は神様を愛しませんでした。聞き従わずに罪を犯し、苦しみました。ところが神様は私の代わりに、ひとり子に怒りを発せられました。その方を和解の供え物とし、私を赦してくださいました。神様はこのように私を愛されました。その愛が、愛に飢え渇き死んでいた私を生かしました。愛は人に属するものではありません。愛はただ神様のものです。神様の愛を受けた者はいのちが生かされ、互いに愛するようになります。
神様は私たちに御霊を与えてくださいました。御霊は、私たちに神様の愛を、確信させてくださいます。しかし時には試練を受けた時、神様の愛に対する疑いが生じます。どのようにしてこれを克服することができるのでしょうか。イエス様が神様の御子であることを告白し、イエス様をお遣わしになった神様の愛を信じなければなりません。その時、神様の愛が私たちにおいて完全なものとなります。神様の愛を確信する時、さばきも恐れません。愛の中に恐れがなく、完全な愛が恐れを締め出すからです。
祈り:主よ!私に向けられた神様の愛を確信することで、いつも大胆に生きるように助けてください。
一言:神様は愛である
2007年11月25日 (日)
Iヨハネ 4:1-6
「私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。」(6)
霊だからといって、みな信じてはいけません。霊的なものが、みな神様に属するのではないからです。多くのにせ預言者たちが世に出て来ました。当時の霊知主義者たちは、「神様から特別に受けた霊的秘密を持っている」と主張しました。今日も神秘的な秘密を持っていると主張する人がいます。ですが、私たちは、どのようにして神様の霊と、そうではない霊を見分けることができるのでしょうか。イエス・キリストが肉のからだで来られたことを認める霊が神様に属する霊です。当時、霊知主義者たちは「神様が悪い肉体で来られるはずはない」と言って、イエス様をキリストとして認めませんでした。しかしキリストが人間の体で来られたことは福音の神秘です。神様が罪の中で生きる人々を救うために肉体を着て、この世に来られたのです。イエス様をキリストとして認めることは、神様の愛を受け入れることです。イエス様を救い主として認めない者は反キリストの霊です。
イエス様をキリストとして信じる私たちは神様に属し、反キリストの霊に勝ちました。私たちの中におられる神様が世にあるサタンより強いのです。彼らは世に属し、世に属した言葉を話します。世の中がその言葉を聞きます。私たちは神様に属した者なので、神様を知る人々が私たちの言葉を聞きます。私たちがイエス様をキリストと証しする時、受け入れない人々が多くいます。しかし失望する必要がありません。彼らは神様に属した者ではないからです。イエス・キリストを信じる信仰を最後まで守り抜くならば、偽りの霊に打ち勝ち、勝利に至るのです。
祈り:主よ!私が偽りの霊が満ちたこの世で、主御自身をキリストとして信じる信仰を守り抜き、勝利に至る者でありますように。私を導いてください。
一言:イエス様を認めるのか
「私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。」(6)
霊だからといって、みな信じてはいけません。霊的なものが、みな神様に属するのではないからです。多くのにせ預言者たちが世に出て来ました。当時の霊知主義者たちは、「神様から特別に受けた霊的秘密を持っている」と主張しました。今日も神秘的な秘密を持っていると主張する人がいます。ですが、私たちは、どのようにして神様の霊と、そうではない霊を見分けることができるのでしょうか。イエス・キリストが肉のからだで来られたことを認める霊が神様に属する霊です。当時、霊知主義者たちは「神様が悪い肉体で来られるはずはない」と言って、イエス様をキリストとして認めませんでした。しかしキリストが人間の体で来られたことは福音の神秘です。神様が罪の中で生きる人々を救うために肉体を着て、この世に来られたのです。イエス様をキリストとして認めることは、神様の愛を受け入れることです。イエス様を救い主として認めない者は反キリストの霊です。
イエス様をキリストとして信じる私たちは神様に属し、反キリストの霊に勝ちました。私たちの中におられる神様が世にあるサタンより強いのです。彼らは世に属し、世に属した言葉を話します。世の中がその言葉を聞きます。私たちは神様に属した者なので、神様を知る人々が私たちの言葉を聞きます。私たちがイエス様をキリストと証しする時、受け入れない人々が多くいます。しかし失望する必要がありません。彼らは神様に属した者ではないからです。イエス・キリストを信じる信仰を最後まで守り抜くならば、偽りの霊に打ち勝ち、勝利に至るのです。
祈り:主よ!私が偽りの霊が満ちたこの世で、主御自身をキリストとして信じる信仰を守り抜き、勝利に至る者でありますように。私を導いてください。
一言:イエス様を認めるのか
2007年11月24日 (土)
Iヨハネ 3:11-24
「行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」(18)
二つの道があります。兄弟を憎む道と、兄弟を愛する道です。カインはアベルの兄でした。彼は兄弟を愛するべきでした。それなのに、なぜ兄弟を殺したのでしょうか。自分は悪く、兄弟が正しかったからです。主につく者は世の憎しみを受けます。正しい道を歩もうとするために世から疎まれるのです。その道は兄弟を愛する道です。兄弟を愛せば、死からいのちへと移されます。兄弟を愛する時、そこには永遠のいのちがあります。その反面、兄弟を愛さなければ、死にとどまるようになります。兄弟を愛さないことは小さな問題ではありません。利己心と兄弟に対する無関心は、兄弟を憎む罪に通じます。私たちがいのちを得るためには、兄弟を心から愛しているべきです。兄弟を愛さなければ、カインのようになるからです。
当時、霊的なものだけを重んじて、金銭を軽視する人々がいました。彼らは自分たちが持つ霊的な知識を誇りました。しかし真理は知識にはなく、愛を実践するところにあります。愛は言葉ではなく、行動で行なうものです。イエス様は私たちのためにいのちをお与えになりました。そして、それ故に愛を知るようになった私たちも、兄弟のためにいのちを捨てるのです。兄弟愛は実質的で、具体的なものです。金銭を持ってしても、貧しい兄弟を助けましょう。信仰の同労者たちのために金銭を犠牲にし、その代わりに貧困を経験する生活には損害と痛みがあります。しかし行ないと真実をもって兄弟を愛することが真理の生活です。このように生きるならば幸いです。主の御前で自らを詳らかにすることができるのです。
祈り:主よ!私が霊的な知識を誇らずに、具体的な行動によって兄弟を愛する者でありますように。私を助け導いてください。
一言:財布のひもをといて、兄弟を愛そう
「行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」(18)
二つの道があります。兄弟を憎む道と、兄弟を愛する道です。カインはアベルの兄でした。彼は兄弟を愛するべきでした。それなのに、なぜ兄弟を殺したのでしょうか。自分は悪く、兄弟が正しかったからです。主につく者は世の憎しみを受けます。正しい道を歩もうとするために世から疎まれるのです。その道は兄弟を愛する道です。兄弟を愛せば、死からいのちへと移されます。兄弟を愛する時、そこには永遠のいのちがあります。その反面、兄弟を愛さなければ、死にとどまるようになります。兄弟を愛さないことは小さな問題ではありません。利己心と兄弟に対する無関心は、兄弟を憎む罪に通じます。私たちがいのちを得るためには、兄弟を心から愛しているべきです。兄弟を愛さなければ、カインのようになるからです。
当時、霊的なものだけを重んじて、金銭を軽視する人々がいました。彼らは自分たちが持つ霊的な知識を誇りました。しかし真理は知識にはなく、愛を実践するところにあります。愛は言葉ではなく、行動で行なうものです。イエス様は私たちのためにいのちをお与えになりました。そして、それ故に愛を知るようになった私たちも、兄弟のためにいのちを捨てるのです。兄弟愛は実質的で、具体的なものです。金銭を持ってしても、貧しい兄弟を助けましょう。信仰の同労者たちのために金銭を犠牲にし、その代わりに貧困を経験する生活には損害と痛みがあります。しかし行ないと真実をもって兄弟を愛することが真理の生活です。このように生きるならば幸いです。主の御前で自らを詳らかにすることができるのです。
祈り:主よ!私が霊的な知識を誇らずに、具体的な行動によって兄弟を愛する者でありますように。私を助け導いてください。
一言:財布のひもをといて、兄弟を愛そう
2007年11月23日 (金)
Iヨハネ 3:1-10
「私たちが神の子どもと呼ばれるために、」(1)
神様はどんな愛を私たちにくださったのでしょうか。神様の愛は、私たちが神の子どもと呼ばれた愛です。私たちは過去罪の奴隷であり、怒りの子でした。ところが神様はご自分の御子イエス様の血で、私たちを贖い、ご自分の子どもとしてくださいました。これがどれほどの恵みであるのかを世の人々は知りません。世の人々は神様の子どもより財閥の御曹司のほうが良いと考えます。私たちも「神様の子どもとなってから苦労している」と思う時があります。しかし主が現れる時、子どもの本当の姿が現れます。人々が嘆き悲しむ時、私たちは栄光の主を見て、主のように栄光あるものになります。その日、私たちを子どもとしてくださった神様の愛がどれだけ驚くべきことなのか、知るのです。
私たちには主の栄光の御姿を着る望みがあります。この望みを持つ者は、キリストが清くあられるように、自分を清くします。イエス様は私たちの罪を取り除くために世に来られました。罪のないイエス様が、私の罪を負って十字架で死なれました。このイエス様の中に留まる者は罪から自由にされています。「完全になった」ということではなく、「罪を犯し続けて生きることができない存在になった」ということです。神様の子どもは、神様の種がその人のうちにとどまり、罪のうちに歩むことができません。私たちは過去罪の快楽を好みました。罪の誘惑に勝つことができませんでした。しかし今は違います。神様の御言葉が与える喜びは大きく、罪の誘惑を退けます。イエス様を信じたことの故に、罪に打ち勝ち、きよい生活ができるのです。
祈り:主よ!私を子どもとしてくださった、あなたの愛に感激しています。あなたの子どもらしく生きることができますように助け導いてください。
一言:私は神様の子ども
「私たちが神の子どもと呼ばれるために、」(1)
神様はどんな愛を私たちにくださったのでしょうか。神様の愛は、私たちが神の子どもと呼ばれた愛です。私たちは過去罪の奴隷であり、怒りの子でした。ところが神様はご自分の御子イエス様の血で、私たちを贖い、ご自分の子どもとしてくださいました。これがどれほどの恵みであるのかを世の人々は知りません。世の人々は神様の子どもより財閥の御曹司のほうが良いと考えます。私たちも「神様の子どもとなってから苦労している」と思う時があります。しかし主が現れる時、子どもの本当の姿が現れます。人々が嘆き悲しむ時、私たちは栄光の主を見て、主のように栄光あるものになります。その日、私たちを子どもとしてくださった神様の愛がどれだけ驚くべきことなのか、知るのです。
私たちには主の栄光の御姿を着る望みがあります。この望みを持つ者は、キリストが清くあられるように、自分を清くします。イエス様は私たちの罪を取り除くために世に来られました。罪のないイエス様が、私の罪を負って十字架で死なれました。このイエス様の中に留まる者は罪から自由にされています。「完全になった」ということではなく、「罪を犯し続けて生きることができない存在になった」ということです。神様の子どもは、神様の種がその人のうちにとどまり、罪のうちに歩むことができません。私たちは過去罪の快楽を好みました。罪の誘惑に勝つことができませんでした。しかし今は違います。神様の御言葉が与える喜びは大きく、罪の誘惑を退けます。イエス様を信じたことの故に、罪に打ち勝ち、きよい生活ができるのです。
祈り:主よ!私を子どもとしてくださった、あなたの愛に感激しています。あなたの子どもらしく生きることができますように助け導いてください。
一言:私は神様の子ども






