2007年12月09日 (日)
黙示録 22:1-21
「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」(7)
新しい天と新しい地には、水晶のように光るいのちの水の川が流れています。その川は神様と小羊の御座から出ています。川の両岸にはいのちの木があり、十二種の実がなり、毎月、実を結びます。またその木の葉は諸国の民をいやします。これはエデンの園の姿を連想させます。しかしエデンの園と違って、私たちが入る天国はもはやのろいがありません。神様と小羊の御坐がその中にあります。私たちはその主の御顔を見るようになります。主なる神様が照らされるので、もはや夜がありません。私たちはここで永遠に王になります。どれだけ驚くべき祝福でしょうか。
主イエス様はこのような天国を私たちにくださるために来られます。「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」(7)。しかし御言葉を軽んじ、つけ加えたり、取り除いたりする者は災いを受けます。この望みを持った私たちは、今この驚くべき望みを宣べ伝えなければなりません。御霊と花嫁は世の全ての人々を招きます。「『来てください。』これを聞く者は、『来てください。』と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(17)。それで私たちは世の終わりに、値なしでいのちの水をくださるイエス様を、熱心に伝えなければなりません。世の中は次第に福音に対して耳をふさぎます。この世で私たちが信仰を守り、福音を伝えることは容易なことではありません。苦難が伴います。しかし主が来られるその日、全ての苦しみがなくなり、栄光で満たされます。私たちはその日まで死に至るまで忠実であり、いのちの冠を受ける者にならなければなりません。
祈り:主よ!私が栄光のうちで再臨される主を慕い求め、その日まで死に至るまで忠実な者になるように助けてください。
一言:主イエスよ、来てください。
「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」(7)
新しい天と新しい地には、水晶のように光るいのちの水の川が流れています。その川は神様と小羊の御座から出ています。川の両岸にはいのちの木があり、十二種の実がなり、毎月、実を結びます。またその木の葉は諸国の民をいやします。これはエデンの園の姿を連想させます。しかしエデンの園と違って、私たちが入る天国はもはやのろいがありません。神様と小羊の御坐がその中にあります。私たちはその主の御顔を見るようになります。主なる神様が照らされるので、もはや夜がありません。私たちはここで永遠に王になります。どれだけ驚くべき祝福でしょうか。
主イエス様はこのような天国を私たちにくださるために来られます。「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」(7)。しかし御言葉を軽んじ、つけ加えたり、取り除いたりする者は災いを受けます。この望みを持った私たちは、今この驚くべき望みを宣べ伝えなければなりません。御霊と花嫁は世の全ての人々を招きます。「『来てください。』これを聞く者は、『来てください。』と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(17)。それで私たちは世の終わりに、値なしでいのちの水をくださるイエス様を、熱心に伝えなければなりません。世の中は次第に福音に対して耳をふさぎます。この世で私たちが信仰を守り、福音を伝えることは容易なことではありません。苦難が伴います。しかし主が来られるその日、全ての苦しみがなくなり、栄光で満たされます。私たちはその日まで死に至るまで忠実であり、いのちの冠を受ける者にならなければなりません。
祈り:主よ!私が栄光のうちで再臨される主を慕い求め、その日まで死に至るまで忠実な者になるように助けてください。
一言:主イエスよ、来てください。
2007年12月08日 (土)
黙示録 21:1-27
「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」(1)
最後のさばきが終わり、新しい天と新しい地が臨みました。その日、聖なる町、新しいエルサレムが神様のみもとを出て、天から下って来ます。夫のために飾られた花嫁のように整えられていました。神様の幕屋が人々の幕屋とともにあります。神様は今ご自分の民とともにおられます。神様は、それまで受けた苦しみと目の涙を、すっかりぬぐい取ってくださいます。もはや死もありません。悲しみ、叫び、苦しみもありません。そして神様はすべてを新しくされます。最初であり、最後である神様が、渇く者にはいのちの水を飲ませてくださいます。誰がこの驚くべき恵みにあずかることができるのでしょうか。この地で生きている間、信仰を守り、患難に打ち勝った者たちです。しかしおくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には永遠のさばきがあります。すべて悪を行なう者には第二の死があるだけです。
神様がお与えになる新しいエルサレムは、神様の栄光が満ちています。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようです。ところがその都の中には神殿がありません。なぜなら全能なる神様と小羊とが都の神殿だからです。主なる神様がみずからあかりになります。小羊があかりになるので、太陽も月もいりません。諸国の民が都の光りによって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来ます。この驚くべき所に、小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができます。私たちには、将来この驚くべき栄光を、主と共に永遠に受ける望みがあります。
祈り:主よ!私に永遠に主と共に受ける新しい天と新しい地をくださったことを信じ、望みながら生きるように助けてください。
一言:新しい天と新しい地
「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」(1)
最後のさばきが終わり、新しい天と新しい地が臨みました。その日、聖なる町、新しいエルサレムが神様のみもとを出て、天から下って来ます。夫のために飾られた花嫁のように整えられていました。神様の幕屋が人々の幕屋とともにあります。神様は今ご自分の民とともにおられます。神様は、それまで受けた苦しみと目の涙を、すっかりぬぐい取ってくださいます。もはや死もありません。悲しみ、叫び、苦しみもありません。そして神様はすべてを新しくされます。最初であり、最後である神様が、渇く者にはいのちの水を飲ませてくださいます。誰がこの驚くべき恵みにあずかることができるのでしょうか。この地で生きている間、信仰を守り、患難に打ち勝った者たちです。しかしおくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には永遠のさばきがあります。すべて悪を行なう者には第二の死があるだけです。
神様がお与えになる新しいエルサレムは、神様の栄光が満ちています。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようです。ところがその都の中には神殿がありません。なぜなら全能なる神様と小羊とが都の神殿だからです。主なる神様がみずからあかりになります。小羊があかりになるので、太陽も月もいりません。諸国の民が都の光りによって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来ます。この驚くべき所に、小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができます。私たちには、将来この驚くべき栄光を、主と共に永遠に受ける望みがあります。
祈り:主よ!私に永遠に主と共に受ける新しい天と新しい地をくださったことを信じ、望みながら生きるように助けてください。
一言:新しい天と新しい地
2007年12月07日 (金)
黙示録 20:1-15
「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(15)
古い蛇サタンは千年の間縛られました。この千年はイエス様の降臨と再臨との間の期間を指します。イエス様は十字架で死なれ、よみがえられました。サタンは今無力な存在になりました。神様の御言葉を証しして殉教した人々がキリストと共に千年の間王となりました。獣やその像を拝まなかった人々はキリストと共に千年の間王となりました。これは単なる未来の出来事ではありません。この地でイエス様を信じる時、私たちは王である祭司になります。私たちはすでにこの地で王となりました。これがイエス様を信じる私たちが経験する最初の復活です。最初の復活にあずかる者を、第二の死が治めることができません。
牢から解き放されたサタンは聖徒たちを攻撃します。ところが天から火が下り、彼らを焼き尽くします。イエス様が血で買った子どもたちを、サタンはどうすることもできません。しかし獣に従って信仰もなく死んだ者たちには最後のさばきがあります。神様の御座の前にいのちの書が開かれています。この書にはイエス様を信じずに死んだ人々の行ないが記されています。この書物に記されている通りにさばきを受けます。これが第二の死です。第二の死は永遠のさばきです。しかしいのちの書にその名が記されている者は第二の死を味わいません。むしろ主と共に永遠のいのちを受けます。
祈り:主よ!私の名前をいのちの書に記してくださり感謝します。生涯この恵みに感謝して、生きるように助けてください。
一言:いのちの書
「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(15)
古い蛇サタンは千年の間縛られました。この千年はイエス様の降臨と再臨との間の期間を指します。イエス様は十字架で死なれ、よみがえられました。サタンは今無力な存在になりました。神様の御言葉を証しして殉教した人々がキリストと共に千年の間王となりました。獣やその像を拝まなかった人々はキリストと共に千年の間王となりました。これは単なる未来の出来事ではありません。この地でイエス様を信じる時、私たちは王である祭司になります。私たちはすでにこの地で王となりました。これがイエス様を信じる私たちが経験する最初の復活です。最初の復活にあずかる者を、第二の死が治めることができません。
牢から解き放されたサタンは聖徒たちを攻撃します。ところが天から火が下り、彼らを焼き尽くします。イエス様が血で買った子どもたちを、サタンはどうすることもできません。しかし獣に従って信仰もなく死んだ者たちには最後のさばきがあります。神様の御座の前にいのちの書が開かれています。この書にはイエス様を信じずに死んだ人々の行ないが記されています。この書物に記されている通りにさばきを受けます。これが第二の死です。第二の死は永遠のさばきです。しかしいのちの書にその名が記されている者は第二の死を味わいません。むしろ主と共に永遠のいのちを受けます。
祈り:主よ!私の名前をいのちの書に記してくださり感謝します。生涯この恵みに感謝して、生きるように助けてください。
一言:いのちの書
2007年12月06日 (木)
黙示録 19:1-10
「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。」(1)
バビロンのさばきの後、天に大群衆と、二十四の長老と四つの生き物が神様を賛美しました。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。神のさばきは真実で、正しいからである。」世の権力の象徴であるバビロンは驕り高ぶり、主の御心に背を向けました。神様のしもべたちの血を流しました。しかし、神様は真実であり正しい方です。彼らを必ず裁かれます。サタンは、それまでの間、このバビロンの権威を通して世を統治して神様に敵対して来ました。しかしバビロンは神様のさばきを受け、滅び去ります。今や、全能なる神様が全地を統べ治められるのです。そして新しい時代が始まります。
賛美の三番目の主題は小羊の婚宴です。今羊の婚姻の時が来ました。小羊はイエス・キリストです。小羊が迎える花嫁は聖徒たちです。聖徒たちは患難と試練の中にあって信仰を守りました。キリストを見習って殉教者の生き方を選び取りました。これは小羊の花嫁としてその用意をすることです。このように用意をしようと闘争する聖徒たちに、主は、光り輝く、きよい麻布を着せてくださいます。そして小羊の婚宴に与らせてくださるのです。小羊の婚宴を通して、今や全ての労苦と苦痛が終ります。主が私たちを義としてくださり、私たちはイエス様と完全に一つになります。この瞬間の感動は、私たちの想像をはるかに超えています。小羊の婚宴に招かされた者は幸いです。この望みを持つ私たちは幸いな者です。
祈り:主よ!私がこの地で生きている間、最後まで信仰を守り、小羊の婚宴にあずかれる祝福を得るように助けてください。
一言:ハレルヤ
「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。」(1)
バビロンのさばきの後、天に大群衆と、二十四の長老と四つの生き物が神様を賛美しました。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。神のさばきは真実で、正しいからである。」世の権力の象徴であるバビロンは驕り高ぶり、主の御心に背を向けました。神様のしもべたちの血を流しました。しかし、神様は真実であり正しい方です。彼らを必ず裁かれます。サタンは、それまでの間、このバビロンの権威を通して世を統治して神様に敵対して来ました。しかしバビロンは神様のさばきを受け、滅び去ります。今や、全能なる神様が全地を統べ治められるのです。そして新しい時代が始まります。
賛美の三番目の主題は小羊の婚宴です。今羊の婚姻の時が来ました。小羊はイエス・キリストです。小羊が迎える花嫁は聖徒たちです。聖徒たちは患難と試練の中にあって信仰を守りました。キリストを見習って殉教者の生き方を選び取りました。これは小羊の花嫁としてその用意をすることです。このように用意をしようと闘争する聖徒たちに、主は、光り輝く、きよい麻布を着せてくださいます。そして小羊の婚宴に与らせてくださるのです。小羊の婚宴を通して、今や全ての労苦と苦痛が終ります。主が私たちを義としてくださり、私たちはイエス様と完全に一つになります。この瞬間の感動は、私たちの想像をはるかに超えています。小羊の婚宴に招かされた者は幸いです。この望みを持つ私たちは幸いな者です。
祈り:主よ!私がこの地で生きている間、最後まで信仰を守り、小羊の婚宴にあずかれる祝福を得るように助けてください。
一言:ハレルヤ
2007年12月05日 (水)
黙示録 18:1-20
「彼は力強い声で叫んで言った。『倒れた。大バビロンが倒れた。』」(2)
御使いが天から下って来て、バビロンの滅亡を伝えます。「倒れた。大バビロンが倒れた。」。バビロンは世の栄光を誇っていました。しかし今バビロンは、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつとなり、転落しました。バビロンがこのように滅びるようになったのは、不品行の怒りの杯をすべての国々に飲ませたからです。またバビロンは傲慢であり、自分を誇り、おごっていました。女王の座に着き、「悲しみを知らない」と考えていました(7)。しかし神様は彼女に死病と悲しみと飢えを与え、火で焼き尽くされました。神様は傲慢な者を決してお赦しにはなりません。
バビロンは大きな権威を持っているので、地の王たちも共に行ないました。彼女と共に権威を得て、贅沢を尽くそうとしました。しかし今はこれ以上バビロンに近づこうとしません。地の権威はそれだけむなしいものです。またバビロンは全ての良い物を買いあさりました。町を金と宝石と真珠でおおいました。しかしそれほど華麗だった富と栄光も、神様がさばかれると、一瞬のうちに滅びました。大バビロンはあとかたもなく消え去りました。金銭万能主義の時代に、人々は次第に華やかな物の誘惑に心が奪われます。華やかに生きながら、その生活に楽しみがあるかのように考えます。しかし地の権威と富が永遠の誇りと楽しみになることはできません。何より神様がさばかれる時、一瞬のうちにみな消え去ります。ただ私たちの喜びは神様だけにあります。
祈り:主よ!私が世の華麗さに引かれた心を悔い改め、神様だけを喜び、仕えるように助けてください。
一言:主だけを仰ぎ見よう
「彼は力強い声で叫んで言った。『倒れた。大バビロンが倒れた。』」(2)
御使いが天から下って来て、バビロンの滅亡を伝えます。「倒れた。大バビロンが倒れた。」。バビロンは世の栄光を誇っていました。しかし今バビロンは、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつとなり、転落しました。バビロンがこのように滅びるようになったのは、不品行の怒りの杯をすべての国々に飲ませたからです。またバビロンは傲慢であり、自分を誇り、おごっていました。女王の座に着き、「悲しみを知らない」と考えていました(7)。しかし神様は彼女に死病と悲しみと飢えを与え、火で焼き尽くされました。神様は傲慢な者を決してお赦しにはなりません。
バビロンは大きな権威を持っているので、地の王たちも共に行ないました。彼女と共に権威を得て、贅沢を尽くそうとしました。しかし今はこれ以上バビロンに近づこうとしません。地の権威はそれだけむなしいものです。またバビロンは全ての良い物を買いあさりました。町を金と宝石と真珠でおおいました。しかしそれほど華麗だった富と栄光も、神様がさばかれると、一瞬のうちに滅びました。大バビロンはあとかたもなく消え去りました。金銭万能主義の時代に、人々は次第に華やかな物の誘惑に心が奪われます。華やかに生きながら、その生活に楽しみがあるかのように考えます。しかし地の権威と富が永遠の誇りと楽しみになることはできません。何より神様がさばかれる時、一瞬のうちにみな消え去ります。ただ私たちの喜びは神様だけにあります。
祈り:主よ!私が世の華麗さに引かれた心を悔い改め、神様だけを喜び、仕えるように助けてください。
一言:主だけを仰ぎ見よう






