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善を行なうことで苦しみを耐え忍びなさい
Iペテロ 2:11-25

 「けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。」(20b)

I.肉の欲を遠ざけなさい(11,12)
 私たちは主に在って、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけていましょう。日々の生活において善を行なうならば、私たちを批判していた不信者たちさえも、神様をほめたたえるようになるのです。不信者たちは私たちの言葉よりも行ないに注目するものです。

II.主のゆえに従いなさい(13-17)
 私たちは、「神様にだけ聞き従う」と言って、人が立てた政府や社会制度に対して、反抗することがあります。しかし、私たちは主に在って、主のために、統治する人々に従うべきなのです。主に在る私たちは、この世の何ものからも自由にされましたが、その自由を悪の口実に用いてはならず、ただ神様に聞き従うことのために用いるべきです。主に在る私たちは、すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神様を恐れ、王を尊ぶべきなのです。

III.善を行なうことで苦しみを耐え忍びなさい(18-25)
 私たちが主人に仕える身分であるならば、主人に従うのが道理です。優しい人に対してだけではなく、横暴な人に対しても従うべきです。苦難を受けても、なお善を行ない、苦しみを耐え忍ぶなら、これは神様の御前で美しいことなのです。しかし罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、それが何の誉れになるでしょうか。イエス様は何の罪もありませんでしたが、罪人のように木にかけられました。イエス様は全ての苦しみを耐え忍ばれました。そして、それ故に、私たちは罪の赦しを受け、新しいいのちを得ました。私たちはイエス様に見習って、苦難を受けても耐え忍ぼうではありませんか。悪人たちと一緒になって争うのでなく、善で悪に勝つべきなのです。

祈り:主よ!私は肉の欲を遠ざけて、善に生きて行きます。

一言:イエス様の足跡に従い
カテゴリ:新約聖書::ペテロの手紙第一

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王である祭司
Iペテロ 2:4-10

 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」(9a)

I.尊い生ける石(4-8)
 イエス様は人には捨てられました。しかし神様の目には選ばれた、尊い、生ける石だったのです。神様はイエス様を礎の石とされ、霊の家を建てられます。その家は、イエス様について行く弟子たちの集まりであり、神様が自ら設計し、お建てになられた教会です。私たちが生ける石である主イエス様に進み出て行く時、私たちも生ける石として霊の家に建てられます。そして、神様が喜ばれるいけにえをささげる聖なる祭司となるのです。イエス様を信じて従う者たちには、イエス様は宝となります。しかしイエス様を信じず、聞き従わない者たちには、つまずきの石、妨げの岩となります。

II.すばらしいみわざを宣べ伝えるために(9,10)
 「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」(9a)。この御言葉は、私たちが主に在って、いかなる存在であるのかを、教えています。祭司は民のたましいのために祈り、彼らを神様に導く者です。祭司の務めが美しく尊いものです。それは、人々の霊的ないのちを生かす務めがあるからです。聖徒たちは神様が自ら選ばれ、お立てになられた祭司です。それも普通の祭司でなく、王である祭司です。神様が私たちをこのように尊い者としてくださったのは何故でしょうか。それは私たちをやみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった主御自身の、すばらしいみわざを宣べ伝えるためです。

祈り:主よ!私を王である祭司としてくださり、まことにありがとうございます。今や、私は、心からあなたの御業を宣べ伝えたく思います。

一言:あなたがたは王である祭司
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みことばの乳を慕い求めなさい
Iペテロ 1:13-2:3

 「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。」(2:2a)

I.あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい(1:13-21)
 天の御国に対する望みを持って生きている人々は、心を引き締め、身を慎むべきです。イエス・キリストが現れる時にもたらされる恵みをひたすら待ち望むべきです。過去イエス様を知らなかった時に行なったように、行なうべきではありません。主に在る者たちはあらゆる行ないにおいて聖なるものとされるべきなのです。なぜでしょうか。それは私たちを召された神様が聖なる方であり、人の行ないによってさばかれるからです。私たちが先祖たちのむなしい生き方から贖い出されたのは、イエス様の尊い血によるものでした。その血は私たちを聖なる者とする血です。

II.救いを得るために成長しなさい(1:22-2:3)
 主に在る私たちは互いに熱く愛し合うべきです。私たちは、イエス様を信じた時に、偽りのない兄弟愛を抱く存在になりました。また、主に在る私たちは生まれたばかりの乳飲み子が母乳を求めるように、神様の御言葉を慕い求めるべきです。神様の御言葉こそが私たちのたましいを育てるみことばの乳だからです。世にある全てのものはしばらくの間ありますが、消えてしまうものです。しかし神様の御言葉は永遠なのです。私たちは、生きていて、永遠のものである神様の御言葉によって生まれ変わりました。ですから私たちは、この世のどんなものよりも、御言葉を愛し、慕い求めようではありませんか。救いを受ける者に相応しく成長できるように。

祈り:主よ!私がこれまで兄弟を熱く愛すことなく、御言葉を慕い求めなかったことを悔い改めます。

一言:神様の御言葉を慕い求めます
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生ける望み
Iペテロ 1:1-12

 「私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」(3b)

I.天の資産を受け継ぐようにしてくださいました(1-5)
 使徒ペテロは迫害によって散らされた主に在る人々に書き送る手紙の中で、彼らを「寄留者」と呼んでいます。私たちはこの世にしばらく留まっているだけの「寄留者」です。私たちは寄留者として生きようではありませんか。しかしながら、主に在る者は、ただの寄留者ではありません。「神様に選ばれた寄留者」すなわち聖なる寄留者なのです。なぜでしょう。それは私たちの主イエス・キリストの父なる神様が私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださったからです(4)。生ける望みとは、私たちを生かす望み、永遠に生きる望みを指しています。世の多くの人々は死んだ望みを握り締めて生きています。しかし主に在る私たちには生ける望みがあります。神様は私たちが、朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。それは神様が私たちのために、天にたくわえてくださったものです。

II.試練の意味(5-12)
 主に取り分けられた人々は、世の人々と価値観や人生観、また望みが異なるため、この世で生きている間は、多くの試練を受けることになります。ですが、それらは決して無意味な苦難ではありません。なぜなら私たちの信仰を精錬される神様による訓練だからです。使徒ペテロは、「(あなたがたの信仰は)火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊い。」と言いました。信仰の試練によって、私たちは、イエス様が再び来られる時、称賛と賛美と栄光に至るようになるのです。

祈り:主よ!信仰の試練をくださり感謝します。

一言:試練は辛い、しかしその実は甘い
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