2007年10月27日 (土)
Iペテロ 5:1-14
「あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」(3)
I.自分から進んで、羊の群れを牧しなさい(1-4)
神様の羊の群れを預かった人々は、どうあるべきでしょう。まず第一に、強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んで行うべきです。自ら進んで羊たちに仕える時に、喜びがあるのです。第二に、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてすべきです。そして第三に、支配する姿勢で行なうのではなく、群れの模範であるべきです。牧者は仕えられる者ではなく、仕える者です。イエス様は王の王ですが、仕える者となり、羊の群れの模範となられました(マコ10:45)。私たちが、自ら進んで羊の群れのために自分を犠牲にし、模範を見せながら仕えるならば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。
II.謙遜を身に着けなさい(5,6)
若い人たちは高ぶって、長老たちに反発し、聞き従わないということは、しばしばあることです。しかし神様は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられます。謙遜を身に着ける時、時になると神様は高くしてくださいます。私たちは思い煩いを、いっさい神様に御委ねしましょう。神様は、私たちの置かれた状況を誰より御存知で、顧みてくださるからです。
III.身を慎み、目をさましていなさい(7-14)
私たちの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。ですから、私たちは身を慎み、目をさまし、信仰に立って悪魔に立ち向かうべきです。
祈り:主よ!私がイエス様を見習って、純粋に羊の群れを愛し、仕えることができますように御導きください。
一言:羊の群れの模範となりなさい
「あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」(3)
I.自分から進んで、羊の群れを牧しなさい(1-4)
神様の羊の群れを預かった人々は、どうあるべきでしょう。まず第一に、強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んで行うべきです。自ら進んで羊たちに仕える時に、喜びがあるのです。第二に、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてすべきです。そして第三に、支配する姿勢で行なうのではなく、群れの模範であるべきです。牧者は仕えられる者ではなく、仕える者です。イエス様は王の王ですが、仕える者となり、羊の群れの模範となられました(マコ10:45)。私たちが、自ら進んで羊の群れのために自分を犠牲にし、模範を見せながら仕えるならば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。
II.謙遜を身に着けなさい(5,6)
若い人たちは高ぶって、長老たちに反発し、聞き従わないということは、しばしばあることです。しかし神様は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられます。謙遜を身に着ける時、時になると神様は高くしてくださいます。私たちは思い煩いを、いっさい神様に御委ねしましょう。神様は、私たちの置かれた状況を誰より御存知で、顧みてくださるからです。
III.身を慎み、目をさましていなさい(7-14)
私たちの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。ですから、私たちは身を慎み、目をさまし、信仰に立って悪魔に立ち向かうべきです。
祈り:主よ!私がイエス様を見習って、純粋に羊の群れを愛し、仕えることができますように御導きください。
一言:羊の群れの模範となりなさい
2007年10月26日 (金)
Iペテロ 4:7-19
「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」(7)
I.祈りのために、心を整え身を慎みなさい(7)
終末になると、人々は不安と焦りから、放蕩した生活をし、にせ預言者について行こうとします。しかし聖徒たちはこのような時であればあるほど、祈りのために、心を整え身を慎んでいるべきです。そうしなければ自分たちも、いつしか試みに陥るようになります。
II.互いに熱心に愛し合さない(8-11)
終末が近づくほど、人々は自分だけを愛し、利己的になります(Ⅱテモ3:1,2)。しかし聖徒たちは、互いに熱心に愛し合いましょう。愛は多くの罪をおおいます。互いに愛し合う時、あらゆる問題は解決して行きます。兄弟を愛する人には、兄弟の短所とあやまちも美しく見えます。互いに愛し合う所には恵みがあり、喜びがあります。聖徒たちは互いにもてなされることを願うのをやめ、神様の恵みをあずかった良いしもべのように互いに奉仕すべきです。語る人があれば、神様の御言葉にふさわしく語り、奉仕する人があれば、神様が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕すべきです。
III.キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい(12-19)
終末であるほど、聖徒たちには火のような試練が多く起こります。聖徒たちはこれに驚くのではなく、キリストの苦しみにあずかれることとして、喜んでいるべきです。キリスト人として苦難を受けることは、将来主が私たちにくださる栄光の約束手形です。ですから神様の御心として苦しみを受ける時には、善を行ない、自らのたましいを神様に御委ねすべきなのです。
祈り:主よ!私が祈りのために心を整え、身を慎むことができるように助けてください。そして、兄弟を熱く愛することができますように御助けください。
一言:互いに熱く愛し合いなさい
「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」(7)
I.祈りのために、心を整え身を慎みなさい(7)
終末になると、人々は不安と焦りから、放蕩した生活をし、にせ預言者について行こうとします。しかし聖徒たちはこのような時であればあるほど、祈りのために、心を整え身を慎んでいるべきです。そうしなければ自分たちも、いつしか試みに陥るようになります。
II.互いに熱心に愛し合さない(8-11)
終末が近づくほど、人々は自分だけを愛し、利己的になります(Ⅱテモ3:1,2)。しかし聖徒たちは、互いに熱心に愛し合いましょう。愛は多くの罪をおおいます。互いに愛し合う時、あらゆる問題は解決して行きます。兄弟を愛する人には、兄弟の短所とあやまちも美しく見えます。互いに愛し合う所には恵みがあり、喜びがあります。聖徒たちは互いにもてなされることを願うのをやめ、神様の恵みをあずかった良いしもべのように互いに奉仕すべきです。語る人があれば、神様の御言葉にふさわしく語り、奉仕する人があれば、神様が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕すべきです。
III.キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい(12-19)
終末であるほど、聖徒たちには火のような試練が多く起こります。聖徒たちはこれに驚くのではなく、キリストの苦しみにあずかれることとして、喜んでいるべきです。キリスト人として苦難を受けることは、将来主が私たちにくださる栄光の約束手形です。ですから神様の御心として苦しみを受ける時には、善を行ない、自らのたましいを神様に御委ねすべきなのです。
祈り:主よ!私が祈りのために心を整え、身を慎むことができるように助けてください。そして、兄弟を熱く愛することができますように御助けください。
一言:互いに熱く愛し合いなさい
2007年10月25日 (木)
Iペテロ 4:1-6
「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」(1a)
I.ただ神のみこころのために過ごすようになるのです(1,2)
キリストが肉体において苦しみを受けられた理由は何でしょうか。それは、私たちが地上での残された時間を、もはや人間の欲望のためではなく、神様の御心のために過ごすようにされるためでした。それで使徒ペテロは聖徒たちに、「あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」と言いました。罪の誘惑は甘いです。それは敵が放つ矢のように私たちの心を突き刺します。サタンが放つ罪の矢を避けることのできる人はいません。しかし私たちがイエス様の心で武装するなら、どんな罪の誘惑であっても退けることができます。私たちは地上の残された時を、神様の御心のために過ごさなければなりません。
II.過ぎ去った時で、もう十分です(3-6)
過去、私たちは肉の欲望に従って、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけ、異邦人たちがしたいと思っていることを行ないました。しかし私たちはキリスト・イエスを信じることで、昔の生活から抜け出し、新しい生活をするようになりました。私たちの罪深い生活は、すでに過ぎ去った時のことで、もう十分です。世の人々は、聖徒たちが彼らとともに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、悪口を言います。しかし最後のさばきの時に、彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。聖徒たちは肉体においては人間としてさばきを受けます。しかし霊においては神様によって生きるようになります。そのため霊的に死んだ者たちに福音を証しするのです。
祈り:主よ!イエス様と同じように武装し、罪の誘惑を退けて、主の御旨に従って生きるように助けてください。
一言:キリストと同じ心構えで武装しなさい
「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」(1a)
I.ただ神のみこころのために過ごすようになるのです(1,2)
キリストが肉体において苦しみを受けられた理由は何でしょうか。それは、私たちが地上での残された時間を、もはや人間の欲望のためではなく、神様の御心のために過ごすようにされるためでした。それで使徒ペテロは聖徒たちに、「あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」と言いました。罪の誘惑は甘いです。それは敵が放つ矢のように私たちの心を突き刺します。サタンが放つ罪の矢を避けることのできる人はいません。しかし私たちがイエス様の心で武装するなら、どんな罪の誘惑であっても退けることができます。私たちは地上の残された時を、神様の御心のために過ごさなければなりません。
II.過ぎ去った時で、もう十分です(3-6)
過去、私たちは肉の欲望に従って、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけ、異邦人たちがしたいと思っていることを行ないました。しかし私たちはキリスト・イエスを信じることで、昔の生活から抜け出し、新しい生活をするようになりました。私たちの罪深い生活は、すでに過ぎ去った時のことで、もう十分です。世の人々は、聖徒たちが彼らとともに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、悪口を言います。しかし最後のさばきの時に、彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。聖徒たちは肉体においては人間としてさばきを受けます。しかし霊においては神様によって生きるようになります。そのため霊的に死んだ者たちに福音を証しするのです。
祈り:主よ!イエス様と同じように武装し、罪の誘惑を退けて、主の御旨に従って生きるように助けてください。
一言:キリストと同じ心構えで武装しなさい
2007年10月24日 (水)
Iペテロ 3:13-22
「ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。」(16)
I.心の中でキリストを主としてあがめなさい(13-16)
私たちが熱心に善を行なうとき、誰が私たちに害を加えようとするでしょうか。しかし主に在る者たちが熱心に善を行なっても、「イエス様を信じる」という理由の故に、苦しみを受ける時もあるかも知れません。そんな時、私たちは一つ覚えていなければならないことがあります。それは、義のために苦難を受ける人には祝福がある、ということです。私たちは迫害を受けた時には、恐れたり、動揺したりせずに、心の中でキリストを主としてあがめ、自分自身をきよめる機会を持たなければなりません。そして、私たちが持ち続ける望みについて尋ねてくる人々に、いつでも弁明できる用意をしておくべきです。それも優しく、慎み恐れ、そして正しい良心を持って、そうすべきなのです。すると私たちの良い行ないを邪魔する人々が、結局ははずかしめを受けるようになります。
II.善を行なって苦しみを受けなさい(17-22)
善を行なって苦しみを受けることは神様のみこころです。イエス様は完全に正しい方でしたが、悪い人々を神様の御前に導くために、悪い人々の身代わりとなりました。しかしイエス様は肉においては死に渡されましたが、霊においては生かされました。それで捕らわれの霊たちのところに行って、イエス様がキリストであること宣布されました。ノアの時代、箱舟の中にいたノアの八名だけが洪水から救われました。その時、降り注いだ水は、私たちを救うしるしであるバプテスマを意味します。バプテスマは私たちの良心をきよめ、私たちを神様の御許へと立ち返らせるのです。
祈り:主よ!私に正しい良心をお与えください。
一言:正しい良心を持って、最後まで信仰の道を行こう
「ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。」(16)
I.心の中でキリストを主としてあがめなさい(13-16)
私たちが熱心に善を行なうとき、誰が私たちに害を加えようとするでしょうか。しかし主に在る者たちが熱心に善を行なっても、「イエス様を信じる」という理由の故に、苦しみを受ける時もあるかも知れません。そんな時、私たちは一つ覚えていなければならないことがあります。それは、義のために苦難を受ける人には祝福がある、ということです。私たちは迫害を受けた時には、恐れたり、動揺したりせずに、心の中でキリストを主としてあがめ、自分自身をきよめる機会を持たなければなりません。そして、私たちが持ち続ける望みについて尋ねてくる人々に、いつでも弁明できる用意をしておくべきです。それも優しく、慎み恐れ、そして正しい良心を持って、そうすべきなのです。すると私たちの良い行ないを邪魔する人々が、結局ははずかしめを受けるようになります。
II.善を行なって苦しみを受けなさい(17-22)
善を行なって苦しみを受けることは神様のみこころです。イエス様は完全に正しい方でしたが、悪い人々を神様の御前に導くために、悪い人々の身代わりとなりました。しかしイエス様は肉においては死に渡されましたが、霊においては生かされました。それで捕らわれの霊たちのところに行って、イエス様がキリストであること宣布されました。ノアの時代、箱舟の中にいたノアの八名だけが洪水から救われました。その時、降り注いだ水は、私たちを救うしるしであるバプテスマを意味します。バプテスマは私たちの良心をきよめ、私たちを神様の御許へと立ち返らせるのです。
祈り:主よ!私に正しい良心をお与えください。
一言:正しい良心を持って、最後まで信仰の道を行こう
2007年10月23日 (火)
Iペテロ 3:1-12
「悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。」(11)
I.夫に服従し、妻を尊敬しなさい(1-7)
妻は家庭の平和のために夫に服従すべきです。これは妻が持つべき美徳です。妻が夫を無視し、夫の自尊心を傷つけるならば、家庭の平和が成り立ちません。妻たちは髪を編んだり、金の飾りをつけたり、高価な着物を着るなど、外面的なおしゃれをすることより、柔和と貞淑で内面を装うべいです。その時、信仰の無い夫であっても、妻の敬虔な心とつつましい行ないに感動し、救いを得るようになるのです。
夫は、妻が自分より弱い器であることを知り、いのちの恵みをともに受け継ぐものとして尊敬すべきです。夫が妻を惜しみなく愛さなければ、やはり家庭の平和は成り立ちません。夫や妻が神様の御言葉に聞き従う時、家庭に平和が訪れます。互いに祈りが妨げられず、よく同労することができます。
II.心を一つにして、あわれみ深くありなさい(8-12)
主に在る私たちは神様の中で一つの家族、兄弟姉妹として、互いに心一つでありましょう。同情し合い、兄弟のように愛し、あわれみ深く、へりくだる者であるべきなのです。つまりは、イエス様の御心を抱くべきなのです。また私たちは悪をもって悪に報いずに、かえって祝福を与えるべきです。そのようにする時、神様の祝福を相続し、平和を受け継ぐようになるのです。いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う人は舌を押さえて悪を言ってはいけません。悪から離れて、善を行ない、平和を求めるべきなのです。
祈り:主よ!私が人々と平和の関係を結ぶことができますように。
一言:同労する家庭、愛する集まり
「悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。」(11)
I.夫に服従し、妻を尊敬しなさい(1-7)
妻は家庭の平和のために夫に服従すべきです。これは妻が持つべき美徳です。妻が夫を無視し、夫の自尊心を傷つけるならば、家庭の平和が成り立ちません。妻たちは髪を編んだり、金の飾りをつけたり、高価な着物を着るなど、外面的なおしゃれをすることより、柔和と貞淑で内面を装うべいです。その時、信仰の無い夫であっても、妻の敬虔な心とつつましい行ないに感動し、救いを得るようになるのです。
夫は、妻が自分より弱い器であることを知り、いのちの恵みをともに受け継ぐものとして尊敬すべきです。夫が妻を惜しみなく愛さなければ、やはり家庭の平和は成り立ちません。夫や妻が神様の御言葉に聞き従う時、家庭に平和が訪れます。互いに祈りが妨げられず、よく同労することができます。
II.心を一つにして、あわれみ深くありなさい(8-12)
主に在る私たちは神様の中で一つの家族、兄弟姉妹として、互いに心一つでありましょう。同情し合い、兄弟のように愛し、あわれみ深く、へりくだる者であるべきなのです。つまりは、イエス様の御心を抱くべきなのです。また私たちは悪をもって悪に報いずに、かえって祝福を与えるべきです。そのようにする時、神様の祝福を相続し、平和を受け継ぐようになるのです。いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う人は舌を押さえて悪を言ってはいけません。悪から離れて、善を行ない、平和を求めるべきなのです。
祈り:主よ!私が人々と平和の関係を結ぶことができますように。
一言:同労する家庭、愛する集まり






