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行ないのある信仰
ヤコブ 2:14-26

 「たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。」(26)

I.実際に兄弟を助ける信仰(14-20)
 本当に信仰がある人は、困っている人を助ける人です。兄弟や姉妹が着る物がなくて、お腹をすかせているのに、言葉だけ「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言うことは何の役に立つでしょうか。私たちは知識的に神様を知っていることを、信仰があることのように錯覚していないでしょうか。知識の上では悪霊も神様をよく知っています。私たちの生活に実際の変化が無い信仰は本当の信仰ではありません。行ないのない信仰は、それだけでは死んだものです(17)。

II.先祖たちの行ないのある信仰(21-25)
 私たちの信仰の先祖アブラハムは神様の御言葉に聞き従って、イサクを全焼のいけにえとしてささげました。アブラハムは神様の約束を信じ、神様が息子イサクを死者の中からよみがえらせてくださることを信じました。しかしアブラハムは信じるだけで終わりませんでした。イサクはアブラハムにとって最も尊い存在でしたが、信仰によって我が子をささげました。彼は信仰があったので実際に行ないました。ラハブはカナンの町の卑しい身分の遊女でした(ヨシ2章)。彼女はイスラエルの神様が、天においても地においても生きておられる神様であることを信じて、神様がカナンの地をイスラエルにお与えになったことを、信じました。彼女の信仰はイスラエルの使者たちを受け入れる行動として現れました。このように本当の信仰は行ないとして現れます。命と呼吸が切り離せないように、信仰と行ないも切り離すことができません。

祈り:主よ!私が言葉ばかりの信徒であったことを悟ります。私が行ないのある本当の信仰を持つことができますように助けてください。

一言:生きている信仰
カテゴリ:新約聖書::ヤコブの手紙

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人をえこひいきしてはいけません
ヤコブ 2:1-13

 「あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。」(1)

I.金持ちと貧しい人を差別してはいけません(1-7)
 世の中では、人をうわべで判断して差別することが一般化されています。それで人々は外的な条件を改善しようと、いろいろ努力します。しかし栄光の主イエス様の中では、うわべや外的な条件よりも、内面的な価値が高く評価されます。教会の中ではお金持ちのクリスチャンたちに良い席を与え、貧しいクリスチャンには末席を与えるということがあってはなりません。神様は、この世で貧しい者を選ばれ、信仰の面で富ませます。主とその子どものために自ら貧しくなり、信仰によって生きようとする人々はどれだけ貴いでしょうか。神様はこのような人々が神様の御国を相続することを喜ばれます。

II.あなたの隣人を愛せよ(8-13)
 神様がくださった最高の律法は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」です。私たちの隣人とは今実際に助けを必要としている人を指します。神様は、私たちが苦しみの中にいる隣人を顧みて、実際に助けることを願われます。どんな時代、どんな状況の中であっても、この律法は変わることがありません。12節では、「自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行ないなさい。」とあります。「自由の律法」とはキリストの福音を指します。福音によって救いを受けた聖徒たちは、旧約の律法の下にいる人々よりも、さらに成熟し、積極的に愛を実践することが当然なのです。

祈り:主よ!私は、あなたの御心に背をむけて人を差別することがありました。これからは、苦しみの中にいる隣人に仕えることができますように、私を遣わしてください。

一言:差別でなく、助けを
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実行する人になりなさい
ヤコブ 1:19-27

 「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」(22)

I.怒るにはおそいようにしなさい(19-21)
 ヤコブは、「聞くには早く、語るにはおそいようにしなさい」と言います(19)。聞くにはおそく、語るには早くすると、神様を悲しませてしまうことを私たちは、心に刻むべきです。それだけではなく、怒るにはおそいようにしなければなりません。怒れば状況や相手を変えられると思えますが、実は神様の義を実現するのを妨げるようになります。怒ると、人との信頼関係が崩れ、神様の栄光を覆うようになります。神様の義を実現させるには、柔和な心で神様の御言葉を受け、柔和な心で人に仕えなければなりません。信仰が成熟するほど、さらに柔和になっていくなら、それより尊いことはありません。

II.その行ないによって祝福されます(22-27)
 御言葉を聞いて行なわないことは、自分を欺くことです。御言葉を学ぶことは鏡を見ることに似ています。人は鏡を見ながら、顔の汚れを発見すればそれを落とし、顔をきれいにします。ところが私たちの内面を照らす神様の御言葉を学びながら、自分の罪の問題を発見しても悔い改めないなら、それは自分を欺くことになります。「完全な律法、自由の律法」(25)とはキリストの福音を指します。キリストの律法を聞いて悔い改め、実行する者が祝福を受けます。そのような人は敬虔に生きるだけではなく、徳を高める言葉を使おうと努力するようになります。また困っている孤児と寡婦を世話して、この世から自分をきよく守ります。

祈り:主よ!私は言葉ばかりで、行わず、あなたに背を向けるような者でした。これからは、あなたの御言葉を聞いて行う、あなたの子どもらしい生き方ができますように。私を助けてください。

一言:自分を欺いてはいけない
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試練の霊的な意味
ヤコブ 1:1-18

 「試練に耐える人は幸いです。」(12a)

I.信仰の試練(1-8)
 ヤコブは初代教会当時、迫害されていた聖徒たちを激励し、教えるためにこの書信を書きました。ところがヤコブは、「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」と言います。主の中で受ける試練には尊い意味があるからです。試練は忍耐を学ばせ、忍耐は私たちの人格を鍛錬し成熟した神様のしもべとして、少しも欠けたところのない者とします。それで私たちが試練を受けた時、分別力をくださるように、祈らなければなりません。神様は、信仰によって求める者たちに、豊かな知恵と霊的な分別力をくださり、試練の意味を悟らせ、試練に打ち勝つ力をくださいます。

II.試練に耐える人は幸いです(12-18)
 ヤコブは、試練に耐える人は幸いだ、と言います(12)。試練を通して、神様に良しと認められた人は、いのちの冠を受けるからです。私たちは誘惑を受ける時、なぜ神様は私たちを誘惑するのかと言って、神様の愛を疑いがちです。しかし神様はご自分で誰をも誘惑なさる方ではありません。私たちが誘惑を受けるのは、自分の内部にある欲にひかれるからです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます(15)。私たちは、気を引き締めてだまされないようにすれば、死には至りません。

祈り:主よ!私に、試練の霊的な意味を教えてくださり、ありがとうございます。試練の時に失望することなく、信仰をもって祈り続けることができますように、私を御導きください。

一言:試練の霊的な意味
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