2007年10月18日 (木)
ヤコブ 5:1-20
「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。」(8)
I.主が来られる日まで望みなさい(1-12)
主に在る人々が、この世にあって正しく生きようとする時、不利益や苦難、迫害を受け、反対に不義を行なう者たちがよくなることがあります。その時、主に在る者はどのような姿勢を持つべきでしょうか。主に在る者はキリストの降臨を待っている人々です。主が降臨される時には、全ての義が実現されます。その時には、神様よりも金銭を愛し、不正な方法で財産を得たものは、それに応じて裁かれます。彼らはほふられる日のために肥えていく家畜のようです。神様の子どもたちは、農夫たちが尊い実を期待して、早い雨と遅い雨を待ち望むように、耐え忍んで主の降臨を待ち望むべきです。旧約の預言者たちも、苦難を長く耐え忍び、今に生きる私たちに手本を見せました。ヨブは苦難の中で、最後まで耐え忍び信仰の勝利を得て、神様の大きな祝福を得ました。主の降臨を待ち望み、信仰によって忍耐する者に、神様の祝福と栄光が臨みます。
II.苦難の中で祈りなさい(13-20)
苦しみのなかにある人は祈り、喜びのなかにある人は神様を賛美しましょう(13)。病気の人は信仰のある長老たちを招き、祈ってもらうのが良いです。信仰による祈りは病む人を回復させる力があります。義人の祈りは働くと、大きな力があります。終末の時、何よりも力を注ぐべきこと、それは祈りなのです。
祈り:主よ!世には多くの問題がありますが、耐え忍び、信仰によって祈るこの時代の義人になるように助けてください。
一言:忍耐と祈り
「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。」(8)
I.主が来られる日まで望みなさい(1-12)
主に在る人々が、この世にあって正しく生きようとする時、不利益や苦難、迫害を受け、反対に不義を行なう者たちがよくなることがあります。その時、主に在る者はどのような姿勢を持つべきでしょうか。主に在る者はキリストの降臨を待っている人々です。主が降臨される時には、全ての義が実現されます。その時には、神様よりも金銭を愛し、不正な方法で財産を得たものは、それに応じて裁かれます。彼らはほふられる日のために肥えていく家畜のようです。神様の子どもたちは、農夫たちが尊い実を期待して、早い雨と遅い雨を待ち望むように、耐え忍んで主の降臨を待ち望むべきです。旧約の預言者たちも、苦難を長く耐え忍び、今に生きる私たちに手本を見せました。ヨブは苦難の中で、最後まで耐え忍び信仰の勝利を得て、神様の大きな祝福を得ました。主の降臨を待ち望み、信仰によって忍耐する者に、神様の祝福と栄光が臨みます。
II.苦難の中で祈りなさい(13-20)
苦しみのなかにある人は祈り、喜びのなかにある人は神様を賛美しましょう(13)。病気の人は信仰のある長老たちを招き、祈ってもらうのが良いです。信仰による祈りは病む人を回復させる力があります。義人の祈りは働くと、大きな力があります。終末の時、何よりも力を注ぐべきこと、それは祈りなのです。
祈り:主よ!世には多くの問題がありますが、耐え忍び、信仰によって祈るこの時代の義人になるように助けてください。
一言:忍耐と祈り
2007年10月17日 (水)
ヤコブ 4:11-17
「あなたがたには、あすのことはわからないのです。」(14)
I.明日のことを誇る者(11,12)
11,12節で、ヤコブは聖徒たちが互いに悪口を言い合ってはいけないと言います。兄弟の悪口を言い、さばくことは神様の主権に対する侵害です。自分を神様の位置に上げる極めて傲慢な態度です。私たちがすべきことは、律法に定められている通り、隣人を自分のからだのように愛することです(マタ22:37-40)。
II.明日のことを誇ってはならない(13-17)
ある人は言います。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。」(13)。この人は明日のことに対して自信がありました。自分の判断力や事業の手腕に対して自信があったようです。しかし実は人は明日のことを誇ることはできません。人の命はしばらくの間現れて、それから消えてしまう霧のようです。私たちは人間としての限界を認めなければなりません。「むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』」(15)。神様は私たちの命の主人であり、全てのことを主管される方です。それで私たちは全てのことを神様にゆだね、その方の導きを受けなければなりません。神様の御旨を差し置いて、自分を過信して虚しいものを誇ることは悪い事だと聖書は言っています。私たちがすべきことは私たちの将来を神様に委ね、今与えられた場所で最善を尽くして善を行なうことです。善を行なうことができるのに、それを行なわないことは罪です。
祈り:主よ!私が虚しいことを誇らず、あなたの御前で日々最善を尽くす生活ができるように、助けてください。
一言:日々、最善を
「あなたがたには、あすのことはわからないのです。」(14)
I.明日のことを誇る者(11,12)
11,12節で、ヤコブは聖徒たちが互いに悪口を言い合ってはいけないと言います。兄弟の悪口を言い、さばくことは神様の主権に対する侵害です。自分を神様の位置に上げる極めて傲慢な態度です。私たちがすべきことは、律法に定められている通り、隣人を自分のからだのように愛することです(マタ22:37-40)。
II.明日のことを誇ってはならない(13-17)
ある人は言います。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。」(13)。この人は明日のことに対して自信がありました。自分の判断力や事業の手腕に対して自信があったようです。しかし実は人は明日のことを誇ることはできません。人の命はしばらくの間現れて、それから消えてしまう霧のようです。私たちは人間としての限界を認めなければなりません。「むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』」(15)。神様は私たちの命の主人であり、全てのことを主管される方です。それで私たちは全てのことを神様にゆだね、その方の導きを受けなければなりません。神様の御旨を差し置いて、自分を過信して虚しいものを誇ることは悪い事だと聖書は言っています。私たちがすべきことは私たちの将来を神様に委ね、今与えられた場所で最善を尽くして善を行なうことです。善を行なうことができるのに、それを行なわないことは罪です。
祈り:主よ!私が虚しいことを誇らず、あなたの御前で日々最善を尽くす生活ができるように、助けてください。
一言:日々、最善を
2007年10月16日 (火)
ヤコブ 4:1-10
「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」(8)
I.欲望と傲慢を取り除きなさい(1-6)
あらゆるねたみと争いはどこから来るのでしょうか。きよい賜物を求めずに、この世の虚しい物を求めるあやまった欲望から始まります。あやまった欲望は聖徒がサタンの誘惑に陥る直接的な原因になります。私たちは、この世に向いているあやまった欲望を、絶えず悔い改めなければなりません。この世を愛するほど、神様と敵対関係になることを、覚えなければなりません。聖霊がねたむほどに、私たちが霊的な人、謙遜な神様の人になることを主は願われます。神様は傲慢な人を退かれ、謙遜な人に恵みを与えます。謙遜は聖徒の第一の美徳です。
II.神に近づきなさい(7-10)
聖徒たちは神様に従い、悪霊に立ち向かわなければなりません。悪魔は欲望と傲慢とねたみを武器に、絶えず私たちを攻撃してきます。だからといって、悪魔に引きずられるままに自分の身をゆだねてはいけません。信仰によって立ち向かわなければなりません。イエス様の御名によって立ち向かえば、悪霊は私たちを避けて行きます。悪魔に立ち向かうためには、何よりも神様に近づかなければなりません(8)。神様の御前で罪を嘆き悲しみ悔い改め、心をきよくすれば、神様が私たちに本当の喜びをくださいます。主の御前で謙遜にへりくだる時、時が来ると主が私たちを高くしてくださいます。神様に近づいて行くことが、霊的な勝利の秘訣です。
祈り:主よ!私が絶えず心のねたみと情欲を悔い改め、あなたに近づいて行けるように助けてください。
一言:神様に近づいて行きなさい
「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」(8)
I.欲望と傲慢を取り除きなさい(1-6)
あらゆるねたみと争いはどこから来るのでしょうか。きよい賜物を求めずに、この世の虚しい物を求めるあやまった欲望から始まります。あやまった欲望は聖徒がサタンの誘惑に陥る直接的な原因になります。私たちは、この世に向いているあやまった欲望を、絶えず悔い改めなければなりません。この世を愛するほど、神様と敵対関係になることを、覚えなければなりません。聖霊がねたむほどに、私たちが霊的な人、謙遜な神様の人になることを主は願われます。神様は傲慢な人を退かれ、謙遜な人に恵みを与えます。謙遜は聖徒の第一の美徳です。
II.神に近づきなさい(7-10)
聖徒たちは神様に従い、悪霊に立ち向かわなければなりません。悪魔は欲望と傲慢とねたみを武器に、絶えず私たちを攻撃してきます。だからといって、悪魔に引きずられるままに自分の身をゆだねてはいけません。信仰によって立ち向かわなければなりません。イエス様の御名によって立ち向かえば、悪霊は私たちを避けて行きます。悪魔に立ち向かうためには、何よりも神様に近づかなければなりません(8)。神様の御前で罪を嘆き悲しみ悔い改め、心をきよくすれば、神様が私たちに本当の喜びをくださいます。主の御前で謙遜にへりくだる時、時が来ると主が私たちを高くしてくださいます。神様に近づいて行くことが、霊的な勝利の秘訣です。
祈り:主よ!私が絶えず心のねたみと情欲を悔い改め、あなたに近づいて行けるように助けてください。
一言:神様に近づいて行きなさい
2007年10月15日 (月)
ヤコブ 3:13-18
「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」(17)
I.世俗的な知恵(13-16)
自分が知恵のある、賢い人だと思うなら、柔和な行ないによって示さなければなりません。その心に苦いねたみと敵対心があるときは、誇ってはいけません。そのような心から出る知恵は世俗的で、情欲的で、悪霊に属するものだからです。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。知恵は人を高ぶらせますが、愛は徳を高めます(Ⅰコリ8:1)。愛の実を結べない知恵は本当の知恵とは言えません。
II.上からの知恵(17,18)
「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(17,18)。本当の知恵は神様から来ます。本当の知恵の特徴は純真であることです。本当の知恵がある人は内面が純真であり、その生活が純真です。次に平和を愛し、寛容な心で人を許します。上から来る知恵を持った人は人を差別しません。偽りや妬みや争いも、このような知恵を持った者にはにあいません。上から来る知恵を持った人は温順であり、あわれみと良い実とに満ちています。本当の知恵を持った人かどうかはその人の人生の実を見れば、分かります。
祈り:主よ!私が世の知恵を慕い求めてきたことを悔い改めます。私を助け導いてください。これからは、上から来る知恵を慕い求めるように。
一言:上から来る知恵を慕い求めよう
「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」(17)
I.世俗的な知恵(13-16)
自分が知恵のある、賢い人だと思うなら、柔和な行ないによって示さなければなりません。その心に苦いねたみと敵対心があるときは、誇ってはいけません。そのような心から出る知恵は世俗的で、情欲的で、悪霊に属するものだからです。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです。知恵は人を高ぶらせますが、愛は徳を高めます(Ⅰコリ8:1)。愛の実を結べない知恵は本当の知恵とは言えません。
II.上からの知恵(17,18)
「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(17,18)。本当の知恵は神様から来ます。本当の知恵の特徴は純真であることです。本当の知恵がある人は内面が純真であり、その生活が純真です。次に平和を愛し、寛容な心で人を許します。上から来る知恵を持った人は人を差別しません。偽りや妬みや争いも、このような知恵を持った者にはにあいません。上から来る知恵を持った人は温順であり、あわれみと良い実とに満ちています。本当の知恵を持った人かどうかはその人の人生の実を見れば、分かります。
祈り:主よ!私が世の知恵を慕い求めてきたことを悔い改めます。私を助け導いてください。これからは、上から来る知恵を慕い求めるように。
一言:上から来る知恵を慕い求めよう
2007年10月14日 (日)
ヤコブ 3:1-12
「もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」(2)
I.ことばで失敗をしない人が、完全な人です(1-6)
他人を教える立場にいる人はことばで失敗を犯しがちです。ことばは、一度口の外に出してしまうと、再び回収することができません。それで舌にくつわをかけて、ことばに気をつけなければなりません。小さな舌は体全体を汚し、人生の車輪を焼いてしまうことができます。それで自分のことばを制御することができる人は自分の体を制御できる完全な人です。舌は小さなものですが、その舌をよく制御して、塩味がよくきいたもののように、注意して用いることは本当に大事なことです(コロ4:6)。
II.ことばが完全なものになるためには、内面が完全でなければならない(7-12)
どのような種類の獣も鳥も、生物たちは制することができます。ところが不幸にも舌を制御できる人はいません。舌を制御できずに不幸を招く人がどれだけ多くいるでしょうか。本来舌は神様を賛美して、良い言葉を話し、義の道具として用いられるように造られました。ところが人間の堕落によって、舌は本来の目的から離れ、自分勝手に用いられています。それで私たちの内側の人がきよめられ、いつもイエス様の御姿を見習おうと力を入れなければ、舌を制御することはできません。
祈り:主よ!私は今まで舌を制御できずに失敗を繰り返しました。私の内側の人を変えてください。良い言葉を話し、あなたを賛美するものに変えてください。
一言:舌を制御しよう
「もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」(2)
I.ことばで失敗をしない人が、完全な人です(1-6)
他人を教える立場にいる人はことばで失敗を犯しがちです。ことばは、一度口の外に出してしまうと、再び回収することができません。それで舌にくつわをかけて、ことばに気をつけなければなりません。小さな舌は体全体を汚し、人生の車輪を焼いてしまうことができます。それで自分のことばを制御することができる人は自分の体を制御できる完全な人です。舌は小さなものですが、その舌をよく制御して、塩味がよくきいたもののように、注意して用いることは本当に大事なことです(コロ4:6)。
II.ことばが完全なものになるためには、内面が完全でなければならない(7-12)
どのような種類の獣も鳥も、生物たちは制することができます。ところが不幸にも舌を制御できる人はいません。舌を制御できずに不幸を招く人がどれだけ多くいるでしょうか。本来舌は神様を賛美して、良い言葉を話し、義の道具として用いられるように造られました。ところが人間の堕落によって、舌は本来の目的から離れ、自分勝手に用いられています。それで私たちの内側の人がきよめられ、いつもイエス様の御姿を見習おうと力を入れなければ、舌を制御することはできません。
祈り:主よ!私は今まで舌を制御できずに失敗を繰り返しました。私の内側の人を変えてください。良い言葉を話し、あなたを賛美するものに変えてください。
一言:舌を制御しよう






