HOME > 新約聖書 > ヘブル人への手紙


ただ一度、ご自身をおささげになったイエス様
ヘブル 9:16-28

 本文は、なぜイエス様が血を流してただ一度いけにえとしてご自身をおささげになったのかを、話してくれます。

I.血を注ぎだすことがなければ、罪の赦しはない(16-22)
 遺言は遺言者が死んでから効力を発揮します。このようにイエス様の遺言、すなわち契約もイエス様が死ねば効力があります。初めの契約も獣の血でたてられ、幕屋と礼拝のすべての器具にも血を注ぐことで、きよめました。律法に従ってほとんどすべてのものが血によってきよめられましたが、これは血を注ぎだすことがなければ、罪の赦しはないからです。
 では、罪の赦しを受けるためにはなぜ血を流さなければならないのでしょうか。これは肉のいのちが血の中にあるからです(レビ17:11)。罪の代価は死であり、罪を犯した人間は血を流してみじめに死ななければなりませんでした。罪は何の代価もなしには赦されるものではなく、必ず血すなわち、いのちの代価を払わなければなりません。それだけ罪は恐ろしいものであり、罪の赦しは貴いものなのです。

II.最後のささげ物となったイエス様(23-28)
 旧約では、獣の血で人の罪を贖いましたが、これは不完全なものでした。イエス様はみずから血を流されることで、さらにすぐれたいけにえとしてささげられました。それも旧約のいけにえのように、繰り返しささげずに、世の罪をなくそうと、一度だけご自分を完全ないけにえとしてささげました。罪を犯した人間にさばきから逃れる道はありません。しかしイエス様の犠牲によってさばきから救いを受けるようになりました。

祈り:主よ!私の罪のために十字架でいけにえとなってくださったイエス様の救いの愛を賛美します。私は主のために生きます。

一言:ただ一度だけ

カテゴリ:新約聖書::ヘブル人への手紙

ソーシャルブックマーク登録
イザ!ブックマーク Yahoo!ブックマークに登録 newsingに投稿 はてなブックマークに追加 こはてなアンテナに追加 del.icio.usに追加する ニフティクリップに追加 Livedoor クリップに追加 FC2ブックマークに追加 PingKingポッケに追加 Technorati に追加 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafブックマークへ追加 Choixへ追加 Blinklistへ追加 JoltMarkへ追加 このエントリーを含むはてなブックマーク はてなユーザーの評価 この記事をクリップ! livedoorユーザーの評価 Buzzurlにブックマーク Buzzurlにブックマーク このエントリーをGoogleBookmark に追加
さらに偉大な、完全な幕屋で仕えておられるイエス様
ヘブル 9:1-15

 イスラエルの民が荒野にいた時は、天幕になっていた幕屋で神様に仕えていました。ソロモン王以降には石で建てられた神殿で神様に仕えていました。しかしこの幕屋礼拝は将来来る真の幕屋の影に過ぎません。

I.罪を完全にきよめることができない幕屋礼拝(1-10)
 初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました。幕屋は大きく聖所と至聖所に分けられます。聖所には燭台と机と供えのパンがあり、至聖所の中には金の香壇と、契約の箱と、マナのはいった金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つの板、贖罪蓋を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。至聖所には大祭司だけが年に一度、自分と民の罪のために血を携えて入って行きました(7)。しかしこの幕屋礼拝は人々の罪を完全にきよめることはできず、将来来るものの影に過ぎないものでした。

II.根本的に罪をきよめてくださるキリストの血(11-15)
 イエス様は大祭司として来られ、ご自分の血を携え、さらに偉大な、さらに完全な幕屋に入って行かれました。イエス様はご自分の血でただ一度、聖所に入って行かれ、永遠の贖いを成し遂げられました。それで今はこれ以上わずらわしいいけにえが必要ではなくなりました。キリストの血は、私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神様に仕える者にしてくださいます。キリストの血だけが、私たちの汚れた内面を根本的にきよめてくださり、新しい人に変えることができるのです(14)。

祈り:主よ!キリストの血によって完全にきよめてくださったことを感謝します。私が熱心に生きておられる神様に仕えるように助けてください。

一言:キリストの血だけが私たちの血をきよめることができる

カテゴリ:新約聖書::ヘブル人への手紙

ソーシャルブックマーク登録
イザ!ブックマーク Yahoo!ブックマークに登録 newsingに投稿 はてなブックマークに追加 こはてなアンテナに追加 del.icio.usに追加する ニフティクリップに追加 Livedoor クリップに追加 FC2ブックマークに追加 PingKingポッケに追加 Technorati に追加 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafブックマークへ追加 Choixへ追加 Blinklistへ追加 JoltMarkへ追加 このエントリーを含むはてなブックマーク はてなユーザーの評価 この記事をクリップ! livedoorユーザーの評価 Buzzurlにブックマーク Buzzurlにブックマーク このエントリーをGoogleBookmark に追加
新しい契約の仲介者イエス様
ヘブル 8:1-13

 5-7章は大祭司としてのイエス様の資格を論じていますが、8-10章は大祭司としてのイエス様の働きを論じています。本文で、イエス様は新しい契約の仲介者として旧約の祭司職よりも、すぐれた職分を得られたことを話しています。

I.さらにすぐれた務めを得られたイエス様(1-6)
 私たちには完全な祭司であるイエス様がおられます。その方は天で大能者の御座の右に着座され、天の聖所で仕えておられます。
 反面、レビ人の祭司たちは地上の聖所で仕えています。地上の聖所は天にあるものの模型と影に過ぎません。イエス様はさらに優れた務めを与えられましたが、それはさらにすぐれた契約の仲介者だからです。

II.新しい契約の内容(7-13)
 イスラエルが受けた初めの契約は古い契約であり、不完全なものでした。人々の意志と行ないを要求しました。人々はその契約を結んでも守ることができませんでした。それで神様は人々を憐れまれ、新しい契約をくださいました。その内容は、第一に、神様が自らその律法を人の心に記されます。第二に、神様は彼らの神様となられ、彼らは神様の民になります。第三に、神様を知る知識が世に満ちることで、全ての人がみな神様を知るようになります。第四に、神様が彼らの不義を憐れまれ、罪を再び思い起こされません。この新しい契約はイエス様によって成就しました。

祈り:主よ!新しい契約の仲介者イエス様を通して、全ての罪を赦してくださり感謝します。私がただ信仰によって生きるように助けてください。

一言:新しい契約の仲介者イエス様

カテゴリ:新約聖書::ヘブル人への手紙

ソーシャルブックマーク登録
イザ!ブックマーク Yahoo!ブックマークに登録 newsingに投稿 はてなブックマークに追加 こはてなアンテナに追加 del.icio.usに追加する ニフティクリップに追加 Livedoor クリップに追加 FC2ブックマークに追加 PingKingポッケに追加 Technorati に追加 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafブックマークへ追加 Choixへ追加 Blinklistへ追加 JoltMarkへ追加 このエントリーを含むはてなブックマーク はてなユーザーの評価 この記事をクリップ! livedoorユーザーの評価 Buzzurlにブックマーク Buzzurlにブックマーク このエントリーをGoogleBookmark に追加
永遠の大祭司イエス様
ヘブル 7:1-28

 旧約時代、祭司になるのは、レビ族に属する者でした。しかしイエス様は、そのような血筋によることなく、メルキゼデクの位に等しい大祭司になられました。

I.メルキゼデクの位に従ったイエス様(1-19)
 メルキゼデクはすぐれて高い神様の祭司、義の王、平和の王です。彼には父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神様の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。彼は戦いに勝利をおさめて帰って来たアブラハムを祝福しました。それにたいして、アブラハムは彼に十分の一を分けたのです。すなわち、メルキゼデクはアブラハムよりも優れ、アブラハムの腰から出たレビ人よりも偉大なのです。イエス様はメルキゼデクに等しい祭司となります。この世の律法によるのではなく、ただ、いのちの力によって、メルキゼデクのの位に等しいものとされるのです(17)。

II.永遠に、変わることのない大祭司(20-28)
 レビ人たちは主の誓いなしに祭司になりました。しかし、イエス様が祭司となることは、すでに神様御自身が誓ってくださっていたのです。
 レビ人の多くが祭司となりました。それは、死によって、務める者が次々と変わって行ったからです。ですが、イエス様は永遠に生きておられ、永遠に祭司の務めを果たして行かれます。御自分を通して、神様の御前に出て行く人々を、完全な救いへと導くことができるのです。
 キリストは汚れ無く、きずもありません。この御方は、御自分をささげ、ただ一度で民の罪を贖われたのです。イエス様は永遠に変わることのない大祭司としてふさわしい御方なのです。

祈り:主よ!あなたは、いつも生きておられ、私たちのために祈られました。今、御前へと出て行きます。私、完全な救いへと御導きください。

一言:永遠に生きるキリスト

カテゴリ:新約聖書::ヘブル人への手紙

ソーシャルブックマーク登録
イザ!ブックマーク Yahoo!ブックマークに登録 newsingに投稿 はてなブックマークに追加 こはてなアンテナに追加 del.icio.usに追加する ニフティクリップに追加 Livedoor クリップに追加 FC2ブックマークに追加 PingKingポッケに追加 Technorati に追加 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafブックマークへ追加 Choixへ追加 Blinklistへ追加 JoltMarkへ追加 このエントリーを含むはてなブックマーク はてなユーザーの評価 この記事をクリップ! livedoorユーザーの評価 Buzzurlにブックマーク Buzzurlにブックマーク このエントリーをGoogleBookmark に追加
霊的な錨となる私たちの望み
ヘブル 6:9-20

 私たちは、神様の約束をしっかりと握り締め、最後まで耐え忍ぼうではありませんか。神様の御国への約束、それは、決して変わることの無い、神様が御自身の御名にかけて誓われた約束なのですから。

I.神様の確かな約束(9-17)
 著者はヘブル人の聖徒たちに信仰の成長がみられないことを咎めたものの、その後、彼らを励ましています。彼らの愛の行いを、神様は決して忘れていないことを告げています。そして、彼らが、これからも愛に生き、望みを失うことがないように願っています。彼らが、信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ者たちに倣う生き方を選ぶようにと願っているのです。神様はアブラハムに約束された時、御自身にかけて誓ってくださいました。ですから、その約束は守られたのです。アブラハムはこの約束の御言葉を握り締め、忍耐の末に、約束のものを得ました。

II.私たちの霊の錨となる望み(18-20)
 アブラハムへの約束、それを神様が御自身の名によって誓ってくださったという事実は、「神様の御国」を仰ぎ見、この世を疎んじる私たちにとって、力強い励ましとなります。
 19節をご覧ください。「神様の御国」への望み、それは、「私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。」(19) 錨とは船が流されて行くことのないように海の深い所に降ろされるものです。私たちのたましいのために錨が降ろされるのです。この世という海原に激しい波風が巻き起こっても、「神様の御国」を仰ぎ見る私たちのたましいは、決して揺れ動くことがありません。イエス・キリストは、私たちに先駆けて、この望みと共に神様の御国に入って行かれました。

祈り:主よ!あなたの御国への望みの中を生きて行きます。この望みは私のたましいの錨です。この望みをしっかりと握って、流されることがありませんように。私を力づけてください。

一言:御国への望み、それはたましいの錨

カテゴリ:新約聖書::ヘブル人への手紙

ソーシャルブックマーク登録
イザ!ブックマーク Yahoo!ブックマークに登録 newsingに投稿 はてなブックマークに追加 こはてなアンテナに追加 del.icio.usに追加する ニフティクリップに追加 Livedoor クリップに追加 FC2ブックマークに追加 PingKingポッケに追加 Technorati に追加 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafブックマークへ追加 Choixへ追加 Blinklistへ追加 JoltMarkへ追加 このエントリーを含むはてなブックマーク はてなユーザーの評価 この記事をクリップ! livedoorユーザーの評価 Buzzurlにブックマーク Buzzurlにブックマーク このエントリーをGoogleBookmark に追加

  
カレンダー
S M T W T F S
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30       
<<   2008年 11月   >>
カテゴリ
プロフィール
RSSフィード

Add to Google
ADD TO Hatena::RSS
My Yahoo!に追加
Subscribe with livedoor Reader
PAIPO Readerへ追加
feedpathへ追加
gooリーダーへ追加
エキサイトリーダーに登録
HanRSSに追加
Bloglinesで閲読登録
Technorati お気に入りに登録
NewsGator Onlineへ追加
Subscribe in Rojo
Add to FeedShow
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ